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2012/12/20インタビューVol.108 [首長] 山口 伸樹 笠間市長 「「努力すればかなう可能性がある」これは若者の特権だと思います」

108

市長

笠間市長 山口 伸樹
所属 笠間市長
選挙区 茨城県笠間市

 

政治に関わることになったきっかけを教えて下さい。


私に政治と関わるきっかけをくれたのは父親でした。誰もが親の背中を見て育ちます。その中で親の職業がなんであれ影響を受けると思います。私の場合は父親が市議会議員、市長を務めている姿を見ていたためにいつかは自分も、という漠然とした思いがありました。東京の大学で政治学を学ぶかたわら、国会議員の事務所でアルバイトをしていたのも政治には関心があったからだと思います。  実際に政治の場に足を踏み入れたのは32歳の時でした。茨城県議会議員選挙に出馬し当選したのですが、もちろん簡単なことではありませんでした。政治家になるためには政策が大切なのは当たり前のことです。しかしまず自分自身を知ってもらわないことには政策は知ってもらえません。そこで私は選挙までの1年間、自分を知ってもらうためにバイクに乗って朝から晩まで選挙区のあいさつ回りを続けましたが、根気強く続けられたのは政治家になるという強い思いと、若さがあったからだと思います。



なぜ県議会議員で政治家としてのキャリアをスタートしようと思ったのですか?また周囲の声にはどういったものがありましたか?


なぜ最初から県議会議員でスタートしたのかということはよく聞かれます。それは私に限ったことではないと思いますが、政治家を志すからにはいつかは頂点にという思いがあり、県議会議員がより近道だと考えたからです。若かったこともあり、自分自身の可能性をかなり前向きに捉えていました。しかしここで1つ注意しておきたいのは、県会議員は決して市議会議員の1ステップ上がった仕事ではないということです。もちろん、知名度、活動範囲は必然的に市議会議員、県議会議員、国会議員の順で大きくなります。しかし、それは仕事の内容が違うだけであり、重要性は変わらないと考えています。市議会議員はとにかく地元にしっかりと張り付くことが大切ですし、県議会議員は地元だけでなく、県全体の全体最適を考えなければなりません。県議会議員を4期務めた経験は視野を広げ、現在の市長としての仕事にも活きていると思います。  私が32歳での県議会議員出馬の意志を固めた時、周囲の声には様々なものがありました。私の父親が市長を務めていたこともあり、周囲の期待は強く感じていました。またその一方で32歳での県議会議員は若すぎる、時期尚早だという声もたくさん耳に入って来ました。そのような声を全て受け入れるのではなく、はねつけてでも自分の意志を通すという姿勢は若さの特権だと思います。



県議会議員時代のお話を聞かせください。


私は4期県議会議員を務めたのですが、特に力を入れたのは福祉の分野でした。私自身が福祉施設の経営をしていたために問題意識を持っていたからです。現在では高齢者対策は比較的進み、福祉施設は1市町村複数施設は当たり前のものとなっています。しかし当時は対策が遅れており、迫る高齢化に対応できる状況ではありませんでした。特に茨城県では介護分野での人材育成が遅れており、その遅れを取り戻そうと議会に働きかけました。  私がいたころの茨城県議会では執行部と議会の間に強い結びつきがありました。議会の主な仕事の1つとして条例の制定があります。条例1つを制定する際に、議会で提案され、議会で話し合うだけでは時間は不十分で内容も深まりません。そこで予め執行部と議員で十分な話し合いをしたうえで提案を行うことで、しっかりとした条例の制定が可能でした。私が県議会議員として仕事をしていた際にも執行部との連携は特に大切にしていました。地方議会には癒着があると言う世間の批判がありますが、このように慣れ合いではない、しっかりとした連携は必要だと思います。



茨城県議会議員から笠間市長になろうと思ったきっかけを教えてください。


私が市長選に立候補をした当時、笠間市は1市2町の合併の直後でした。まさに世に言う平成の大合併の選挙だったために、自然と市長選挙をそれぞれの市と町から候補者を出して戦うような形となっていました。その中で私は旧笠間市民の声に背中を押してもらい、出馬を決意しました。1市2町が合併して新しい市ができるわけですから、その新しい市をどうしていきたいかということを考えるのはかなりのやりがいがありました。
実際に市長に当選したあとも簡単ではありませんでした。1市2町それまでバラバラだったものが1つになったために様々な部分で問題が出て来ていたのです。水道代1つとってもそれぞれ料金が違っていましたし、市役所などの公共施設の使用や在り方など統一する必要がありました。それぞれに違いがあるために、統一を図ることによりどこかに不満が出てしまうということが多かったように思います。その中で大きく改革をしてしまう部分と、時間をかける部分にわけて出来る限り住民の方の不満が出ない方向での調整を目指しました。実際に5年ぐらいの時間をかけて新しい笠間市がしっかりと形になったと思います。



市長として仕事をする中での印象深いできごとを教えてください。


1番最初に思いつくことは2011年3月11日の大震災です。笠間市でも震度6強という巨大な揺れを観測し、壁が崩れたり、屋根瓦がおちたりという大きな被害を受けました。停電がおき、水や燃料は足りなくなりました。被害は広域的であり、周辺の自治体は全て被害者で、周辺に支援を求めることができないという状況でした。その中で重要だったのは遠距離の自治体との関係だったと思います。姉妹・友好都市の自治体などにとてもスピーディーに支援をして頂き、実際に10時間かけて運転してきてくれた方もいて、とても印象に残っています。



市長として震災瓦礫の受け入れを決断したのはどのような思いからでしょうか?


まず被災地域で積み上がった瓦礫を見た段階でショックを受けました。あの大量の瓦礫を処理しないことには復興はありえないし、その処理はコスト、スピードを考えても近隣自治体で処理すべきだと思い受け入れを決断しました。実際に受け入れるのは笠間市にある県の施設なのですが、私が受け入れを宣言した段階で、市議会議員の方々や茨城県知事などたくさんの賛成をして頂きました。私は市長である以前に、人として東北のあの被害状況を見た方なら誰もがこのような思いをもち、このような決断をすると思います。



高齢者中心といわれる現在の政治についてどのような考えをお持ちでしょうか?


若者の投票率が低いうちは、この状況はなかなか変わって行かないと思います。若者は将来が凄く厳しいことをしっかりと自覚しなければなりません。それに対して高齢者の方は政治家が仕事をしたらしっかりと応援してくれます。昨今、高齢者中心の政策を批判して世代間対立を煽る方がいますが、構図はそう簡単ではないと思います。たとえば高齢者のかたに「年金を1万円減らしてください。それでお孫さんの教育が充実します。」といえば断る人はほとんどいないでしょう。
対立を煽るのではなく、負担できるところからしっかりと負担してもらいつつ、受益者も一定の負担をすることが必要だと思います。全て無料というのは安易で聞こえはいいですが政治本来のものではないと思っています。



若者の政治離れについてどうお考えでしょうか?


現在若者の政治離れということに関して、私が若者1人1人と話をすると決して関心がないわけではないことに気付かされます。子育てをしている人は育児、教育関連に興味もあるだろうし、市役所の対応に不満を持っている方もいます。そのような思いを持ちながら何も変わらないといって投票に行かないのは無責任だし、極論を言えば参政権を取り上げられても仕方ないことだと思います。しかしその一方で、若者の意見・関心をどのように惹きつけるかということに関しては政治、行政側も様々な方面で考えていかねばならないと思っています。意見交換会など、政治の側から若者の側に飛び込んでいくという行動が必要です。
しかし実際には難しいというのが実情です。現在笠間市では隣の水戸市にある常磐大学や茨城大学と連携を行なっています。学生に実際にまちづくりに参加してもらったり、笠間市に住んでいる学生の意見を聞いたりしていますが、実際に学生は卒業と同時に笠間を離れてしまうので、継続的な取り組みとするには至っていません。



若者にメッセージをお願いします。


「働かざる者食うべからず」という言葉がありますが私は「働く気のないもの者食うべからず」と思っています。しっかりと仕事を見つけ自分の人生を自分で切り開いていくような逞しさを持ってほしいです。これから若者の皆さんが生きていく時代は相当厳しいものになると思います。国力は人口と比例して衰退し、25年後には高齢化のピークを迎えると言われています。しかしそのような中でも時代を超えて若者だけが持つ特権というものはあると思います。それは「努力すればかなう可能性がある」ということです。例えば私が今からどんなに努力しても総理大臣になる可能性は0%です。しかし皆さんが努力すれば努力するほど目標に近づき、達成の可能性はぐんぐん上がっていきます。だからこそ目標を持ち、しっかりと努力を重ねてほしいと思います。



(インタビュー:2012-12-3)


平成  2年 12月  茨城県議会議員初当選
平成  6年 12月  茨城県議会議員二期当選
平成  9年          環境商工委員会委員長
平成10年 12月  茨城県議会議員三期当選
平成12年          教治安委員会
平成13年          土木委員会委員長
平成14年 12月  茨城県議会議員四期当選
監査委員
平成18年  4月   茨城県笠間市長当選一期
平成22年  4年   茨城県笠間市長当選二期
※プロフィールはインタビュー時のものです。