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2003/12/1インタビューVol.037 [議会議員] 村山 祥栄 京都市議会議員 「一緒に日本を担っていこう!」

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京都市議会議員

京都市議会 村山 祥栄
政党 無所属
選挙区 京都府京都市
初当選年 2003年
当選回数 1回(市議選1回)
公式サイト

 

村山議員は中学生の頃から政治に興味があったということですが、珍しいですよね?何か興味を持つきっかけがあったんですか?


きっかけは無いけど、もともと『社会科が好きな子ども』だったね。歴史も好きだったし、公民というか・・・いわゆる政治も好きで。
小さい頃から新聞やニュースを読む習慣があったし、「ほかの授業は嫌いやけど、社会科は聞くよ!」そんな子どもだった。今思い起こすと、社会科の中でもとりわけ政治に興味があったんかな。
実はちっちゃい頃、首相が中曽根さんから竹下さんに代わるときの安部晋太郎・宮沢喜一・竹下登の三者会談を生でテレビで見てた記憶があるくらいだから。 きっかけがどうこうと言うよりも、もともとちっちゃい頃からそういうものに関心があったんだと思うよ。



中学時代、現状の政治に「このままでいいのか?」と疑問を抱き、「政治を通して人を幸せにしたい」と感じられたそうですが。


中学の時に、政治を見ていて「この人たちは政治に命を掛けてないぞ!」と思ったのが自分を政治に駆り立てた一番最初の要因かな。政治家がすごく政治に及び腰になっているな、と。 結局、数の論理で調整をし合って、とにかくもう1期自分がそこに居られるようにしよう、みたいな。どうもみんな保身に走ってる感が強すぎると思ってた。
本来この日本という国をつかさどるというのはそういうことじゃない。1億2千万人の生命と財産を守る商売ってそんなに軽くない。
「自分の身を捨てでも浮かぶ瀬あれ、ぐらいのスタンスでやるのが本当の政治じゃないの?」といつも思ってた。そういう不満がずっとあったんですね。
不満じゃなくて、『怒り』。
「なんやねん。そんなんで人を守れるんか!?」と。
ある意味、政治家ってすごい重い商売だと思うよ。普通の商売とはわけが違う。政治家は人の生き死にを左右できる。法律やシステムを作るわけだから、とてつもなく重い。だけど、彼らはそんな意識も無く、のらりくらりとやっている。聞こえてくるのは、「やれポストだ、やれ金だ。」そんなことばっかり。「そんなの政治じゃない。少なくとも今までの歴史を紐解いても、てっぺんに立ってきた人間は、命張って政治をやってきたぞ!」といつも感じていた。



その時は、そういう命を張るような人がいないように見えたんですね。


そうだね。「俺がやったほうがましや!」と思ってました。何となく勢いで(笑)。
とりあえず、大学に入るまでは、本をめちゃめちゃ読んだ。中学3年生で、田中角栄の本を読んで「こいつや!これが政治家や!」と思った。
今の政治家には無いダイナミズムを感じた。今でもそれは変わらないな。
それから、「現場って何ぞや」とすごく感じるようになった。
「所詮俺らは外部の人間であって、やっぱり内部に入って、現場を見んことには自分の求めている答えは出えへんやろな」と感じた。
「なんでこいつら命掛けへんねん!」とか「なんでこいつらシャンと仕事せえへんねん!」とか「一体、報道されている事実ってどうなんだ?」とか当時知りたいことは山のようにあったよ。
そして、実際に政治をやっている場所はどこかと考えた時、それが東京だった。それで、迷うことなく東京の大学に進学を決めた。



その時点で政治家になりたい、と思っていたんですか?


おぼろげながらに政治やりたいな、とは思っていたけど、「絶対に政治家になる」と言えるまでには至っていなかった。
「政治をやれればな。」という思いはありつつも、政治家になるすべもほとんどわからなかった。
『新聞社で政治版の記者を10年位やって、そのあと議員秘書を10年経験して政治家になる』当時は、一般人が政治家になるプロセスはこれくらいしか思いつかない。だからそれしかないのかな、とりあえず新聞記者になれればな、と思っていたよ。



そして、大学生になっていきなり議員秘書になられましたよね。


最初に議員事務所に行ったのが大学1年の8月。
ちょうど前々回の選挙(1996年10月第41回衆議院議員選挙)の前で事務所も人が欲しかったのかな。
ちょうど飛び込みで「使って欲しい!」と直訴したら即OKになった。それで、議員事務所のボランティアを始めた。
バイトも止めて、死に物狂いで2ヶ月間働いたよ。そして、その選挙後に「お前、事務所来いよ」って言ってもらって。
秘書として認めてもらうまでは特に頑張った。
大学1年の選挙の時に、事務所全体で学生が120人くらいおったんやけど、それのまとめ役をしてた。事務所の仕事に全てのパワーを注力してたね。
休まないし、帰るのも最後。もっともっと勉強をしたかったし、もっと政治の奥深くに入りたかったから必死だった。
「ただの学生だった自分の代わりはいくらでもいるんだ。コマにとどまっていたらコマで終わってしまう。だからコマを超えるだけの仕事をしなあかん。」いつもそう思ってた。



その後の大学生活でも様々な選挙、特に若手候補の選挙に関わったとお聞きしましたが、若手にこだわったのには何か理由があったんですか?


その頃までに新進党、自由党、様々な議員に関わってきて、既存の政治ではもの足りない、と思い始めていた。
そんな時に、若手の20代議員何人かに出会ったんだ。「こいつら違うぞ」さらには「何で彼らは選挙に勝てんねん」と感じ、そして「こいつらをもっと知りたい!」と感じたのがきっかけ。多くの選挙に関わったことで選挙の戦い方はすごく勉強した。
大学を卒業するまでには、相当な選挙のマニアになっていたと思う。大学4年生の時には自分の戦い方も頭にばっちり出来ていたし、公職選挙法も頭の中に全部入っていたよ(笑)



被選挙権が得られるまでの間の就職先として、政治の世界ではなく民間企業(リクルート)を選ばれました。そのまま秘書にならなかったのには理由があったんですか?


自分に足りないのは、ビジネス的スタンスだと思ってたのでビジネスの世界に入った。
企業で評価されなければ政治の世界でも上手くいくはずがない、と思って。
リクルートを選んだのは、ビジネス全体で評価される会社に行きたかったから。当時、転職するときにニーズが高い会社は、IBMとリクルートと野村證券って『日経ビジネス』に書いてあって、それでリクルートに。
リクルートに入ったときは、29歳で選挙に出るか、それが33歳になるか、選挙に出るのを辞めるかは全くの未知数だった。
なぜなら、評価されるまでは絶対に会社を辞めるつもりがなかったから。評価されなかったら俺はそこまでの人間だし、そんな奴が政治をやったら国民を不幸にすると思った。だから、仕事はめちゃくちゃ頑張った。結局リクルートでは2年間働いたんだけど、表彰状を何枚ももらったよ(笑)



そうして、2年後の25歳で満を持しての選挙。選挙のシミュレーションもばっちりな中で、最も大変だった事はなんでしたか?


満を持して、というわけではなかったよ(笑)
会社に居た時は、すごく悩んだ。「今の俺みたいな人間…器もちっちゃいし、人間できてへんし、そんな人間が政治をやってこれ以上政治不信を生んではいけない。」って。それが僕にとって最大の命題やった。今もそうだけど。
僕自身もそれまでに、出来る人の背中を沢山見てきた。そんな中で自分が政治家として出て行った時、世間がどういう判断を下すんだろうか。
「青二才が!」なのか「若いのに頑張ってるやん」なのか。自分のせいでますます政治不信を招くのでは、という不安が心の中にはずっとあった。
ずっとそれは自分の中で葛藤してたんだけど、結局は自分で「やろう」と決意した。きっかけとか、そんなものはなく、最後は自分の意志で。



選挙にでる、と決めて、まず何をしましたか?


演説と戸別訪問。
『仕方がないでは始まらない!村山祥栄』って書いたでっかい旗を自転車に立てて、選挙区中を走る。
選挙中は結構そういうことをやる人は居るんだけど、選挙前からとにかくずっとやる。ひとりで旗立てた自転車で走ってたら「なんやこいつ?」みたいな顔をされることもあったけど、結局は結構浸透したね。だいぶ恥ずかしかった分、報われたかな!?(笑)。



当選して半年。今回の衆議院選挙では、関西の若手議員でユニット『generation∞revolution』を組んで、街頭での投票促進活動なさっていましたよね。20代の投票率も、全体の投票率も結局前回の総選挙よりも下がったわけですが・・・いかがですか?


今回、投票率は上がらなかったわけだけれど、目に見える投票率を上げるにはジェネレボならあの何十倍もやらなきゃいけないと思うよ。
ただ、僕らは周りの意識を煽っていくことが必要なんだ。俺たちは政治を諦めてないんだ、という意思表示をしていかなきゃだめだし、周りに対して、諦めて欲しくないと言うメッセージを発信していくべきだと思ってる。
投票率には反映されなくても、やるしかない。あれを見て選挙に行った奴は絶対居てくれてると思うし、0.0001%くらいは絶対に投票率を挙げられたと思ってる。0.0001%でも投票率が上がればそれでいいんだ。



現在、議会ではどんなことに取組んでいらっしゃるんですか?


京都市の財政改革と議会改革だね。
財政と言うのは人間で言ったら血液になる部分。今、京都市はその血が止まってる状態。血がちゃんと身体に流れる状態にしないと、動けないでしょ。
最終的な目標は『京都市の自立』。市民も、役人も、議員も、皆が自立する都市を創る。京都市は文化財産が山ほどある。人口も日本で5、6番目なわけだし、様々な面で凄い特殊性を持っている。この特殊性を市民自身が考えて上手く生かせるようになって、役人もフルに活動して、議員も市民の代弁者としてキチンとチェックをして、となるのが理想なんだ。僕たち(議員)ももっとちゃんとしなければいけない。素晴らしい政治家が増えれば、選挙に行く人も増えるだろうと思うから。



何歳まで政治家をする、何歳で辞める、というのはあるんですか?


特に何期まで、という風には決めてないよ。
あえて言うなら自分が爆走できる年齢まで。爆走出来て、命を掛けつづけられるまでは続けるつもりだよ。今は政治に命張ってるつもりだから、「晩年は自分のために商売でもやろうかな・・・」などと思ったりすることもあるけど(笑)



最後に、村山議員にとってのJapan Produceを教えてください。そして、将来を担っていく同世代やもっと若い世代に向けてのメッセージもお願いします。


僕のJapanProduceのテーマは『自立』。自分の意思で考えられる人間になって欲しい。
そして、いい人材はぜひ政治をやってほしい。政治はすごく楽しくてやりがいのある仕事。
時をつかさどれる、切り開くことができる仕事。何の商売よりも重い仕事。
軽々しく考えてはいけないけれど、本当に政治をやりたい奴は俺のところに来い!
半年来れば、俺の全てを伝える事ができると思います。一緒に日本を担っていきましょう!



(インタビュー:2002-12)


1978.2.7 京都府京都市左京区に生まれる。
1996 専修大学法学部入学。衆議院議員 松沢成文(現神奈川県知事)秘書。
1997 参議院議員 泉信也事務所ほか
2000 専修大学法学部卒業。株式会社リクルート入社 2年8期在籍し、7期連続表彰を受ける。
2002 同社退社。
2003 京都市議選にて、5004票獲得。京都市政史上最年少で初当選を果たす。
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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