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2013/12/4インタビューVol.168 [首長] 菅谷 憲一郎 茨城県古河市長 「若者に選ばれるまちづくり」を目指して

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市長

茨城県古河市長 菅谷 憲一郎
選挙区 茨城県古河市
公式ホームページ

 

市長になられた経緯を教えてください。


私は元来白いところに絵を描くことが好きな性格だったので、首長になりたいという想いはずっと持っていました。なので、私ははじめから首長にしか興味がありませんでした。しかし、それは茨の道でした。なにせ椅子が一つしかないのですから、当然と言えばそうなのですが…。ともあれ、38歳で首長になろうと決意し、初めての選挙となる40歳の時の町長選に負け、その次の町長選で初当選させていただきました。そこから2期、合併前の総和町長を務めさせていただきました。
その後3期目の選挙に出馬したのですが敗れてしまい、さらにたてつづけに2回、合併後の古河市長選挙で落選したことから、初めて県議選への出馬を考えました。県議としても勉強を積みたいという思いや後援会の皆様の後押しもあり、半ば心は揺れていたのですが茨城県議会選挙へ出馬し当選しました。
ところが、県議会議員を務めているとやはり議員という職業のやりづらさなど自分の中で納得行かない部分が多々出てくるようになり、そんな最中に古河市長リコール選挙が重なり、再び古河市の市長選挙への出馬を決めました。この時は、リコール選挙だったこともあり、準備期間がまったくなかったのですが、リコール選挙にもかかわらず対抗馬がだれもいない状況に危機感を感じ出馬を決意しました。結果、今の職を市民の方々からいただきました。
県議からの出馬の時は、私はまだ県議として1年11か月しか経験を積んでいなかったため、後ろ髪を引かれる思いもありましたが、多くの議員仲間や後援会の方々が私の背中を押してくださいました。当時の私の仲間には私が落ちたら「みんなで市議会議員のバッチを外す!」と言ってくださった方もいました。その時に応援をしてくださった皆様には本当に感謝しています。



首長を経験されてから議員を経験されて気付いたことはありますか?


誤解を恐れずに言うのであれば、定例の議会に出席しているだけの議員は基本的に暇な職業だとも言えます。なぜなら、会期の日数を計算すると一年平均して月に5日程度しか会議に出る必要がないのです。だからこそ、自分で仕事を作る議員とそうでない議員の間に大きな差が出てきます。空いた時間にどのような勉強をして、どのような政策のために骨を折るか、その取捨選択が議員のやりがいであり、同時に責任でもあると感じました。



首長にこだわる市長の考え方の原体験というのは、どういったものなのですか?


トップへの強いこだわりは、私が以前会社を経営していた経験から生まれてくるものだと思います。組織というものはトップが代わればすべてが変わり、逆にトップが変わらなければ何も変わらないのです。経営者の地位が弟に変わった時には、会社の環境もやはり劇的に変わりましたからね。
また、同時に議員だった父から、「議員では何もできない」という言葉を毎日のように聞かされていたことも大きいと思います。
しかし、議員として議会で顔が利くようになるには、相当の資金力や裏の力が必要だと言われており「ああ、これは自分には合わないな」と思っていたのです。
加えて、議員になっても、他の議員との調整に相当の労力がいるとされます。それを考えると、首長になって直接イニシアチブをとる方が、効率よく施策を実現できるとも考えていました。



市長が総和町の町長になられた時のお考えはどういったものだったのでしょうか?


「このままではいけない」という思いでしたね。今でこそ大きく取り上げられていますが、私が30歳の頃から日本の人口は減少していくということがずっと言われていました。また、東京・大阪・名古屋という大都市に人口が集中するということも、すでに予見されていたのです。なので、徹底的に子育て支援をしていない自治体は、たとえ大都市の近郊に位置していようとも、いずれ衰退しきってしまうと指摘されていました。そのようなことを知るうちに、「自分の住む総和町は大丈夫なのだろうか」という疑問が首をもたげてきたのです。そして、その状況を追っているうちに、「このままではダメだ」と強く思いました。なぜなら、当時も若い人たちは政治に関心がなかったからです。子育てや教育の拡充に一番関心を持つべき若者が政治に参画しないのであれば、票を多く有する高齢者重視の街づくりになるのは明らかです。「これではむしろ逆だろう」と思い、町の将来のために声をあげて、若い人向けの政策も実行していかなければならないと考え、町長になることを決意しました。



市長は「教育第一」ということを今まで掲げておられますが、どんな施策をおこなってきたのですか?


今までの政治は、体育館やプールといった設備などのハード面の拡充に固執していたところがありました。私が初めて町長になった時も、教育重視とは名ばかりのハード面ばかりに注力した施策ばかりが先行していました。しかし、教育というものはハード面だけでは絶対にできない。そのハードをどうやって使うのかという「ソフト」の面が充実しなければ教育は充実しないのです。なので、私は教育の中身であるソフト面も重視して政策を行いたいと考えていました。
具体的には、まず個別の授業の質を高めるために、教育にチームティーチング(複数の教員が役割を分担し、協力し合いながら指導計画を立て指導する方式)を導入しようとしました。この方式は生徒さんにとっては、自分にあった先生を見つけることができる可能性が増えたり、授業に追いつかなくなりそうなときのセーフティーネットになったりするなど、大変メリットが大きいシステムなのですが、導入を構想した当時は、自分たちの職域を侵される教育委員会や一般の先生、議会、果ては茨城県からも反対されてしまいました。結局落とし所として数学と英語の2科目に限って導入という形になってしまったのですが、当時の私は「自分で声をあげられない若い人の声を自分が代弁しないといけない!」という思いで最後まで自分の思いを通し続けていました。
その他にも、「楽しい授業づくり」を目指し「理科教育支援員」のプレ導入自治体として手を上げたりしました。当時は理科実験博士という名前で、内容は市内の学校に2人の先生が持ち回りで実験授業をするという取り組みだったのですが、こういった「実際に自分でやってみる」機会の提供は子どもたちに理科への興味を惹き起こし、実験だけでなくその後の授業も楽しくさせるということで大変好評でした。
現在の取り組みとしては、遠方から小学校にかよっている児童のためのスクールバス導入や、子育て支援の一環としての幼少期の保育ができる保育園の増加などに取り組んでいます。



その他に注力されていることについて教えて下さい。


一つは、「福祉」という分野です。これは、私が総和町の町長に最初に立候補した時から訴えていたことなのですが、当時、福祉水準が全国の都道府県の中で下から数えて二番目の茨城県(現在もワースト2)にあって、旧総和町も茨城県内で65市町村の中で64位という悲惨なものでした。
先ほどもお話したように、人口の減っていくこれからの社会の中でこの数値は「ありえない」。そう思ったので、当時から重点政策として訴えていました。
ただ、この問題もやはり票をもっているお年寄り対策は黙っていても充実していく。本当に必要なのは子育てなど若い人にとってメリットのある政策だという思いで取り組んでいきました。この思いは今でも同様で、市に「こども課」をつくり子育てへの支援を手厚くするなどの施策を行っています。
また、「環境」という分野についても私は大変思い入れがあります。私がはじめに総和町の町長になった当時、この近辺は利根川を超えたらゴミだらけという有り様でした。このゴミというのは、ほとんどが埼玉県や都内から運ばれてくるゴミなのですが、茨城県はそれらの不法投棄先に選ばれていたのです。この不法投棄問題は県の条例で禁止されているので、本当は県が主体となって止めなければならない問題だったのですが、県の条例の罰則基準が低いこともあり、ほとんど歯止めにはなっていませんでした。
町長になる前、この問題に向きあおうと市民の仲間と一緒に県に直談判に行きました。その時、県の職員の方は「俺達に任せておけ」というような事を言ってくれたのですが、その数日後暴力団が私の家に乗り込んできて私達は恐喝されてしまいました。あとで知った話なのですが、この時はどこからか、県庁に乗り込んだ私たちの情報が暴力団に流れていたようです。
結局、この問題は町長になったあとに私が町議会を説得して県の条例より重い罰則を定めた条例を作ったことにより総和町内への不法投棄は圧倒的に減ることになりました。



市長として苦労されたことはなんですか


先ほどの不法投棄の話にも係る話なのですが、結局何かを変えようと思うとどうしても既得権益に絡んでいる人と衝突になってしまいます。時には、それが高じて自宅や家族にまで危害が及びかけることもありました。ただ、私自身はあくまでも信念に基いて行動しているので、安々と引くわけにはいきません。
先ほどのゴミ問題で言えば、結局のところ事業者と癒着しているのか県の条例はなかなか罰則が引き上げられない。しかもこれが県だけでなく、町にまで入り込んでいるので、町レベルでも厳しい条例が制定できていないのが現状でした。
私が、総和町で厳しい条例を制定しようとした際も、当初は議会で大変な反対がありました。ですが、仲間と一緒に説得していくにつれだんだんと賛同者が増えていき同時に環境の意識改革にもつながっていき、無事条例の制定にまでこぎつけました。この環境への意識改革の部分は市長になった今でも重視している部分です。
ちなみに、総和町で条例が制定されたあと当時の猿島郡内では、総和町に今まで来ていたゴミが周囲の市町に持ち込まれてしまい大変な非難をされたのですが、実はこの非難の背景にも、周囲の自治体の一部議員がゴミ業者と癒着しており、条例がつくれないため総和町を非難して条例を廃止させようということが本当のねらいだったのではと感じています。



若者へのメッセージをお願いします。


若者の皆さんにはぜひ政治に関心を持っていただきたい。しかし「関心を持って!」といっても、そう簡単にはことは済みません。なので、政治に関して二つだけ知っておいてほしいことをお伝えします。
まず、政治は「数」の力に弱いものであるということです。なぜなら、選挙のシステムが票を必要とするものだからです。お金ではなく、自分の理念に共感を覚えてくれる人をできるだけ多く揃えることができれば、議員という立場以前に政治に影響を与えることができます。「自分はこれを改革するんだ」という気概があるのであれば、その分野に力があって、自分の考えとの親和性が高い団体を動かせば良いのです。教育の改革を目指すのならばPTAに声を掛けるといった具合ですね。政治家を目指す人にはなおさらこのことを知ってほしい。特に若い人は素直だから、他の人が「この人の政策に賛成だ!」といえば自然と応援してくれるでしょう。
そしてもう一つは、常に柔軟な発想をしてほしいと言うことです。たとえば、今の古河市では中学校を卒業するまで医療費は無料ですが、これを市内で20歳までの医療費を無料にするためにはどのくらいお金が必要だとおもいますか? 答えは花火大会一回の費用です。これはどういうことかというと、高校生(15歳から18歳)の医療費は年間4000万円で、一律無料にできるのです。中学校を卒業するとあまり病気をしません。結果として、18歳から20歳までの医療費も、さらに2000万を上乗せすれば無料にできてしまいます。毎年古河市で行われている花火大会の費用は一晩約6000万円。一晩の花火大会の費用で、街中の20歳以下の人の医療費を無料にできる。花火大会の必要性を問うものではありませんが、このような発想が、今後は必要になってきます。 これらを理解した上で、若者の皆さんには政治というものに関心を持ってもらいたいですね。



(インタビュー:2013-11-13)


生年月日 昭和27年4月3日
出身地 茨城県古河市
趣味 読書・ハイキング
座右の銘 人は互いのために生きる

略歴
昭和50年3月 東海大学政治経済学部 卒
平成8年9月 総和町長(1期目)
平成12年9月 総和町長(2期目)
平成23年1月 茨城県議会議員

現職
平成24年12月 古河市長就任
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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