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2011/12/6インタビューVol.078 [首長] 奥山 恵美子 仙台市長 「助け合うことを前提にして、社会も家族も成り立っている。」

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市長

仙台市長 奥山 恵美子
所属 仙台市長
選挙区 宮城県仙台市
公式サイト

 

奥山市長は、政令都市では全国初の女性市長ですが、女性ならではの強みなどありましたら教えてください。


主婦や女性の目線で、市政に取り組めることです。
市町村の仕事は、国や県と比べると、一番住民に近いため、いろいろな人たちの生活や暮らしに関係することが多いですね。例えば、ゴミを集めたり、子供たちの教育を考えたり。
私自身も主婦として、子供を育てたり、ゴミを出したり、環境の問題として石鹸をどうするかとか、市の行政に関係するいろいろなことを自分の生活を通じて体験しているという実感があります。ですから、女性であることが市政の中でも経験を生かせる強みだと思います。



今まで市長をやってきて「やりがい」を感じるのはどのような時でしょうか。


市民の方から直接、喜びの声をいただいた時ですね。住民、市民の方と、とても近い仕事をしていますから。
今回の震災関連で学校を修理したり、泉区にある子育てふれあいプラザ「のびすく泉中央」という子供たちが集まる場所を修復したりしたのですが、そういう場所に赴いて、市民の方から「直して頂いてありがとうございます」と、喜んでいただけた時には、やりがいを感じます。



震災時に仙台市長として真っ先に行った対応はどのようなものだったのでしょうか。


災害対策本部を立ち上げました。 地震が起きる1分か2分前まで議会中で、ちょうど休憩になり、廊下に出た瞬間に揺れが来ました。宮城県沖地震の再来だと、私の周りにいたみんなが思っていました。
大きな地震があると、市役所は普段の仕事を一旦お休みしてでも、災害対策中心に取り組む組織を立ち上げなくてはなりません。
今回も宮城県沖地震の時と同様に、直ちに災害対策本部を立ち上げ、消防はヘリも飛ばして、被害状況を見て回りました。
当時、一番心配したことは火事でした。前回の宮城県沖地震は火事が多発したからです。震災当日は3月で寒かったので、火事が各地で起きたら大変だということで、火事の状況を消防に確認させました。
また、施設ごとに職員が戻っても大丈夫な状態か、余震の中で怪我する事のないように点検させたりもしました。
とにかく、なるべく早く仙台市内の被害の状況(今どこかで火事がないか、通れない道路がないか、水道やガスはどうなっているか等)を把握することに努めました。状況がわからないと対策も立てられないので、状況把握のための指示を出し、災害対策本部で担当部署から返事がくるのを待っていました。



仙台市の課題や若者に期待することがありましたら教えてください。


今の時点で言えば、街を復旧・復興していくことが大きな課題だと思います。
特に住まいは暮らしの上で大切なものです。今回の震災によって、海岸地帯では2000軒以上の方が被害を受けていますし、郊外でも4000軒以上の宅地が被害を受けています。こうした方々が一日も早く新しい場所を定めて、前と同じように普通に平穏な暮らしができるよう応援していくことが仙台市で一番力を入れていくべきことです。
また、若い人には、いろいろな意味で、ビジネスにチャレンジしていただきたいです。
職業に就くことは、自分の生活を立てるためでもありますが、自分の力で社会に貢献するということでもあります。例えば、民間なら、店をやって、社会に必要とされている物を売ることが仕事になります。
街に尽くすというのは、我々公務員だけではなくて、色々なサービスをするなり、店をやるなり、事業を起こすなり、色々な形で関われます。仕事を通して社会に参加していくというのが、若い人の力を発揮する一番素晴らしいカタチじゃないかなと思います。
特にこれからは、今までよりもちょっと視野を広く持って頂く必要はあると思います。グローバルな社会ですから。仙台で仕事をするにしても、相手の方は韓国の方やベトナムの方かもしれません。日本語だけではなくて、各国の人と話すかもしれないですからね。



今後、仙台市をどのような雰囲気の街にしたいとお考えでしょうか。


もっと安全度が高くて、どんな自然災害が来ても乗り越えていける、どなたが住んでも安心できる街にしていきたいと考えています。
今回の震災は、M9.0という、とても大きい地震でした。こういう大きな地震が、100万人以上が住む都市にあったのは世界的にも珍しいのではないでしょうか。地震の時に、大きい街で水道やガス、鉄道がどうなったか、どこがうまくいってどこがダメだったかを検証して、世界にしっかり発信していくことは、これからの防災に役に立つと思います。
今回の震災から得られた教訓をしっかりまとめて、今後、世界の津波や地震の多い街に向けて、こうするともっと安心安全な街になるのでは、と仙台から発信していきたいです。
なかなか1年や2年ではできないことも多いですが、コツコツやっていくことが一番だと思います。今回も、前回の地震から30年くらいかけてガス管や水道管を地震に強いものにしているところだったため、他の都市に比べれば、はるかに被害は少なかったと思います。今回壊れた部分も含めて、安心できる街に少しずつ直していきたいですね。



奥山市長お気に入りの仙台市内のスポットを教えてください。


仙台には、素敵なところがいろいろありますが、例えば、広瀬川沿いなんかはとてもいいなと思います。
広瀬川沿いを、海の方まで歩いて行っても、とてもきれいです。100万都市にきれいな川が流れていて、その両側には遊歩道もあって、朝早くから、ジョギングしている人や犬を散歩させている人もいる、というところがいいですね。
また、仙台市の施設で言えば、野草園がオススメです。地味な場所ではありますが、珍しい山野草が季節ごとに咲いていますし、秋には仙台市の花である萩もきれいに咲いているので、とても好きな場所です。



東北大学在学中の奥山市長の大学生活は、どのようなものでしたでしょうか。


今の時代と私が大学に行っていた頃は、世の中の状況が若干違っていました。日本の社会が政治的に変動している頃でした。
私は昭和45年に入学し、49年に大学を卒業したのですが、いわゆる学生紛争が大学を席巻していました。東大の入試が無くなったり、学生が大学を占拠したり、というのが東北でもあった時代で、まず一年の半分くらいは大学の授業がなかったですね。ロックアウトと称して学生が大学を勝手に封鎖して閉じこもり、授業ができない状況で、大学もそれを認めていました。何カ月かすると機動隊が入って授業を再開しましたが。そのような状態で試験も無かったので、試験の成績ではなく、全く本人の意思とは関係ない所で、落ちた人と受かった人がいたというような時代でした。こんな時代だから、試験しても仕方ない、卒業させてしまおうという先生の授業を取っていた人は卒業し、一方、勉強してないから勉強させようという先生にあたった人は落第、という感じでした。ですから、皆さんの半分くらいしか大学に行かなかったと思います。
サークルも、あまり堂々とやっている方は、いなかったように記憶しています。運動といえば学生運動でしたからね(笑)。



奥山市長の考える「ジャパンプロデューサー」についてご意見をお聞かせください。


官民を問わず、志や力のある人が集って、国や地域を良くしていこう、という動きはとても素晴らしいと思います。
日本は明治以来、国や自治体が社会を引っ張っていくのが比較的強い国でした。現代は、国や自治体がまちづくりを先導するだけじゃなく、民間の人たちがやれる部分もいっぱいあります。しかも、その方が、住民に評判のいいサービスを提供できることもあります。
また、今回の震災で「ジャパンプロデューサー」だけではなく、「仙台プロデューサー」も、改めてたくさんいるのがわかりました。心強くて、素晴らしいことだと思います。
もちろん、仙台から出て日本全体を良くしよう、という視野で活躍していらっしゃる方もいますけれども、仙台に住んで仙台を良くしようという人もこの街には多く、それは全国にも誇っていいことだと思います。
例えば今回の震災で、光のページェントでは、55万個の電球が流されました。それでもしっかりやっていこうと、全国からの支援を受けながら開催しています。これも、仙台市民の力ですから、ジャパンプロデューサーも素晴らしいし、仙台プロデューサーも素晴らしいですね。



私たちは議員インターンシップ活動を通じて、「若年投票率の向上」に寄与して参りました。先日の宮城県議会選挙や、仙台市議会選挙の投票率が低かったことも踏まえまして、「若年投票率の向上」のアイディアがあれば教えてください。


学生の皆さんにもわかりやすい市政の情報発信をしていくということでしょうか。
若い方の投票率が低いのは、残念なことではあります。しっかりと仙台市がやろうとしていることを知ってもらうことが大事です。
行政というのはご承知の通り、「今日やったことが、明日結果が出る」というわけではなくて、10年後や、それ以上たってから成果が出るということもあります。ですから、まず、若い方に知ってもらうことが大事ですね。
我々にも反省すべきところはあり、若い皆さんは、まだ大学で勉強していらっしゃるから、家庭を持っていらっしゃる方のようには、ゴミ処理や子育ての支援の政策で、仙台がいいのか悪いのかとかすぐにピンとはこない所があります。
だから、もう少し、学生の皆さんにもわかりやすい市政情報の発信があった方がいいのかと思いますね。



若者に向けてメッセージをお願いします。


「助け合うことを前提にして、社会も家族も成り立っている」ということをわかっていただきたいです。
今、私達が暮らしている社会はとても便利な社会です。ある意味ではお金さえあれば困らないと思っていたというのが震災の前までは大きかったんじゃないかと思います。
それが、震災があって、年配の者も含めてですが、特に若い方はこれだけ社会が窮乏するのを初めて経験したと思います。今まで自分一人でお金さえあれば不自由なく暮らしていけると思っていたのが、助けあって、初めて人間が生活していけるのだということがわかったと思います。
震災で、やっぱり助けあうことが基本だということを、社会全体が自覚しました。そういう点では、貴重な機会だったとも思います。
結婚したり、地域で生活したりする時にも、助け合うことが必要だったなと気付けると思います。そして、誘われたら近所のお祭りにも行ってみよう、ゴミ拾いの清掃にもお隣さんと顔を会わせて行ってみよう、など、「一緒に共同して何かをやる」ということの大切さも感じていただけると、これからの皆さんの人生にも役に立つのではないかなと思います。



(インタビュー:2011-12-06)


昭和50年4月 仙台市職員に採用
平成  5年4月 市民局生活文化部女性企画課長
平成13年4月 教育局生涯学習部参事
(財団法人仙台ひと・まち交流財団メディアテーク館長)
平成15年4月 市民局次長
平成17年4月 仙台市教育委員会教育長
平成19年4月 仙台市副市長(~平成21年3月)
平成21年8月 仙台市長に就任
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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