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2002/8/4インタビューVol.011 [議会議員] 本橋 弘隆 豊島区議会議員 「豊島区のスペシャリストになりたい」

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豊島区議会議員

自民党 本橋 弘隆
政党 自民党
選挙区 東京都豊島区
初当選年 1999年
当選回数 3回(区議選3回)
公式サイト

 

まず、本橋議員はどうして政治家になられたのですか?


まず、僕は三世議員です。いま、よく「二世議員」などと自分の父親の地盤を引き継ぐ政治家を批判する声が多いけれど、僕は二世議員どころか三世議員です(笑)。
本橋家は先祖代々地域活動をおこなっていて、僕の曽祖父も父も政治家だった。
環境としては自然と政治家へと進む道はありました。
ただ僕は自分を擁護するわけではないけれど、一概に二世議員、三世議員が悪いとは思いません。なぜなら、僕は自分の住んでいる豊島区のことを誰よりも考える環境に身をおいてきたと思っているからです。僕は祖父や父のおかげで自分が豊島区のスペシャリストになれたと思っています。
子供の頃から僕は政治家である曽祖父や父の姿を見て育ちました。そこで僕は政治に興味を持つと同時に「僕だったら豊島区をこうするのに・・・」と自分の意見、つまり政治理念をもつようになっていました。それは、かならずしも曽祖父や父の政治理念とイコールではありませんでした。
二世議員、三世議員というと、自分の父や祖父の七光りで政治家になって、能力もないと言われ勝ちですが、僕は自分の曽祖父や父が培ってきたものを大切にし、それに自分の解釈を加えるというスタイルを守っています。
僕は豊島区のスペシャリストという自分の政治家のスタイルに誇りを持っています。



豊島区のスペシャリストであることに誇りを持っているということでしたが、具体的には豊島区でどんなことを本橋議員はなさっているのですか?


僕が議員になったときに問題になったのが少年犯罪でした。頻発する少年の凄惨な事件に地域は少年を腫れ物のように扱いました。
ただ社会で少年達の危険性が叫ばれていましたが、異なった角度から見れば、社会のなかに少年たちの居場所がないという状況が生まれているのを感じたのです。
地域社会に少年たちにとっても危機的状況が訪れていました。そういった問題を解消するために行ったのが廃校のプールを使っての釣り堀づくりでした。
豊島区では廃校になったプールは消防用水として蓄えられていましたが、緊急時以外そのままになっていました。そこで廃校のプールに魚を放して、釣り堀として開放したんです。
もちろん自然との交流や廃校の再利用なども目的にはありましたが、第一の目的は地域社会における少年の居場所づくりでした。
この釣り堀なんですが意外にも大反響でして、少年はもちろんなのですが地域の皆様も釣り堀に来て下さったんですね。
特に高齢者の方が少年たちに釣りの仕方などを教えてくれ触れ合ってくださった。
地域のふれあいというものを実感した瞬間でしたね。少年の居場所をつくれたと自負しています。
これらはテレビにも取材され、ユニークな試みとして全国的に注目していただきました。



お話を聞いているととてもリアルな政治を行っているという印象受けるのですが。


そうです。豊島区選出の国会議員も豊島区のことを考えた政治をやっているでしょうが、僕は国会議員のやっている政治はどうしてもフィクションのように思えてしまうんです。そこには生活者の匂いがない。国会議員のみなさんよりも僕が勝っていると思うのは、豊島区民一人一人の生活の匂いが僕には直に伝わってくるということです。
なぜなら僕は毎日歩いて豊島区民の声を聞いています。また僕の自宅の一部は公民館のようになっています。
曽祖父の頃から僕の家には市民が集まり話し合いをしてきました。不況やリストラは新聞の上の文字ではありません。実際に自分の知っているあのおじさんの悲しい顔として僕はとらえてしまいます。
僕は豊島区の政策に関しては誰よりも豊島区のみなさんにとって最良の方法をブラッシュアップして実現する自信があります。
豊島区の交差点で目の前に歩道橋を登れない方がいる。だから僕はバリアフリーを訴えるんです。



本橋議員は国会議員になろうとは思わないのですか?


いまのところはありませんね。なにしろ、いきなり国会議員になったら豊島区のスペシャリストとしての僕に投票してくださったみなさんに筋が通らないですよ。



本橋議員は自民党の腐敗や税金のバラ撒きについてはどう思いますか?


税金の大切さを知らないようではいけません。
僕は役所の職員にも自分のお金でそれをつくるとしたらあなたはそれだけの額を出せますかとよく訊ねます。僕にとって税金は、毎日挨拶してくださる近所のおばちゃんやこの暑いなか働いていらっしゃるお父さん方が必死に働いてつくった財産なのです。
政治は、ミレーの落穂拾い(*)といっしょです。
市民の皆様の作った収穫の落穂を拾って、それを市民に分配するんです。
僕はその税金のありがたみを忘れないためにも豊島区を歩いて回ることを続けています。やはり市民のみなさんの声を聞くことが一番大切だと思っています。
極端な話、自転車で豊島区を回るのも僕は嫌いです。自転車では皆さんの声を聞くことができないから。歩いて立ち止まって皆さんの声を聞き、僕は豊島区はみなさんに支えられて成り立っていることを確認し続けています。
*落穂拾い・・・ジャン=フランソワ・ミレー(Jean-Francois Millet, 1814.10.4?1875.1.20)の名作。
生活のために貧しい農民が収穫の終わった畑で落ちた麦の穂を拾う様子を書いた社会派の名画。



自分の進む道がわからないという学生がいますが、どう思いますか?


それは僕が自分の政策理念として掲げている「居場所つくり」とリンクしますね。
多くの学生のみなさんはまだ納得いくまで自分の道を探してはいないと思います。
もっと学生のうちから社会にふれたほうがいい。
ですから僕はインターンシップに大賛成です。特に大学生はもっと自分の適性、能力を試していい。でも、これは学生だけの問題ではありません。学生に社会に出るチャンスを与えていない僕ら大人の問題でもあります。
ですから僕もよく自分の母校である立教大学に顔を出して学生に何かできないか探しています。
そういえば、ドットジェイピーとの出会いも立教大学でしたね。学生に配るビラを僕ももらいまして議員インターンシップに協力したいと思って議員である僕が電話してしまった(笑)。



本橋議員は若者に非常に期待しているように思えるのですが。


そうです。僕は政治家に一番必要なものは純粋な思いだと思っています。若者の純粋さこそが日本や社会を変えていくと思っています。
政治家は何をやろうとしてもかならず抵抗があります。それを乗り越えることができるのは結局どこまで純粋に自分の信じたものを貫けるかだと僕は政治家になって強く思いました。そしてその市民のためにという純粋な思いは若いときほど強い。
愚直でもいいんです。無理を押し切る力がいまの日本には必要なんです。だから若く純粋なみなさんに早く政治の世界に入ってほしい。みなさんの大切な武器である純粋さがなくなってしまう前に。



どうして本橋議員はインターンを受け入れているのですか?


僕のもとでのインターンシップはすこし変わっていて、僕の事務所の合鍵をインターン生に渡してしまいます。僕のもとでインターンすれば事務所は24時間使い放題です(笑)。
こんなインターンの形式にするのは、僕のすべてをインターン生に伝えたいと思っているからです。
なぜならいまの20代は選ばれた世代だと思っているからです。
現在、政治腐敗が叫ばれていますが、僕ら自民党も現在の政治構造を変えようと命がけで取り組んでいます。いまの政治体質を本気で変えられるのも自民党しかいないと思っているからです。
ただ僕らの世代ができるのは、現在の政治構造を破壊することまででしょう。僕は破壊者で終わることを覚悟していますし、それを自分たちの世代の歴史的使命として感じています。
ただ破壊だけで終わらず、僕らが破壊したうえに創造をするのが現在の20代のみなさんだと思っています。
だから僕はインターンで僕からできるだけのことを学び取り、できれば20代のみなさんに政治を志してほしいと思っているのです。



では、最後に本橋議員にとってジャパンプロデュースとは何ですか?


豊島区の生活者の匂いを政治に反映させることですね。
豊島区のスペシャリストとして、最寄りの駅前の商店街をどうやって活性化させるか。
小さなことかもしれませんが僕はすべてはそこから始まると思っています。



インタビュー後記


正直、僕は二世議員や自民党によいイメージをもっていませんでした。ところが今回の本橋議員のお話を聞いて視点を変えられました。
当日はあまりに面白くて30分のお約束を1時間ほど超過してお話くださった本橋議員。本当にありがとうございました!



(インタビュー:2002-08)


1961.11.9 東京都豊島区高松に生まれる。
1974.3 東京都豊島区立高松小学校卒業。
1977.3 東京都豊島区立千川中学校卒業。
1980.3 立教高等学校卒業。
1984.3 立教大学法学部法学科卒業。
1984.4 本橋商事株式会社入社。(不動産管理部)
1999.4 東京都豊島区議会議員選挙で初当選。
2003 東京都豊島区議会議員選挙で2期目の当選。
2007 東京都豊島区議会議員選挙で3期目の当選。
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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