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2012/9/20インタビューVol.083 [首長] 岡村 幸四郎 川口市長 「人生やり直しはきく。だから、やりたいことは恐れずにやっていこう。」

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市長

川口市長 岡村 幸四郎
所属 川口市長
選挙区 埼玉県川口市

 

市長になろうと思われた動機やきっかけを教えてください


僕の祖父が川口市で鋳物工場を経営していたのですが、東京オリンピックの際に聖火台もつくらせて頂いて、川口市には非常にお世話になっていました。僕の家は五人兄弟で僕は末っ子の四男で、大学を卒業した当初は民間企業に就職したのですが、勤めて一年もしないうちに祖父に「一人くらい川口市のために働いてもいいだろう」と勧められて市役所を受け、入庁することになりました。

そこで、区画整理など様々な仕事に関わらせて頂いた後、秘書課に異動しました。すると、前任の市長の下で政治の世界を垣間見る機会がとても増えたのです。その中で、「自分ならもっとこうしたい」という思いが次第に大きくなっていきました。

そんな時に前任の市長から市議会議員選挙への出馬のお話を頂き、渡りに船というような気持ちで選挙に挑戦してみました。多くの方々のお陰で当選させていただき、市議会を1期やらせていただいたのですが、やはりもっと大きなフィールドに挑戦したいと思い、県議会へ出馬しました。県議会も2期6年間努めさせていただいたのですが、議会で発言をしているだけでは、何かを変えるには力が弱いと思うようになり、前任市長の引退を契機に首長へ挑戦することにしました。

今でこそ、若い市長も増えていますが、当時44歳で40万人を超える人口の都市での首長は相当珍しかったと思います。



公務員から議員に転向される際に迷われたりしましたか?


全くといっていいほど悩まなかったですね。
最初、前任の市長から市議会議員を勧められた時、即「出馬します!」と答えたら、「一日くらい悩んできてよ・・・」と言われてしまったくらいでしたから(笑)

ただ、僕が高校生のころは学生運動がとても盛んな時期で、その時は東大などで入学試験が出来なかった年なのです。そういう世代でしたから、70年安保や沖縄返還など世間が注目する問題についてすごく考えましたし、学生時代はデモに参加したりもしていました。そういう事が今に結びついているというわけではないのですが、ただ当時は政治がとても身近だったなと思います。



今の大学生はデモなどのカタチでの声をあげることをあまりしませんが、良い悪いは別としてどのように感じますか?


もう少し若い人達が声を挙げてもいいかなと思うときはあります。ただ、当時と比べて皆さん随分とハングリー精神がなくなってきたのかなと思います。色々な意味で豊かになり、政治レベルで起こる様々な問題を自分の身近なものだと捉えられなくなってしまっているのだと思います。



市長が高校・大学時代のころはどのような事をされていたのですか?


いま、「タイムマシンで戻るならいつの時代?」と聞かれたら、躊躇なく「高校時代」と答えますね。そのくらい、高校時代は本当に楽しかったし、僕の人格形成に大きく影響を与えた時代でした。高校時代は先程もお話したとおり、とても学生運動が盛んな時期でした。

あと当時は「ビートルズ」も流行っていましたね。だから当時は「政治」と「音楽」にはとても影響を受けました。本もそこそこ読んだつもりです。友達とバカげたことも沢山やったし、一方で70年安保について夜を徹して話し込んだこともありました。

そのような、とても政治に興味を惹かれた高校生活があったので、大学時代にもデモに出ていたのですが、強い意思を持って参加していたというよりは、「本当にこのままで良いのか?」「なにか自分にもできないか?」というような、小さな問題意識から動いていたような感じが強かったと思います。学生運動といえば左翼とみられがちですが、そういう意識はなかったです。セクトにも入っていませんでした。

振り返りますと、改めて周囲に様々な政治的刺激があった時代だったなと思います。



川口市の良い所はなんですか?


川口市は活力の街だと思います。私がよく言うのは、川口は「寄せ鍋の味」「ごった煮の味」だと表現するのですが、ひとつのことだけに目を向けるのではなく、モザイク模様のように様々な人が活力を発揮してこの市を構成していると思います。とにかく、元気なまちですよ。



市政の中で特に注力していることはなんですか?


本市は荒川を隔てて大都市東京が、そして北には「さいたま市・さいたま新都心」と大きな都市に挟まれています。ですので、東京に飲み込まれる危機感とか周囲に埋没してしまう危機感というのをいつも感じています。その中で如何にして本市の価値感・存在感、オリジナリティを発揮していくかということを常に考えております。

「きらり川口」というのはナンバー1でなくても良いからオンリー1の元気な街になろうという思いからできたものです。
「さいたま新都心」の構想ができた時はもう埋没必至というような悲観的な雰囲気が大きかったのですが、今はそんなことを言う人は誰もいなくなりました。

もう一つ、私は「市民の成長」というものをすごく大事にしています。
私が市長になった時は1997年。それからずっと市長をやらせていただいているので、僕は20世紀から21世紀にわたって市長を務めさせて頂いていることになります。振り返ってみると20世紀は経済成長イコール人間の幸福という価値観で埋め尽くされていたように感じます。
ところが失われた20年を経て、その価値観だけではだめだなと気付き、人間の成長こそが街の成長につながると考えるようになりました。

川口市では50歳で「盛人式」(せいじんしき)という取り組みを行なっているのですが、この会で出会った人同士が新しいグループを作るようになったり、そのグループが市内で新しいボランティア活動を始めてくれたりするなど、様々な波及効果が生まれていっています。
また、地域へ還る大学というコンセプトで、学びたいという欲求のある方々へ向けて「盛人大学」というのを設立しました。これは今年から固定キャンパスを持つなど、相当に人気を博しています。こういう取り組みを通して、団塊の世代のもつ熱意を地域に根付かせることも重要だと考えています。



最後に私達の世代へのメッセージをいただけますか?


人生はとても短い。だから、やりたいことやってください。と言っても無責任なことでは困りますが。人生やり直しはききます。
僕が市役所を退職した時、実はその後の生計についてはほとんど当てがありませんでした。実際結構困ったのですが、その時に助けてくださった方がいました。

もちろん、こういう事をアテにしてはいけないのですが、熱意を持って取り組めばそれを見てくれている人は必ずいます。たとえそれがなくても、「何とでもなる」という気持ちを持って目標に向かって進んでいくことが大切だと思います。僕は、「思えば叶う」という言葉が好きです。

肉食系になれとは言いませんが、逞しく、したたかに生きて欲しいと思います。

あと、本は沢山読んでください。特に古典的なものを薦めます。個人的なオススメは古典とは言えませんが五木寛之の「大河の一滴」という本です。内容は少し暗いのですが、「人間ってこういうものなんだな」と深く感銘できると思います。

若い時代は、純粋さと熱意を持って、いろんな体験をしていってください。「純粋な心」を大切に生きていってください。



(インタビュー:2012-09-20)


昭和28年1月12日生まれ やぎ座 A型
昭和46年3月 埼玉県立浦和高等学校卒業
昭和51年3月 早稲田大学法学部卒業
昭和51年4月 東急不動産(株)入社
昭和52年4月 川口市役所奉職
昭和62年4月 川口市議会議員初当選
平成03年4月 埼玉県議会議員初当選
平成07年4月 埼玉県議会議員再選
平成09年5月 川口市長初当選
平成13年5月 川口市長再選
平成17年5月 川口市長三選
平成21年5月 川口市長四選
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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