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2004/8/1インタビューVol.050 [議会議員] 田中 丈悦 堺市議会議員 「スタンス明確市民派」

50

堺市議会議員

堺市議会 田中 丈悦
政党 無所属
選挙区 大阪府堺市
初当選年 2003年
当選回数 1回(市議選1回)
公式サイト

 

はじめに田中議員が政治家になられたきっかけを教えてください。


8年前にO157集団食中毒事件が発生したとき、3名の子供が亡くなり、9000名の市民が被害を受ける事件が発生しました。それまでは行政と自分であるとか、一人の市民の生活と行政は、関係ないところにあると思っていました。いろんな社会的な問題については関心があったけれど、でもあの事件をきっかけにしてですね。学校給食という1つ自治体の政策の中で発生した事件ですから。全容が解明されてきちんとその欠陥が明確になって、改善されていくだろうと思っていたんです。ところが堺市の当局が、当時なくなられた子供の親から訴訟をされた時に、堺市当局は一切責任がないんだということを、最後に負けるまで法廷で主張し続けてきたわけです。あるいはその一方で、当時の厚生省とか含めて、原因とかの解明作業が進んでいたんですけども、結局半年たっても原因がわからないという迷宮入り事件のような形になってしまったことが、おかしいんじゃないかと思ったんです。
こうしたことを通じて、2つのことがわかった。
1つは行政と市民の生活というのは密接に関連していると言うこと、もう1つは、行政が本来であれば住民の生活を守らなければならないにも関わらず、そうゆうふうな行政の体制になっていないということですね。
本来地方自治体というのは、市民の生命や、安全、生活を守るためになければいけないものですよね。まぁ、住民自治もそうなんですけど、地方公共団体の役割というのは住民の福祉の向上です。



堺市の職員になろうとは思いませんでしたか?


自治体の職員の中にも非常に真面目で、熱意のある職員はいるんですよ。どこの自治体でもそうなんですが、首長の方針とか政策によって、ずいぶん職員のやる気であるとか、能力の発揮の仕方が違うと思います。ニセコであるとか志木市であるとか、いろんな形がありますが、僕が考えているのは、住民がどうやって行政に参加できるか。行政との協働という言葉が使われていますが、そういう市民参画の自治体を造りたいと思っています。
市民参画の自治体をつくろうと言う言葉自体は、どこの自治体の首長も言いますけど、実際、行政の中でそうゆう機構を造っていく、審議会の制度を改革していくというのは、まさに首長の考えによりますね。また堺市の職員の現状で言えば、ずいぶんやる気を削がれている面が多いのではないかという印象を持っています。もっと職員の能力を発揮すると言うことは十分にできるはずなんですが、それが出来きれていないんじゃないかなと思います。だから答えになっているかはわかりませんが、本当に職員の人と一緒に自治体の改革はしていきたいと思っています。
例えば、自治基本条例や市民参画条例など、全国の自治体で始まっていますけども、それを造っていくのは行政の中からの働きもありますし、議員からの働きもありますし住民からの働きもあります。
一番早いのは首長が「やる!」と言えば決まるのが全国の状況なんですが、そうでなければ、市民の意識のボトムアップを図りながら一緒にしていくことが大事だと思います。



スタンス明確市民派という独特の名前の由来はなんですか?


これは、選挙の時に使っていた田中たけよしのサブスローガンで、そのまま一人会派の名前でも使っています。市民派という言葉は、なにをもって市民派とするのかが分からないというところがあると思います。市民派ということば自身が幅広く使われていて、誰でもが市民派を名乗るという状況がありますし。
前にある先輩と話したときに、いろんな政党がありますよね。政党に所属している、所属していないに関わらず、市民の立場に身を置いて考えるということが市民派として提起していいんじゃないかという議論をしたことがあるんですけども、業界であるとか団体であるとか、さまざまな権益組織がありますけど、そうゆうところに利益基盤、自分の目標、スタンスを置くのではなくて、普通に生活している人の立場で物事を考えていかないとダメだと思います。
議員になってわかったことなんですが、議会の常識と市民の常識はずいぶん違うんですよ。市民の目から見ればずいぶん非常識なことが、議会や議員の常識になってしまっているんですね。そうゆうことではダメだろうと思っています。議会の中ではなくて、議会の外の視点に立脚しないと何も変わっていかないですし。
市民派の中でもあいまいな形じゃなくて、一つ一つの問題に対して、自分の考え方を明確にしていきたいと思います。それは白とか黒とか100とか0とか言うのではなくて、自分の態度を鮮明にする必要があるんじゃないか、ということ。自分の視点ももっと明確にということで、こうゆう名前にしています。



議員になるまえはどのようなことをされていたのですか?


20の時に和歌山から大阪に出てきまして。2年くらいフリーターをしてました。喫茶店であるとか、遊園地であるとか、新聞記者のバイトだとか、本当にいろんな仕事をしてきました。それで今のJRに就職をしました。
その中で8年前に食中毒事件が起きて、これではあかんと思いまして、自治体とか地方政治に疑問を持っていたので、立候補しようということになりました。それにあたって、お金もなかったですから、退職金を選挙資金に充てて、見事に負ける、ということになりました。
年が明けて1999年の4月に病院に就職しました。そこでは男性のホームヘルパーとして入ったんですが、当時としては全国的にも男性のホームヘルパーが病院で働いているというのは少なかったのですごく珍しがられました。で、そういう仕事をやって病院のこと、医療のこと、介護、現場のことはすごく勉強になりました。で、昨年の4月に2回目の挑戦で、議会に送り出していただきました。



JRの職員という安定した職を捨てても、議員になりたかったですか?


あの当時で、食中毒を経験しているということは堺の人にとって大変インパクトがあったことなんですね。行政に対して情けないと思いましたね。人が死んでいながら、私たちには責任がないと言い続けるというのはまともかと思いました。その憤りは大きかったです。
あと、自分がそうゆう風に考えたとき、どう言ったら良いのかわからないんですけど、自分でやりたいと思うこととか、自分がやるべきだと思うことを、自分が思うようにできるってのは、幸せな事ですよね。
ある意味で言えば、自分の中に持っている物を実現させていくってことですよね。ポリシーだとか、想いであるとか。それがやれるということに、挑戦していく価値は大きいですよね。という風に僕は考えたんです。
だけど落ちると思うと心配でした、落ちたらなにしようと考えてましたし。でも、選挙活動をしていれば、いつか必ず当選するという意識はありました。自分のしていることに間違いはないはずだと。前回負けたし、次も負けるかもしれないけど、いつか理解されるという確信めいたものはありました。



いつまで議員をしたいですか?


議員というのは市民の代表として議会に入っていると議論したことがあります。市民の先頭に立って、市民の皆さんと一緒に議論していく仕事はずっとしていきたいと思います。ただ、議会の活動や、市の提案とかいろんな仕事がありますよね。予算の分析とか、決算の質疑とかでかなり時間が食われてしまって、自分のやりたいことをもっと掘り下げてみるとか、思っていた以上に、仕事をすればするほど市民との交流の時間が少なくなっていくといのは悩みですね。これは議員になってビックリしましたね。
議員になればもっと市民との議論をする時間が増えると思っていたんですよ。
よく昔から議会で良い仕事をしている人と後援会活動ばっかりしている議員と二つタイプがあると。選挙で強いのは後援会活動をやっている議員だと言われてまして、実際になるほどそやなと思ってまして、ちょっと焦ってます(汗)



最後になりますが、若者にむけてのメッセージをお願いします。


一つは、なぜ投票にいかないのかのメッセージを私たちに伝えてほしいと思います。理由を僕らは議論したいと思っています。その中で、自分の住んでいる街であるとか、堺のことを夢を持って変えていけるようなアプローチの仕方が見えてくるんじゃないかと思っています。むしろ、今の状態になっている責任は、それまでの大人が作り出した責任であるわけですから、今僕らは一生懸命やっていますし、できるだけメッセージを伝えたいと思っていますので、気づいた人から、声を上げたい人からメッセージを僕らに伝えてほしいと思います。
もう一つは、現場を実際に見てほしいということです。自分の目で見たことをちゃんと確認してほしい。どうゆう視点でものを見てほしいかというのは、歴史に学んでほしいと思います。あと、自分の夢の実現がみんなのしあわせにつながるんだという方向での物事を考えてほしいと思います。若い人が、投票に行けば日本の社会はもっと良くなります。



(インタビュー:2004-08)


1955 和歌山県に生まれる。 和歌山工業高校卒業。
1975 国鉄(現JR)に勤務、後に病院に勤務。
2003.5 堺市議会議員に初当選。
※プロフィールはインタビュー時のものです。



堺市会議員 田中 丈悦




市区町村議会議員


堺市会議員 田中 丈悦



政党
無所属
選挙区
大阪府堺市
初当選年
2003年
当選回数
1回(市議選1回)






はじめに田中議員が政治家になられたきっかけを教えてください。


8年前にO157集団食中毒事件が発生したとき、3名の子供が亡くなり、9000名の市民が被害を受ける事件が発生しました。それまでは行政と自分であるとか、一人の市民の生活と行政は、関係ないところにあると思っていました。いろんな社会的な問題については関心があったけれど、でもあの事件をきっかけにしてですね。学校給食という1つ自治体の政策の中で発生した事件ですから。全容が解明されてきちんとその欠陥が明確になって、改善されていくだろうと思っていたんです。ところが堺市の当局が、当時なくなられた子供の親から訴訟をされた時に、堺市当局は一切責任がないんだということを、最後に負けるまで法廷で主張し続けてきたわけです。あるいはその一方で、当時の厚生省とか含めて、原因とかの解明作業が進んでいたんですけども、結局半年たっても原因がわからないという迷宮入り事件のような形になってしまったことが、おかしいんじゃないかと思ったんです。
こうしたことを通じて、2つのことがわかった。
1つは行政と市民の生活というのは密接に関連していると言うこと、もう1つは、行政が本来であれば住民の生活を守らなければならないにも関わらず、そうゆうふうな行政の体制になっていないということですね。
本来地方自治体というのは、市民の生命や、安全、生活を守るためになければいけないものですよね。まぁ、住民自治もそうなんですけど、地方公共団体の役割というのは住民の福祉の向上です。



堺市の職員になろうとは思いませんでしたか?


自治体の職員の中にも非常に真面目で、熱意のある職員はいるんですよ。どこの自治体でもそうなんですが、首長の方針とか政策によって、ずいぶん職員のやる気であるとか、能力の発揮の仕方が違うと思います。ニセコであるとか志木市であるとか、いろんな形がありますが、僕が考えているのは、住民がどうやって行政に参加できるか。行政との協働という言葉が使われていますが、そういう市民参画の自治体を造りたいと思っています。
市民参画の自治体をつくろうと言う言葉自体は、どこの自治体の首長も言いますけど、実際、行政の中でそうゆう機構を造っていく、審議会の制度を改革していくというのは、まさに首長の考えによりますね。また堺市の職員の現状で言えば、ずいぶんやる気を削がれている面が多いのではないかという印象を持っています。もっと職員の能力を発揮すると言うことは十分にできるはずなんですが、それが出来きれていないんじゃないかなと思います。だから答えになっているかはわかりませんが、本当に職員の人と一緒に自治体の改革はしていきたいと思っています。
例えば、自治基本条例や市民参画条例など、全国の自治体で始まっていますけども、それを造っていくのは行政の中からの働きもありますし、議員からの働きもありますし住民からの働きもあります。
一番早いのは首長が「やる!」と言えば決まるのが全国の状況なんですが、そうでなければ、市民の意識のボトムアップを図りながら一緒にしていくことが大事だと思います。



スタンス明確市民派という独特の名前の由来はなんですか?


これは、選挙の時に使っていた田中たけよしのサブスローガンで、そのまま一人会派の名前でも使っています。市民派という言葉は、なにをもって市民派とするのかが分からないというところがあると思います。市民派ということば自身が幅広く使われていて、誰でもが市民派を名乗るという状況がありますし。
前にある先輩と話したときに、いろんな政党がありますよね。政党に所属している、所属していないに関わらず、市民の立場に身を置いて考えるということが市民派として提起していいんじゃないかという議論をしたことがあるんですけども、業界であるとか団体であるとか、さまざまな権益組織がありますけど、そうゆうところに利益基盤、自分の目標、スタンスを置くのではなくて、普通に生活している人の立場で物事を考えていかないとダメだと思います。
議員になってわかったことなんですが、議会の常識と市民の常識はずいぶん違うんですよ。市民の目から見ればずいぶん非常識なことが、議会や議員の常識になってしまっているんですね。そうゆうことではダメだろうと思っています。議会の中ではなくて、議会の外の視点に立脚しないと何も変わっていかないですし。
市民派の中でもあいまいな形じゃなくて、一つ一つの問題に対して、自分の考え方を明確にしていきたいと思います。それは白とか黒とか100とか0とか言うのではなくて、自分の態度を鮮明にする必要があるんじゃないか、ということ。自分の視点ももっと明確にということで、こうゆう名前にしています。



議員になるまえはどのようなことをされていたのですか?


20の時に和歌山から大阪に出てきまして。2年くらいフリーターをしてました。喫茶店であるとか、遊園地であるとか、新聞記者のバイトだとか、本当にいろんな仕事をしてきました。それで今のJRに就職をしました。
その中で8年前に食中毒事件が起きて、これではあかんと思いまして、自治体とか地方政治に疑問を持っていたので、立候補しようということになりました。それにあたって、お金もなかったですから、退職金を選挙資金に充てて、見事に負ける、ということになりました。
年が明けて1999年の4月に病院に就職しました。そこでは男性のホームヘルパーとして入ったんですが、当時としては全国的にも男性のホームヘルパーが病院で働いているというのは少なかったのですごく珍しがられました。で、そういう仕事をやって病院のこと、医療のこと、介護、現場のことはすごく勉強になりました。で、昨年の4月に2回目の挑戦で、議会に送り出していただきました。



JRの職員という安定した職を捨てても、議員になりたかったですか?


あの当時で、食中毒を経験しているということは堺の人にとって大変インパクトがあったことなんですね。行政に対して情けないと思いましたね。人が死んでいながら、私たちには責任がないと言い続けるというのはまともかと思いました。その憤りは大きかったです。
あと、自分がそうゆう風に考えたとき、どう言ったら良いのかわからないんですけど、自分でやりたいと思うこととか、自分がやるべきだと思うことを、自分が思うようにできるってのは、幸せな事ですよね。
ある意味で言えば、自分の中に持っている物を実現させていくってことですよね。ポリシーだとか、想いであるとか。それがやれるということに、挑戦していく価値は大きいですよね。という風に僕は考えたんです。
だけど落ちると思うと心配でした、落ちたらなにしようと考えてましたし。でも、選挙活動をしていれば、いつか必ず当選するという意識はありました。自分のしていることに間違いはないはずだと。前回負けたし、次も負けるかもしれないけど、いつか理解されるという確信めいたものはありました。



いつまで議員をしたいですか?


議員というのは市民の代表として議会に入っていると議論したことがあります。市民の先頭に立って、市民の皆さんと一緒に議論していく仕事はずっとしていきたいと思います。ただ、議会の活動や、市の提案とかいろんな仕事がありますよね。予算の分析とか、決算の質疑とかでかなり時間が食われてしまって、自分のやりたいことをもっと掘り下げてみるとか、思っていた以上に、仕事をすればするほど市民との交流の時間が少なくなっていくといのは悩みですね。これは議員になってビックリしましたね。
議員になればもっと市民との議論をする時間が増えると思っていたんですよ。
よく昔から議会で良い仕事をしている人と後援会活動ばっかりしている議員と二つタイプがあると。選挙で強いのは後援会活動をやっている議員だと言われてまして、実際になるほどそやなと思ってまして、ちょっと焦ってます(汗)



最後になりますが、若者にむけてのメッセージをお願いします。


一つは、なぜ投票にいかないのかのメッセージを私たちに伝えてほしいと思います。理由を僕らは議論したいと思っています。その中で、自分の住んでいる街であるとか、堺のことを夢を持って変えていけるようなアプローチの仕方が見えてくるんじゃないかと思っています。むしろ、今の状態になっている責任は、それまでの大人が作り出した責任であるわけですから、今僕らは一生懸命やっていますし、できるだけメッセージを伝えたいと思っていますので、気づいた人から、声を上げたい人からメッセージを僕らに伝えてほしいと思います。
もう一つは、現場を実際に見てほしいということです。自分の目で見たことをちゃんと確認してほしい。どうゆう視点でものを見てほしいかというのは、歴史に学んでほしいと思います。あと、自分の夢の実現がみんなのしあわせにつながるんだという方向での物事を考えてほしいと思います。若い人が、投票に行けば日本の社会はもっと良くなります。



(インタビュー:2004-08)


1955 和歌山県に生まれる。 和歌山工業高校卒業。
1975 国鉄(現JR)に勤務、後に病院に勤務。
2003.5 堺市議会議員に初当選。
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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