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2004/4/1インタビューVol.039 [議会議員] 花輪 ともふみ 世田谷区議会議員 「あの新聞記事を見ていなかったら、ここにいなかった。」

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世田谷区議会議員

民主党 花輪 ともふみ
政党 民主党
選挙区 東京都世田谷区
初当選年 1995年
当選回数 3回(都議選2回、区議選1回)
公式サイト

 

28歳の時に議員になられたわけですが、きっかけはどんなことだったんですか?


今は20代の議員も結構いるけど、当時は20代の議員って殆どいなかったんです。
僕が当選した時ぐらいから、世田谷に一人、練馬に一人、とかいう感じで、各議会ごとにポツポツと出始めた気がします。
僕は子供の頃から、政治にはすごく興味があったんですね。
でも興味があっても、どうやったら議員になれるのか、具体的なイメージって湧かないですよね。
秘書さんやってるとか、世襲とか、そういう人以外の普通の人が議員になる道のイメージが湧かなかったから、当然自分の中にも議員になるっていう選択肢はなかったんですね。新聞も子供の頃からよく読む子だったし、ニュースもよく観てたし、大学でも自治会活動なんかやってたし、政治は嫌いじゃないけど、だからといって政治家に、ということは想像できなかった。自分の想像の枠外、だったんです。 だから普通に開発事業会社、いわゆるディベロッパーに就職しました。当時はバブルの全盛期だったので、千葉の田舎のほうの開発事業に携わるなかで、見てはいけないものを見てしまい、聞いてはいけないことを聞いてしまったりしたわけです。
「小説の中で起きるようなことが、現実に展開されている!」という驚き(笑)。
つまり、開発にからむ「政・官・業」の癒着を露骨に目の当たりにたんです。で、このままじゃ日本はどんどん悪くなる、大変なことになるかもしれない、と本気で思い始めました。
丁度この頃、細川さんの日本新党ブームが起き、「政治は変わるのでは?」という期待で、世の中が盛り上がりつつありました。
それで、僕自身も政治の世界に身を置けたらやりがいがあるんじゃないか、自分もこういう流れに参加できたらいいな、と徐々に具体的に思うようになったんですね。
とはいえ、フツーのサラリーマンをやってるわけだから、どうすればいいのかは、やっぱり全然わからない。
立候補?どうやって?って感じです。
今みたいに、議員事務所へのインターンシップの制度があればよかったんですが(笑)
当時はまだまだ、サラリーマンと議員の間の溝は深かったんですね。
ところが、「新党さきがけ」という党が当時あったんですけど、たまたま新聞で、その新党さきがけが、「翌年の統一地方選挙に向けて候補者を募集している」という記事を見たんです。
小さな記事ですが、電話番号も載っていました。瞬間的に「あ、僕はマズイものを見てしまった。こんなものを見てしまったら自分が止められなくなる」と思ったんだけど、震えるような思いで、電話をしたんです。
道はここから開けました。公募なので、作文を書いたり、党員集めをしたり、面接をしたり、人を集めて演説をする、いろんな試験を経て、公認を得ることができて。だから、あの新聞記事を見ていなかったら、僕はここにいなかったんだよね(笑)。



実際に政治の世界に入って、一番よかったなと思ったことはどんなことですか?


政治の話が自由にできる、誰とでもできる、相手から政治の話題をふってもらえる(笑)。
サラリーマンやっていた頃も学生の頃も、政治の話ってあんまりできなかったんですよね。飲み屋とかで政治の話をすると「何この人?」ってひかれたりするでしょう。「今の世の中ここがおかしい」とか、「僕はこうしたらいいと思う」とか言うと、「どうしちゃったんだ?」って言われる風潮でしたから。
これは今でもそうかもしれませんね。
でもこの仕事についた途端に、僕が言わなくても周りの人が聞いてくるようになったんですよ。
自分の言いたいことが言える、自由に表現できる、こんなに幸せなことはないかもしれない、と思います。



花輪議員が今まで生きてきたなかで、一番感動したのはどんな時でしたか?


選挙に当選した時は嬉しかったけど、感動とはちょっと違うよね。映画観たり、スポーツ観たりして、しょっちゅう感動してるけど・・・難しいな。 でも選挙は日々が感動の連続だと思う。
僕は1999年に一度落選して、そのあと2001年に当選したんだけど、この2001年の選挙のスタートの日、この日が一番の感動した時だったかもしれない。
落ちちゃって2年間無収入で、借金もたくさんあって、それでもいろんな人にカンパとかもらいながら活動して、そのおかげでやっと選挙のスタートの日を迎えることができたんです。
宣伝カーを用意してくれる人もいたし、事務所を用意してくれる人もいたし。ポスターも890箇所ぐらい貼る場所があったんだけど、全部貼ることができて。当選した日はもちろん嬉しかったけど、いちど落選した後、再び選挙に立候補できて、いわゆる人並みの選挙活動をスタートできた時は、もう嬉しいとかじゃないよね。
この時は告示の日の出陣式で、泣きました。よくみんなここまでついてきて、支えてくれたなって、本当に嬉しくて。



花輪議員の政策に『社会への責任』というのがあるんですが、一人ひとりが社会に対する責任を持つためにはどうしたらいいんでしょうか?


まずは、世の中がどういう形でできているのか?ということを一人ひとりが考えることが一番大切だと思うんですね。
自分ひとりで生きていける世の中だったら、好きなようにやればいいし、自分自身だけ責任を取ればいいんだけど、ヒトはひとりでは生きてはいけないわけで。周りには、家族がいたり、パートナーがいたり、友達がいたりする。
家族の外側には地域のコミュニティーがあって、さらにその外側には、たとえば東京都というコミュニティーがある。働いている個人はそれぞれ、職場でのコミュニティーを抱えている。それらのコミュニティーが互いに支え合って社会を作っている、ということをみんながもっとリアルに考えないといけないですよね。
本来は、企業の責任は「利益を上げる」ということにだけあるのではなくて、もっと個々人が心地よく生きられる社会にしていくには何を創っていけばいいのか、とか、そういう責任もあるわけでしょう。企業には株主に対する責任とともに、社会的責任もあるんだ、ということを、経営サイドも勤め人サイドももっと自覚して、うまくバランスを取って新しい仕事を創っていければいいんじゃないか、と思います。
「自分だけよければいいや」みたいな考え方が、いま出始めているじゃないですか。たとえば政治の世界だと、民主党さえよければいい、とか、自民党さえよければいい、とか。そういう、自分たちさえよければいいっていう考え方は、 本来恥ずかしいものですよね。もちろん、自分の我とか欲は、いくら抑えようとしても出てしまうものなんだけど、ちょっと胸に手を当ててみて、「俺って自分勝手かな、悪いことしてないかな?」と考えてみる(笑)。そこから始めて変えていくしかないですよね。



最後に、花輪議員にとっての『Japan Produce』についてお話していただけますか?


僕が思うのは、「ずるくない社会」。公平で公正な社会。
みんなが正々堂々と勝負ができる社会。口利きで税金を横流ししたり、公共事業をもっていったりしないで、商品そのもののレベルで競い合えるような社会。
一人ひとりが自分の生き方を恥ずかしくないと思える社会を作りたい。
後ろめたい思いをしながら生きてても楽しくないでしょう。一人ひとりがそれぞれの立場で頑張っているという意識をもって、努力をしているという喜びを持って、成果が上がったらきちんと評価される、自分のしていることは人のためになっている、そういうふうにみんなが誇れる社会を作りたいですね。



(インタビュー:2004-01)


1966.7.24 東京都世田谷区代沢に生まれる。
1985.3 東京都立新宿高校卒業。1990.3東京都立大学法学部卒業。
1995.4 世田谷区議会議員選挙に立候補/66人の候補中5位で当選(最年少)。
1996 民主党結成に参加。
1999.4 東京都議会議員補欠選挙に立候補/惜敗。
2001.6 東京都議会議員選挙に立候補/34才で当選。
2005.7 東京都議会議員選挙に立候補、再選。
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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