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2012/11/30インタビューVol.101 [首長] 吉田 信解 本庄市長 「未来を切り拓こうとする積極的な意思は、自分自身そして日本の価値に気付くことから始まる。」

101

市長

本庄市長 吉田 信解
所属 本庄市長
選挙区 埼玉県本庄市
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市長になられたきっかけを教えてください。


私の場合は市議会議員を10年やっていたのですが、市議会議員となる前から、自治体の長には漠然とですが関心がありました。私はこのまちの寺の息子として育ちましたが、祖父が住職と市議会議員を両立してやっていたので、小さな頃から本庄市の様々なことを聞かされていました。祖父は私が議員になる前に亡くなりましたが、地域の政治に携わることになったひとつの要因として、祖父の影響があったと思います。
とはいえ、私が本格的に政治というものに触れるようになったのは大学生の頃でした。

元々私は政治というよりジャーナリストや外国との貿易にかかわることに興味がありましたが、ひょんなことから多くの政治家を輩出している早稲田大学雄弁会に所属し、とうとう大学の勉強よりそちらの活動の方が主になってしまったのです。そのご縁で小渕恵三元総理(当時は官房長官)の事務所において書生のようなことをしたり、様々な選挙の応援をしたり、その後台湾に留学したりと、貴重な経験をさせていただきました。こうして政治への関心も高くなったようです。

その後、実家の寺を継ぐため、大学を卒業してから仏教系の大正大学大学院に入りました。そして地元に戻り、寺の仕事のかたわら、青年会議所(JC)や台町青桐会という町内会の青年団体に入り地域活動をしていく中で、本庄市議選出馬を勧める周りの声もあり、「やってみようか」という自分の思いも強くなっていきました。ちょうどバブルがはじけた後で、社会の構造が大きく変わっていく時代がきていると感じていました。
地域を良くする時代の流れに自分の力を試してみたいと27歳で市議選に挑戦し初当選。その後3期10年つとめる中で、市長を目指す意思を固め、37歳で立候補、当選となりました。小さな頃からの地道な積み重ねを大事にし、多くの人に支えられたからこそ、こうして市長になれたのだと思います。



市長をやっていて、市民の声はよく届いていると思われますか?


これは市の規模にもよると思います。本庄市は8万人の人口ですが、私の考えではこのくらいの数が市長にダイレクトに意見が入ってくる限界なのではないかと思っています。
多くの市民の意思を市長である私が把握しようと努める。もちろん市長だけでなく組織としての市役所が市民ニーズをとらえ、真に将来に必要な施策を行わねばなりません。ただ、今は孤独な時代です。不当な要求には応じませんが、市民は市長と決して隔絶されたところにいるのではない、という想いを出来るだけ感じていただけるよう努めています。さまざまな行事など、市民と関わる場所には足を運んでいますし、そこで声をかける、またかけて頂けることは嬉しいことです。これから先も一人ひとりとのご縁を大事にしてゆこうと思っています。



今現在の教育に関して、どうお考えですか?


昔よりも良くなっているのではないかと思っているのは、討論をして物事を形成していくプロセスを今の子の方が学んでいる、というところです。私の学生時代を考えてみると、物事を話し合いでまとめていくということを学んだ機会は小学生の時くらいのものでした。中・高校生になってからは覚えることの勉強が主で、議論をかわしてその合意点を見つけるといった勉強をする機会はほとんどありませんでした。その影響か、私たちの世代の「議論」とは、相手の意見を聞きお互いの意見をすり合わせ納得した上で進めていくのではなく、ただ相手の落ち度を見つけて批判し、自分の優位性をいかに主張できるかを考えているだけのものが多いように思います。テレビの討論会などはほとんどそうです。
今は若い人たちは、顔を突き合わせてのコミュニケーションは確かに減っていると思うけど、あるテーマについて自分の意見を持って討論をする場はむしろ昔より多く、人の意見も取り入れながら議論を進めてゆく能力が発達している人もいると感じます。インターネットなどによって一人ひとりが情報発信できる世の中なので、キチンとした自分の意見を持ち、得た情報でさらに自分の考えに磨きをかけ、それを発信してゆく力を教育面で伸ばしていけば、きっと立派な人材として成長していくのではないかと思っています。
自ら情報発信するための土台づくりで大切なのは、国語と歴史。自分たちが何者なのか、日本語の持つ深さと祖先が持っていた志をキチンと教えること。日本という国、日本人の歩みについて、多角的に深く学べば、おのずと次世代のためのやる気が出てくる、そう思います。



本庄市の特徴を教えてください。


塙 保己一という偉人の出生地です。幼い頃の病で全盲になりましたが、数多くの人々に支えられ、懸命に努力して当時の盲人の最高の位まで上り詰めた人物です。漢学が主流だった当時、国学の大切さを説き、弟子と共に日本中の文献を集めて回り、全てをまとめた上で校正し、ジャンル別に分けた「群書類従」の刊行を成し遂げました。
もう一つは中山道最大の宿場町として栄えたということです。江戸と京都を結ぶ中にあったので、今でも山車やお祭りは立派なものが残っています。



若者へのメッセージをお願いします。


今自分の立っている場所、現実をしっかりと自覚し、そこから出発しようという気持ちが大事だと思います。辛い大変な時代かもしれませんが、私たちが生まれ育ってきたこの日本という国は素晴らしい歴史を持ち、世界に対しても大事な価値を持っています。そのことに気付き、それを後世に伝えて行かなければ、というスイッチが入ればもっとみんなが元気に、社会を盛り上げようということになっていくのではないでしょうか。
人間、幸せになりたかったら、学校においてであれ、社会においてであれ、真面目に社会を支えている人物に早く出会うことです。自分もそうやって社会を支える人間になろうという気持ちが生まれることは、何よりの幸せだと思います。



(インタビュー:2012-11-13)


平成  7年 5月  本庄市議会議員
平成11年 5月  本庄市議会議員2 期目
平成15年 5月  本庄市議会議員3 期目
平成17年 7月  旧本庄市長
平成18年 2月  本庄市長
平成22年 2月  本庄市長2期目
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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