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2003/10/1インタビューVol.032 [国会議員] 小宮山 洋子 衆議院議員 「言い続けてやり続けたら、世の中必ず変わる」

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衆議院議員

民主党 小宮山 洋子
政党 民主党
選挙区 東京ブロック
初当選年 1998年
当選回数 4回(衆議院選3回、参議院選1回)
公式サイト
YAHOO!みんなの政治

 

小宮山議員は大学生時代はどのように過ごされていたのですか?


私は高校までバレーボールをやっていて、大学にはバレー部がなかったのでバレー部の同好会を作りました。それからちょうど大学紛争が各大学で起きていて私も参加していました。勉強は古代万葉集を紐解いていました。
ですから勉強も運動もしていたし、学生運動もいろいろなことをしていました。



学生運動をやっていらしたのは意外でした。


どうして?学生運動ってべつにゲバ棒をふるったりそういうことじゃないですよ。
たまたま東大や多くの大学で大学紛争があったあと、数年後に遅れて私立のほうへきました。私は成城大学ですけれども、成城大学の学長が私立の大学連盟の役職をしていたのでそこから始まって紛争になりました。



具体的に何をされたのですか?学生運動って言うと集会やゲバ棒をふるうイメージがあるのですが。


ゲバ棒なんて振るいませんでしたよ(笑)
立て看板を立て、みんなに意識などの呼びかけをしたり。けれども途中から他の大学から運動家が入ってくるようになり当初の目的と違ってしまったので、それを解除することを学生大会で私が呼びかけました。結構いろいろ動いていました。



アナウンサーになろうと思ったのは学生時代から考えていたのですか?


それは就職するときです。
就職しようと思ったのがちょっと遅かったのです。
そのころは一斉ではなくて、4月から順番に業種ごとに就職試験がありました。もう私が就職をしようと思ったのが3年生の6月ぐらいだったのであとはメディアぐらいでした。それで朝日新聞とNHKが慶應の隣同士の校舎で入社試験をやっていたので、まぁ新聞よりテレビのほうが動きがあるのかなぁと思って受けたんです。
それで受けたときはディレクターを志望したんですけれども、結局はしゃべりすぎたのでアナウンサーになったんだとみんなそういう風に言うんです(笑)
そのころは女性はなるべくアナウンサーで取りたかったようなので、みんなマイクテストをしてマイクに声がのった人はアナウンサーで採用ということだったんです。それでアナウンサーになったのでアナウンサーになりたくてずっとアナウンスの学校へ行ってとかいうのでなくて、たまたまです。



アナウンサー時代はニュースや報道を担当されていましたが、それはご自分から志望されたのですか?


それまでは女性のアナウンサーというのは報道とそれから番組制作とオールラウンドにできたほうがいいということで、2年報道やったら2年番組制作みたいなことで特に専門性を持たないことが多かったんです。
しかしちょうど私が入った1972年の1年前ぐらいからUHFが開局したりとか、放送のほうもちょうど時代が変わる時期になっていました。報道は報道で、専門をやったほうがいいという考え方にちょうどなっていた時期なのでラッキーだったと思います。
一番最初に当時の朝のニュースショーだった「スタジオ102」でサブキャスターをやって、そこから報道ではじまり、ずっとそのあと報道でいくことができてよかったと思っています。



報道を扱っていて、思い出深いエピソードなどはありますか?


とにかく報道というのはそのときそのときですから。
番組制作はだいたいドラリハーサルしてカメラリハーサルして本番を収録して、それが何週間後かに放送されます。しかし報道はみんな生放送です。
たとえば朝1分中継がありましたが、1分あれば起承転結、なんでもしゃべれるんですね。だから何日もかけて取材をしても本番でしゃべるのは1分。そのあたりで言葉を研ぎ澄ます、どういう言葉で表現をするか、ということはずいぶん勉強しました。
女性で初めてということをいろいろやらせてもらいました。朝のニュースショーの前身である「ニュースワイド」という番組があって、1984年から88年まで4年間土曜日の朝のメインキャスターを務めました。NHKで初めての報道キャスターでした。今の仕事につながることからいうと女性のアナウンサーとしては初めて国会中継や、選挙の放送をしてるんですね。
国会中継をしていて2階の中継席から衆議院の本会議場を見ると一面どぶ鼠色ダークのスーツの色で、男しかいない。
ちょうどその頃、雇用機会均等法ができて、女性がいろいろなところで仕事をするようになったけれど、基はこの政治が決めているわけですから、ここにもっと女がいなきゃねというのが今日の原点かもしれません。
それからローカルの番組の中で、アナウンサーも原稿を読むだけではなくて、自分で取材をして提案をして、リポートをするということを先駆けてやってきました。
たとえば小型の中継車で本当に最小限のスタッフで移動していました。そして中継するためにはパラボラの中継のアンテナを屋上にあげたり、中継のロープを八の字に巻いたり、自分でライトもセットしながらしゃべるといことをして、ずーと走っていた感じですね。



現場にずっといる感じだったのでしょうか?


私は外へ出て現場に行くのが好きでした。
だから解説委員になってからもなるべく実際に足を運んでみて、それで人の話を聞いていました。
解説委員しているころも1日に1万5千歩ぐらいは歩いていました。自宅から通勤して2箇所ぐらい取材に行って、それからNGOの活動もしていたので夕方仕事終わってからNGOの集会に行って戻ると1万5千歩から2 万歩ぐらい歩いてました。



そのようにアナウンサー時代を過ごされて、なぜ政治家になろうと思われたのですか?


さっきもちょっと言ったように私は国会中継とか政治関係の仕事をした初めての女性のアナウンサーでした。
そのころ政治部の官邸のクラブなどに私たちアナウンサーも兼務というかたちで行っていっしょに取材をしたりということが始まっていました。そういうかたちでいろいろ見聞きをしている間にやっぱり政治の中にもっと女性など普通の暮らしをしている人の声が入らなかったら日本の政治は変わらない。
ということは一人一人が生きやすい社会もつくれないという思いがありました。
ちょうど1998年、今から5年前は解説委員をやっていました。たまたま解説委員も8年やっているとだいたいこのテーマで私が何をしゃべるかっていうのは決まっていて、さぁこの後どうしようかなと思っていた時期でもありました。そのとき自民党さんからお誘いを受けたのですが、ちょうどそのとき参議院が過半数を割っていたのでなんとしても過半数を取り戻したいということのようだったんですね。
でも本当は多様な価値観があるのが豊かな社会なので、ここで自民党に過半数を取られたら困ると思いました。
また市民の側から政治に声を届けるための全国ネットの政策提言のNGOをやっていて、私が副代表をしてたんですけれど、ロビイングのため訪れると一番よく聞いてくれたのが民主党でした。また一緒にやっていたNGOの仲間も民主党の衆議院議員になっていて一緒にやろうよって声をかけてくれたりしたので、あまり自民党から強く誘われるから、野党の民主党から選挙に出ようと思って3日で決断をしてそれで出ました。



選挙の報道をしていて選挙の実態を見ていたと思うんですが、実際に選挙活動をなされて何か違いですとか発見はありましたか?


全然ありません。



もう、見ていたままでしたか?


別に私はこれはこういうもんだと全然決めつけることはしません。その中で精一杯私が仕事するだけです。別に政治はこんなもんだと思って入ってきてるつもりはないです。だから今回参議院から衆議院に変わって、小選挙区で大変でしょって言われるけどそうではありません。
参議院のときは当時の仕組みでは全国比例は党が名簿登載順位を決めていました。私は1位だったので党の看板みたいなもので、その後も党のいろいろな行事があったり選挙があれば、もう北海道から九州の種子島までずっと走ってました。その走っているのが今度は世田谷の小選挙区の中になっただけなのでなんら変わらないです。



インターンを受け入れているのはなぜですか?


私は若い人たちが政治に絶対関心を持たなきゃいけないし、日本の政治もそれよってにしか変わらないと思っているんです。
女性の声とか市民の声が入らないと変わらないというのと同じように、若い人たちはこれからそれだけ長くこの日本の社会で生きていくわけですから、そこに権利も責任もあるわけです。
だからそういう意味で私は議員になって特に強く感じてるのは『子どもの頃からの民主主義の教育をしなきゃいけない』といことです。
そうでなければ本当に民主的な政治は創れないと思っています。日本はたまたま文部省と日教組の不幸な歴史があったためか政治教育をまったくしていない。政党教育はいけないけれども政治教育はしないいけない。一人一人がこの1票でどうやって民主的な政治を自分たちのために創っていくかということをきちんとしないと利権がらみの政治家が出てきたり。
悪いことしている議員もだれか国民が選んでるから議員をしている。
だから議員を選ぶということはどういうことなのか、自分がやりたいと思ったらどうやって議員になれるのかっということまでを含めて、普通に暮らしている人たちが政治に関心を持って参画しなきゃいけない。とくに若い人たちはこれから長く日本で生きていくわけだから関心を持ってほしいと思ってるんですね。その中でインターンをやりたいという人は政治に関心を持っているわけだから政治に参加していく機会を作りたいと思っています。
私のような後援する大きな組織がなくてお金のない議員にとっては、若い学生さんが来て私の活動を手伝ってくれるということはとても助けになります。けれども私がそれ以上に思っているのはせっかく関心を持って来てくれた若い人が、私のところでする活動によって、さらに政治に関心を持ってくれて政治に関わるようになってくれればいいと思っています。
ドットジェイピーさんのインターンシップはいつも春休みか夏休みなので、春休みは国会が動いてますけど夏休みは国会が閉会中なんですよね。
ほんとはみんなもっと政策の勉強をしたいとそういうことを思っているようだけけれども、休みの間は国会は動いていないんです。他の年はともかく特に選挙前の今年はもう地元の活動しかないといってもいいのです。その中でポスター貼りをしたり、いろいろな各家を回って民主党の政策とか私の政策の話をしてもらったりってこともやってもらいます。けれどもやっぱり自分たちで何か主体的に企画をしてもらいたいと思ったので、先日のタウンミーティングでは場所取りからテーマを決めること、お知らせを作ること、それを持って歩いて人を集めることまで、それからそのミーティングの司会進行まで全部やってもらいました。



インターンの学生とはお話する機会はあるのですか?


ありますよ。だって、地元事務所にいればしょっちゅう一緒に仕事していますから。



実際にインターン生と話してみて今の学生に思うところはありますか?


だって、うちの下の子も学生だから、今の学生うちにもいますよ。



自分のころと変わったと思うところはありませんか?


私はね昔はどうだったとかっていう言い方をしません。
今をそれぞれがぞれぞれの考えで精一杯やればいいと思っていますから、あんまり決めつけしません。
ですから、昔に比べてどうだとかいう印象はないです。



ですが、代議士は学生のころ大学紛争のことを話されていましたが。


だってそれはそういう時代環境の中で私は私のできる精一杯のやり方をしたのです。
タウンミーティングの中でも結局学生さんたちが意図したわけじゃないんだけど、来た人たちと学生さんとの対話みたいになったのですよ。
で、「戦争を知らないじゃないか」とか「昔自分たちの頃は学生運動とかしたのに今覇気がない」とか、いろいろな話が出たけれど私はそうは思っていません。今の時代状況が違うわけだから。
たとえば国会で重要な法案があると学生もいろいろな学生運動をしたけれども、一般の市民の人たちだってこの国会を取り囲んでいろいろな抗議行動をしたわけですよ。
今、大人もしないじゃないの。だから子ども、若者だけに今変わったって言うのはおかしいでしょ。それぞれの人が今の置かれた状況の中で精一杯できることで政治に関心を持ったり、いろいろなことをやってるんだからそれでいいと思ってるんです。だから昔はこうだったけど今はこうだじゃなくて、昔だって一人一人、いろいろなタイプの人がいて、ただ時代状況の中でわりと学生運動などあっただけです。だから今の学生はという言い方は決してしません。
だいぶ予想した答えと違った答えがでたかしら。
私はそういう意味で私自身もおかれた状況の中で毎日精一杯いろいろなことをしています。
それぞれの来てくれた学生さんたちもたまたま機会があって来てくれたのだから私のところで少しでも「政治はいやだなって」思わないで、そのまま「政治に関心を持って関わり続けたいな」と思う前向きの気持ちを持ってくれるような材料提供ができればいいし、体験できればいいなと思っています。だから学生についてどうですかって言われても、今私のところに学生が6人きているからみんな違います。
だから誰についてどうですかって聞いてくれれば答えられるけれど、今言ってる学生についてどうですかって言われたら答えられない。
ドットジェイピーさんの期限が終わっても、私のところへこのまま全員来きてくれるようですよ。
なんとか今度の選挙でも一緒に関われる部分は関わってもらって。
もちろん政策の勉強がしたいのはわかるけれども政策の勉強をしたり、私が政策を作ったりということをするためには泥臭い部分だけれど選挙を勝ちぬけなければそのポジションを得られない。 それで、うまくいってみんなの力が合わさって私が当選できたら次の1月からの通常国会は150日間あります。その間に党のプロジェクトだとか、いろいろな会議とかがあるのでそれぞれみんな勉強したいテーマを持っていますから、そういうところでみんなのやりたい政策も一緒に勉強しようといっています。



最後に今の若者・学生に向けて何かメッセージをお願いします。


また、今の若者だね(笑)



大多数の方に向けて(笑)


これは若者だけじゃないけれども、とにかく一生一度なんですから、自分のやりたいことを精一杯やったらいいんじゃない。こうしたいとかおかしいとか思ったことは言葉に出していって、行動しなければ何にも変わらないけれども、それを言い続けてやり続けていったら必ず世の中変わるんだから。
そうやってみんなが力を合わせて少しでも一人一人が暮らしやすい、生きやすい社会をつくっていければいいなと思っているんです。
だから「今どきの若者は」という大人がいたりするけれども、その子どもたちを育てたのは大人なんです。
そんなこと言ったら自分に鏡で返ってくるじゃないですか。だから若者の前の少年たちについてもいろいろな事件があったりして国会でも議論をしていますけれども、私はもちろん道義的な責任は問題を起こす子どもにもあります。けれどもその子どもの環境を作っているのは大人たちなのだからあらゆる知恵を働かせて、子どもたちの声に耳を傾けてちゃんと受け止めていないからそんな事件が起こっているのだと思うんですね。
そういう意味では「今どきの若者は何考えてるわからん」とかいうおじさんとかがいるけれどもそれはわからんじゃなくて、そのおじさんのほうが若者が何を考えているのか聴く耳を持ってないってことになるわけじゃないですか。
世代を超えて、今たまたま一緒にこの地球で日本で生きているわけですから、それぞれの言うことに耳を傾けていかなければいけない。私は画一的になればいいとは決して思っていないので、それぞれが自分が生きたい生き方をできればいい。
しかし、その中で共同生活をしてるわけですから生きていく最低限のルールだけはきちんと身につけなきゃいけないですよね。日本人は言いたいことをいってやりたいことをやることが少なすぎる。自分の人生なのだから自分で創っていかなければと思います。



(インタビュー:2002-10)


1948.9.17 東京都に生まれる。
1972.3 成城大学文芸学部国文科卒業。
1972.4 NHKにアナウンサーとして入社。
1990.6 解説委員。
1998.3 NHK退職。
1998.7 参議院議員(全国比例)選挙で、民主党から初当選。
2003.4 衆議院議員(東京都第6区・世田谷区)。
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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