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2013/6/27インタビューVol.152 [首長] 阿部 裕行 東京都多摩市長 「失敗を恐れるな!」

152

市長

東京都多摩市長 阿部 裕行
選挙区 東京都多摩市

 

市長になろうと思ったきっかけは何ですか


3人の子供をノビノビと育てることができた緑豊かな多摩のまちが大好きだったこと。メディアの仕事の中でもコミュニティと地域分権の方向性が日本の将来を決める、と強く確信したこともあり、実際に首長として地域に貢献したいと考えて立候補し、当選しました。
11年前にも一度、多摩市長選挙に立候補しました。当時市長の収賄事件があり、市政が市民からの信頼を回復しなくてはならないと強く思ったのですが、そのときは当選することはできませんでした。その後もメディアの仕事を続けながら、地域で青少年問題協議会会長などの活動を通じ、学校や地域と関わってきました。
私は最初から政治家を目指すのではなく、私の場合は、メディアでしたが、一度全く違う世界で多様な経験をし、なおかつ市民目線で組織をまとめられる人こそ首長にふさわしいのではないかと考えています。



今に至る原点をおしえてください。


私は、東京の小金井で生まれましたが少年時代は高度経済成長の真っただ中でした。多摩川や私が住んでいた小金井を流れていた野川は合成洗剤の界面活性剤や下水道での処理ができないまま流されていた生活排水などで深刻な汚染を受けていました。今でもよく覚えているのですが、1971年にスウェーデンのストックホルムで人間環境宣言が出され、日本では環境庁が創設され大石長官が初代長官に就任した頃でもあり、環境問題に強い関心がありました。水俣病、阿賀野川の水銀中毒、森永ヒ素ミルク事件など、企業と地域開発、そして保健衛生、消費者との関係など、日本の社会は大揺れでした。
大学受験では環境系に進もうと思っていましたが、その後、ジャーナリズムを通して世の中の問題に取り組みたいとジャーナリズム講座を持つ大学に進学しました。
これが私の原点と言えるできごとで、以来、環境は私にとってもっとも重要なキーワードとなっています。4月に実施した組織改正で市役所に環境部を創設し、資源循環型社会と自然エネルギーを大切にする社会へと強力に舵をきりました。
明治に遡りますが、環境問題で最初に声を上げたのは田中正造という政治家でした。足尾鉱毒事件を天皇に直訴して世に知らしめたのですが、彼の地元の栃木県の下野新聞を創刊したのも田中正造であったと言われています。彼のように地域に住む人々の命を守る、これが政治家の使命だと教えられました。ジャーナリズムというのは政治において強く影響をもち、民主主義の原点であると考えております。そういったことが私にとって政治家を志す原点になったと思っております。



仕事のやりがいはなんですか


今、地方自治体が置かれている状況はとても厳しいものがあります。少子高齢化の中で持続可能な自治体運営を志すことを考えねばなりません。若い世代にツケを残さないことが私の使命だと思っています。
多摩市は、42年前、市域の6割がニュータウンエリアとして地権者の皆さんの涙ぐましい協力をえて造成された日本でも有数の住宅都市です。7月には、東京都、UR(都市再生機構)などの協力をえながら、「多摩ニュータウン再生検討会議」をスタートさせました。多摩市は、谷戸に道路を通し、丘陵地を造成したことから、高低差の大きい街でもあります。高度経済成長で働く人たちの街として発展してきましたが、人口減少社会を見据えながら、都心に通勤する街ではなく、職住近接の街をめざしていかなければ、と考えています。また、インフラについては、例えば、市内で多摩市が管理する橋梁は、181にのぼります。このうち、113の橋梁は市民の安心安全の観点から必要であるとし、今後30年をかけて橋梁の健全度を高めていく、多摩市橋梁長寿命化修繕計画をたて、平成25年度からスタートさせました。将来のために持続可能な街づくりができるということは、これほど大きなやりがいはないですから、ぶれることなく信念を突き通していきたいと思っています。お年寄りの方、障害をお持ちの方、妊産婦の方、お一人暮らしの方など、地域での支えあいの仕組み、地域ケアの考え方を中心にソフト面で充実させられるかどうかがカギだと思っています。



若者とのふれあい、若者が参画する政策はありますか


多摩市には多摩大学や恵泉女学園大学、大妻女子大学、国士舘大学をはじめ、近隣の中央、明星、首都大学など多くの大学があります。市政施行40周年時は多摩大学と共同で1万人の笑顔を集めたフォトモザイクアートを実施しました。また、国士舘大学の学生さんには市内のイベントがあるときはボランティアで救護所の運営に携わっていただいていますし、他にも多く大学生と関わる機会がたくさんあります。
昨年12月に開催した学生の皆さんとの対話会では、2時間ほど多摩市の市政に役立つ貴重なアイデアを聞くことができました。これからもそのような若者との関わりの機会を作って行きたいと思っています。



若者へメッセージをください


若い時は一度しかないので、風に身を任せるのではなく、自分で風を吹かせる人になってほしいと思っています。自分で道を切り開くということが大事です。若いときは失敗しても、やり直すチャンスがたくさんあります。失敗を恐れるあまりチャレンジしないのではなく、失敗してかまわないので、どんどん挑戦していってほしいと考えています。



(インタビュー:2013-07-08)


■生年月日  1956年3月6日
■出身地      東京都
■略歴
1979年3月  1  日本大学法学部新聞学科卒業
1979年4月  1  社団法人  1日本新聞協会入職
2009年4月  1  日本新聞協会事務局次長兼経営業務部長就任2010年4月 多摩市長就任

・元多摩市青少年問題協議会第二地区委員長会長
・元多摩市第二小学校PTA会長
・元内閣府「男女共同参画推進連携会議」議員
・元「国民読書年」実務担当者会議委員
・早稲田大学メディア文化研究所「地域とメディア研究会」メンバー
・元内閣府「少子化への対応を考える有識者会議」委員
(著作)「男と女で半分こイズム」「育児で会社を休むような男たち」など
子育て、教育関係の著作、ジャーナリズムに関する論文多数
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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