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2012/8/24インタビューVol.082 [首長] 阿部 孝夫 川崎市長 「誰かのために、今自分に何ができるのか。いつも、チャレンジをすることを忘れないでください。」

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市長

川崎市長 阿部 孝夫
所属 川崎市長
選挙区 神奈川県川崎市
公式サイト

 

市長になろうと思われた動機やきっかけを教えてください。


もともと、自治省(現在の総務省)の公務員をしたり、大学で教鞭を執ったりしていたのですが、その中で特に自治体の行政について深く関わる機会が多くあり、地方の過疎地域の村おこし等にも参画していました。
そうした中で、自分自身の住む川崎市も、地域の「村おこし」のような考え方で「まちづくり」をすれば、もっとよい市になると考えるようになり、それを実行してみようと市長選挙に立候補しました。



市長が思われる川崎市の良いところ、持っている資源とはどのようなものですか。


川崎市は人口約140万人の大都市です。

人口の少ない小さな村であれば、何か一つその村で誇れることを探して村おこしをします。ところが、川崎市の人口は140万人、仮に1万人の人口の地域と比べると140倍の多様性があるわけです。ということは、光の当て方によっては無限と言えるほど良いものが見つかります。
このような多様性が川崎市の良いところであり、貴重な資源だと考えています。
また同時に、川崎市の持つ歴史、経験も大きな強みだと考えています。

かつて川崎市は公害のまちといわれていましたが、現在では工業生産を続けながら、公害を克服したまちとして知られています。公害を克服する過程で培われた世界最先端の環境技術とそのノウハウの蓄積が、川崎市の一番の強みです。

公害問題は中国やインドなど急激に経済成長している国々が直面しており、必ず解決しなければいけないものですから、川崎市が持つ最先端の環境技術でこの問題の解決に寄与し、国際貢献していきたいと考えています。



市長としてのやりがいは何ですか。


一番のやりがいは、自分で計画・実行したことが具体的に実現することです。

例えば、「音楽のまち・かわさき」という文化振興の取組もそのひとつです。
私の市長就任当初、川崎市にもともとクラシックコンサート専用の文化施設を作ろうという計画がありました。このような大型の文化施設を維持するには、だいたい500万人ぐらいの対象人口が必要ですが、川崎市の人口は当時125万人程度。川崎市民全員が音楽好きになってもまだまだ足りません。

しかも私が市長に就任した時、川崎市民に「音楽のまちはどこですか?」と聞くと、横浜と答える方が多く、「川崎」と答える方はたったの3%足らずでした。これでは施設の維持はできません。
では施設を作らなければ良いのか?

良く調べてみると、川崎市には、洗足学園音楽大学や昭和音楽大学などの音楽に関わる資源がたくさんありました。このような資源を効果的に活用し、東京や横浜など川崎市の周辺の方々にも来ていただけるような音楽のまちづくりを政策として進めたわけです。

「音楽のまち かわさき」を広く発信するために一番効果的なのは、多くの方が見るテレビ放映ですが、全国放送の放送局にお願いすると億単位のお金が必要となります。
ところが、地方の放送局にお願いすれば、数千万円ほどで済みます。確かに全国区で放送されることには意義がありますが、川崎、横浜、東京などの方々が気軽にチャンネルを回して「音楽のまち まわさき」と度々案内されれば、十分に宣伝効果はあります。無駄なお金を使わずに、地域の民間の力を借りて効率的に情報発信すれば良いわけです。

また、路上ライブの場所を用意するなどの様々な取組により、次第に市民の意識に「音楽のまち かわさき」が定着し、音楽のまちづくりを始めてから5年後、政策研究大学院大学が「音楽のまちはどこですか」と調査したところ、川崎市と答える市民は実に70%にまで増えていました。



市政に携わる立場として、若年層に、より関心を持って欲しいことなどがあれば教えていただけますか。


川崎市は、戦後の高度成長期に重化学工業を中心に発展してきた産業都市であり、これからも日本経済を牽引していく都市として発展していかなければいけないと考えています。
そして今、川崎市は企業の工場跡地が次々と付加価値の高い研究開発機関となり、まさに世界的な研究開発センターへと変貌を遂げています。

特に、少子高齢化・人口減少社会の到来を見据えて、医療、環境、福祉など、今後大きな成長が見込まれる産業の振興、いわゆるライフ・グリーン・ウェルフェアイノベーションへの取組を積極的に進めており、国際化した羽田空港に最も近い利便性の良さを生かして、川崎市は大きな新しい可能性を次々と花開かせています。

魅力にあふれ、やりがいのある多様な職場を見つけることができる川崎に、是非多くの若い方々に目を向けてもらい、そこで何ができるのかを考えて欲しいと思います。



市長は大学生の頃、どのようなことをされていましたか。


具体的に何かに打ち込むというよりは、中途半端な生活をしていたように思います。ただ、自分の実家が福島の農家なので、「社会全体がどうなるのか」「産業はどうなっていくのか」など、行政・政治などに関心がありましたので、『公務員になりたい』という気持ちは、はっきりとしていました。



最後に若者へのメッセージをいただけますか。


チャレンジする気持ちを持ち続けてください。最近の大学生の皆さんは、非常に紳士淑女でまとまっている印象がありますが、時には大胆に様々なことを発想することが重要です。時には難しいと思っても、国際社会の中で、色々な事業をやっていくんだという気概を持って果敢に挑戦していってください。

もう一つ、自分だけが良くなろうという発想だけでは何も生まれません。
自分たちが持っているもので、どうやったら他人の役に立てるかという視点を持つようにしてください。
人が生きていくということは、人の役に立つということ。そして、その見返りが自分たちにあるということです。
今の自分たちのことを考えることも大事ですが、自分が高齢者になったとき、あるいは、将来、自分の子供たちが大きくなったとき、10年、20年後にどのような社会やまちになっているのか、というような視点や価値観を学生のうちから身につけてもらいたいと思います。



(インタビュー:2012-08-24)


昭和42年04月 自治省入省(埼玉県庁へ出向)
昭和56年04月 自治大学校教授
昭和57年04月 石川県企画開発部次長・同部長
昭和58年04月 石川県商工労働部長
昭和59年07月 石川県総務部長
昭和59年12月 環境庁企画調整局環境管理課長
昭和62年04月 市町村アカデミー教授・研修部長
平成04年04月 北陸大学法学部教授
平成08年04月 高崎経済大学地域政策学部教授
平成10年08月 高崎経済大学地域政策学部教授・地域政策研究センター所長
平成12年04月 法政大学社会学部教授、同大学院社会科学研究科兼担教授、高崎経済大学非常勤講師
平成13年11月 川崎市長 (現在3期目)
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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