ニュースリリースNews Release

2002/8/2インタビューVol.009 [首長] 石田 芳弘 犬山市市長 「君も市長になれ!」

9

犬山市市長

犬山市市長 石田 芳弘
所属 犬山市市長
選挙区 愛知県犬山市
初当選年 1983年
当選回数 6回(市長選3回、県議会選3回)

 

早速ですが、市長は小泉首相に似ていらっしゃいますね。


みんなに言われるよ。この前小学校に行ったら、子供たちにあだ名をつけられたんだ。「総理」って。(笑)



まず市長の学生時代についてお聞きしたいんですけれども、どのような学生でいらっしゃったのですか。


高校のときは運動ばかりやってました。今でいう中田やイチローみたいなもんだ(笑)。
僕は自分の肉体に自信があったから、体操の教師になりたかった。高校の先生も、「君は50年に一人の逸材だ!」って、すごくおだててくれて。そんなこと言われたら僕も感激するわねぇ。
それで東京教育大(今の筑波大)受けたんだけど一年浪人しても受からなかった。それで受かっていた同志社の商学部に行ったんだ。



大学入学当初はご実家の酒屋を継がれる予定だったんですね。


そりゃあね、教師になりたいと思っていたけど。だから大学に入学してから、最初の2年間は失意のうちに過ごしてたよ。大学があまり面白くなくて。それに体悪くして、医者にスポーツを止められてねぇ。
それで僕も心機一転して、自分の不得意なところを鍛えないといけないと思ってね。弁論部に入ったんだ。人前で話すことをトレーニングしようと。
今思うとこれが一つの人生の転機だったね。中でも一番訓練になったのは街頭演説。
なかなかできんよ(笑)恥ずかしくて。
あと選挙の手伝いもしたんだ。それで政治家の知り合いもできて、政治の話も聞くようになって。だんだん政治の世界が面白くなってね。それで大学の4年のときに京都新聞社主催の選挙や政治に関する意見発表会に出たら、優勝しちゃってね。そんな経験をしてるうちに、政治家をやりたくなってきた。
そのあと家業ついだんだけど、学生時代に感じた政治の世界に入りたくなって。
人生は一回しかないしねぇ。商売というよりも公的な職業につきたいと思うようになった。
それで政治家になろうと。



昭和44年に自民党衆議院議員故江崎真澄さんの秘書になられたのですよね。


そういうプロセスを経て、公的な仕事への気持ちが高まってきた。それをつきつめるとやっぱり郷土愛。そのためには市長が一番いいんじゃないかと思ってね。27歳のとき、市長になる志をたてたんだ。
たまたま江崎真澄さんにそのことを話したら、秘書をやるお誘いをいただいたものだから、10年間国会議員の秘書をやりました。これは勉強になりましたね。
昭和47年に田中角栄が総理大臣になって、江崎先生は田中角栄の盟友だったからね。国政の光のあたるところの裏舞台を10年間経験できたからね。



それで1983年に県議に立候補された、とのことですが。


僕のふるさとの犬山は、県議一人区だったんだ。昭和29年に犬山は市制をひいて。
そのときの市町村合併で選挙やってから、なんと6回無投票なんだ。一回も選挙をやっていなかった。最初の人が三期。それから次の人と話し合い、つまり談合だよね。候補者をたてずに決めて、その人も3期議員を務めた。つまり6回選挙をやってないんだ。
24年間無風だった。
選挙をやってないと住民と政治の距離は離れてしまう。だから誰かが立たないといけなかったんだ。僕はそのとき37歳だったけど“おれが立ってやろう”と。でも師匠(江崎真澄氏)は自民党の県連会長だったから「現職が自民党だから君は絶対応援できん」と言われてね。僕は自分の師匠が止めるのを振り切ってね。
あのころを振り返ってみると、若さのいいところがあったね。すごく純粋だった。
おれが立って住民に選択の機会を与えるってね。すごい使命感に燃えてそれで立った。



その現職を大差で破られたとのことですが。


選挙とかそういうものは固定的に考えてはいけないなぁ。そのとき人生の真理みたいなものを学んだね。
ほとんどの人たちが勝てる理由がないと予想した。ところがぼくは犬山中を訪ねて10ヶ月間選挙運動をやった。
そのとき政治の偉大さを知った。
熱意と気持ちを伝えたら、大衆は分かってくれる。選挙やったら大差で勝った。
だからチャーチルの言葉に「選挙は政治家にとって最良のテキストブックである」というのがあるけど、自分でやった選挙というのが僕の原点。



市長の実績の一つに、教育改革がありますよね。少人数教育の実施や市独自の算数の副教本の製作など、これらはいかなる理由から始められたのでしょうか。


僕は高校時代から教師になりたいという夢を持ってた。受験で失敗して、その目標はなくなったけど、今でもその憧れは持っている。 犬山市はドイツに姉妹都市があって、以前ドイツに行ったときのことだよ。ドイツ語で市長のことを「ベルガ-マイスター」と呼んでいた、それは「市民の先生」という意味であることを知った。
市長は市民の先生なんだ。
市民の先生なら、先生の先生にならなきゃいけない、と思ってね。いい教師をつくる市長になろうと思ってるんだ。イギリスの教育思想家、名前は忘れたけども「凡庸な教師はただしゃべる。普通の教師は説明する。良い教師はやってみせる。卓越した教師は人の心に火をつける。」という言葉がある。
子供達の心に火をつける教師を作らなければいけないんだ。教師を磨かなければいけない。そのためには、教科書がすごく大事なんだ。教科書を教師自身の手で作る。そのためにはまず副教本から作る。しかも算数や理科というのは子供達がつまづきやすい科目だからね。それから少人数授業。あるいはチームティーチング。つまり教師二人で教えるわけだから、生徒たちも理解できる。
つまり学校というものを原点に返って、子供たちが学ぶためのものと考えるのが今の犬山の教育改革だね。



予算ということで、非常勤講師の改革だけで一億円の市の独自予算を組まれているとのことですが、犬山から日本の教育というものを変えていきたいとの思いからですか?


お金は、学校給食の調理を民間委託にしたことで解決した。その合理化で1億円以上浮いちゃったんだ。ほかをけずって教育にもってきたわけじゃないんだ。教育の中だけでスクラップアンドビルトしたからね。要するに精神としては、今の米百俵だね。



アイデアを思いついてもなかなか実行に移せない人が多い中、なぜ市長は思い切った改革を実行できるのですか。何がそれを可能にしているのでしょうか。


僕は自分の書斎に書をかけている。「本来無一物」。
人間は裸で生まれ、裸で死んでいく。失敗したっていいから命までとられない。そう思ってやってるんだ。
やっぱり挑戦。政治家は評論家や学者と違う。言ってるだけじゃ意味がない。やらなければいけない。



思い切りと腹のくくり方、ですね。明日からと言わずに今からですね。


僕も20代のころ、悩みに悩んで、いくつも壁を破ってきたからね。でも今振り返ってみると、若さに勝る何物もない。



市長はこれからの日本の教育をどのようにしていきたいとお考えですか?


僕には、明確なビジョンがあります。やっぱりこどもたちに夢を与えなきゃいけませんね。夢は強い。世界の小学校の子供達の中で、日本のこどもがいちばん夢が少ない。
何になりたい、といったときに明確にオリンピック選手、ノーベル賞、市長になりたい、何でもいい。明確に自分の夢を持たないといけない。それには、職業でキラキラ光っている人と接しなければいけない。そうすると子供たちの心に火がともる。そういう教育をやりたい。
もう一つはモラル、公徳心だね。それには古いお祭りや伝統行事をやることです。
どの町にも神社や仏閣があるよね。そういうものに参加すると、おのずと誰が教えなくても帽子をぬいで柏手をうつ。身が美しくなるしつけが伝統文化には内在している。
自治体として、地方に伝わる古い伝統行事や伝承、そういうものを見せていく必要がある。



プロをみせるという立場から昨年度インターンシップをうけいれていただいたわけですね。
その感想はいかがだったでしょうか。


自分自身の原点を見つめることができたね。
人間って変わるところと変わらないところがあるんだ。変わっていけないところを若い人は持ってる。若い人と接するとそういうところを思い出させてくれる。
若い人が持つ希望だね。
もう一つは、若い人に自分が身につけたものを教えていく義務。僕もいろいろな人からいろいろなことを教えられたからね。極力若い人に自分の身につけたものを教えていく義務がある。
だから僕についてくれたインターン生には言ってるよ。「君も市長になれ!」って。



今の若者へのメッセージをお聞かせください。


犬山をうけついで、それを今後のどのような人にバトンタッチできるか。ちょうど聖火ランナーのリレーだね。若者は今の時代を背負っている。
今の若者に自分の成果をバトンタッチしたい、だからこそ今の若者に成長してほしい。先輩の築いてきたものをしっかり受けとめてほしい。おい頼むぞといわれたらしっかり受けとめて走ってほしい。



市長にとっての「ジャパンプロデュース」とは


もっと自国のことを知って欲しい。日本が近代国家を作って以来、欧米が上、日本は下という固定観念がある。自国の伝統文化を大事にする、そういう国を作っていきたい。今の日本は座標軸がぐらついていると思うんだ。日本の価値観を忘れてはダメなんだ。
ジャパンプロデュースとは、つまり歴史への回帰、自分の自画像をもう一度求めることじゃないかな。



インタビュー後記


市長は「若いということは素晴らしいことだよ」とおっしゃっていましたが、今市長より「若い」大学生はどれくらいいるでしょうか。「一人でも多くの人を点火したい。それが教育だ。」わずか2時間でしっかり僕は点火されてしまいました。自称聖火ランナーの犬山市長の聖火を一人でも多くの人に受け取って欲しい、それが今期も犬山市長インターンシップを開催する理由です!
文責:宇佐美 彰(ドットジェイピー東海)



(インタビュー:2002-07)




愛知県犬山市の酒屋の長男に生まれる。

昭和44年同志社大学商学部卒。一度は家業を継ぐが、昭和47年に自民党代議士、故江崎真澄氏に見込まれ秘書になる。その後10年間の秘書生活の後、昭和58年に県議会議員に無所属で立候補。江崎氏は現職の応援にまわり、孤立無援のなか自民党の牙城であった当時の犬山市において現職を大差で破り当選。

平成7年、当時5選を目指す現職に7,000票の大差をつけ犬山市長に当選。少人数授業の実施や市独自の副教本作成など教育改革に重点的に取り組むほか、次々と斬新な政策を打ち出している。

地方分権の旗手として、現在最も注目を集めている市長の一人である。
1964.4.6愛知県犬山市に生まれる。
1983.4愛知県議会議員にて初当選、3期12年務める。
1995.4犬山市長に初当選。
1999犬山市長に2期目の当選。
2003犬山市長に2期目の当選。
2006.11犬山市長を辞職。

■犬山市の概要
愛知県北部に位置する。人口73,522人。
日本最古の城、国宝犬山城や340余の伝統を誇る鵜飼い、360年余におよぶ犬山祭などの伝統と、明治村やリトルワールド、日本モンキーパークなどのエンターテインメント施設が調和した日本屈指の観光都市。
※プロフィールはインタビュー時のものです。


  • facebook
  • twitter