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2014/2/23インタビューVol.179 [首長] 幸山 政史 熊本県熊本市長 「自分たちの未来を真剣に考えて、積極的に動いてほしい」

179

市長

熊本県熊本市長 幸山 政史
選挙区 熊本県熊本市長

 

市長になろうと思われたきっかけについてお聞かせください。


「市長になろうと思ったきっかけ」の前に、「政治の世界に入ろうと思ったきっかけ」から話をさせてください。

私は大学卒業後、銀行員を経て平成7年に熊本県議会議員になり、政治の世界に入りました。実は私の父も元熊本県議会議員であったのですが、小さい頃はそれほど政治に興味を持ってはいませんでした。反対に、父に対しては反発心を持っており、早く熊本を出たい、進学も就職も県外でしたい、と思っていました。当時、何かにつけて「県議会議員の子供」という見方をされていたのが嫌でした。社会人になって仕事を始めると、「政治」や「行政」がより身近な存在になり、やはり自分の中で「政治」というものは、どこか気になる存在でした。

そんな中いわゆる「55年体制の崩壊」が起こり、それまで「政治」は「変わらないもの、変えられないもの」という認識だったのですが、これをきっかけに、政治に関する大きな変化を多くの国民が実感することとなりました。この時期は全国的にも、若い人が政治の世界に飛び込んだ時期でした。若い国会議員や首長が多く誕生したのですが、自分もその一人でした。政治家をやりたいと手を上げて熊本に帰ってきました。

その後27歳で県議会議員になり、まだまだ知識や経験が不足している中、実は早い段階から「いつか機会があれば首長という仕事をやってみたい」という思いが思ありました。もちろん、議員もやりがいがあり責任の重い仕事ではあります。しかしどうしても、「議会の中で過半数を得なければ実現できない」という仕組みがあります。一方、二元代表制といわれる首長は自分の判断によって色々なことを決めることができます。

そのような首長への思いを持ちながら議員の仕事をする中で、平成14年11月の市長選挙が近づいてきました。当時は、無風の状態で市長選を迎えるだろうと言われていました。しかし、当時の熊本市は様々な問題を抱えていました。財政面の問題や、新幹線開通に向けた動き、政令指定都市へ向けた動きも不十分でした。また何より、熊本市に対する市民からの不信感が高まっていたのを感じていたのです。その状況を変えなければいけないと思いました。当時私は37歳、県議会議員になりまだ2期も経過していないところでした。半年近く悩みましたが、やらなければならないと思い、立候補を決めました。当時は「若者の無謀な挑戦」などと言われていましたが、その「若さ」ゆえに、「何かやってくれるのではないか」という市民の皆様からの期待を頂き、熊本市長を勤めることになりました。



市長としてのやりがいや、反対に、苦労・葛藤を感じる瞬間についてお聞かせください。


私の場合、苦労や葛藤も含めてやりがい、です。まず、同じ「政治家」でも議員と首長は違うものだということは、先ほども少し触れました。首長は、色々なことを判断しなければなりません。また、判断したことに対して、なぜそのような判断をしたのかという説明責任が問われます。さらに、判断したことの結果責任も問われることになります。これだけ社会が多様化し色々な考え方がある中で、また、右肩上がりで成長していく時代でもない中で、何かを判断するとなると「100%賛成」ということは決してありえません。自分が判断したことで喜んでいただけることもあれば、厳しい指摘・批判を受けることもあります。

首長というものは、大きな判断から小さな判断まで、自らで判断しなければならず、この点が議員との大きな違いの一つです。そのことは苦労や葛藤を伴うこともありますが、それを含めて、全てがやりがいだと思います。市長は全てにおいて、手ごたえがある仕事です。また、それからもう一つ。やりがいといいますか、市長という仕事の醍醐味かなと思うことは、色々な場所に出向き、色んな人たちと話が出来ることです。



今の熊本市に一番必要なものは何かについてお聞かせください。


「誇り・自信を持つこと」と「広く受け入れるだけの度量をもつこと」の二つだと思います。

昔、鉄道唱歌というものがあり、その歌の中で熊本は九州一の大都会と歌われていた時代がありました。ほとんどの国の出先は熊本に出ていましたが、今では一部福岡に移ってしまっています。右肩上がりの時代ではなくなった今の時代、「追いつけ追い越せ」の発想ではいけないと私は思います。しかし、熊本の人はプライドが高いのです。福岡がこれ以上発展することがどこか許せない、福岡に追いつけ追い越せという発送を捨て切れないでいる部分があります。しかし現実を見た時に、経済的に今の福岡を熊本が追い越すのは無理です。それなら熊本はどうするか?福岡に無い熊本の良さに磨きをかけ、熊本の存在感を高めさせ、違いを際立たせていくことに力を注いでいくべきだと思います。

これは、どの都市にも求められていることだと思います。ただ、「誇り・自信を持つこと」ということは、ややもすると内向き志向になってしまう可能性があります。こうなると色々な弊害が出てきますので、自分のふるさとに自信・誇りを持ちながらも、広い視野を持ち色々なことを受け入れる度量を持っておくことも必要だと思います。熊本市では今、交流人口を増やすことを目指しています。そのためには内向き志向ではダメです。色々な人々を受け入れ、色々な発信をする必要もあります。そのバランスを取ることは、これからの熊本市のまちづくりにおいて考えるべきことであり、また市民の心がけも大切になってくるところだと思います。



若者を市政に参画させるための施策がございましたら教えてください。


「より政治を身近なものに」という思いは、29歳で議員になった時も、37歳で市長になった時も、自分の中に強くありました。若者の政治への無関心にとても危機感を覚えていました。ですから、県議会議員時代も、また市長になってからも、議員インターンシップはとてもいい試みだと思い受け入れをさせていただいています。できるだけ若い人たちと話す場を設けようとしてきました。

市長になってからは「直接対話事業」ということで、地域の方たちと意見交換会をしたり、NPOやボランティア団体の皆さんと一つのテーマについて1時間程度話す「ゆめトーク」などを実施したりしています。最近では、高校生や中学生とのゆめトークも実施しており、高校生や中学生たちと熊本市の将来について語り合う場となっています。若い世代の人たちに市政を身近に感じてもらい、何かきっかけが一つでも多く出来ればと思い取り組んでいます。しかし、地域に出向いていっての直接対話やシンポジウムなどは、年齢層からすると年齢層が高い方々が中心となって進められています。市政に参加する機会はあるが、そういう場に若者が出てこないという現状があると思います。色々な世代がどのようなことを考えているのかということを知るためにも、市としてもさらに若い世代にそのようなきっかけの提供を行っていきますが、若い人たちにももっと頑張って欲しいと思います。



若者へ向けてメッセージをお願いします。


若い人たちは知識や経験が不足している部分もあるが、若いエネルギーがなければできないこともあると思います。決して物怖じすることなく、まだ若いからといって一歩下がることなく、どんどん構想するなり発言するなり、積極的に動いて欲しいと思います。そしてそれは、政治の世界に対してもそうであり、行政に対しても同じです。そのことがみなさんの未来に直接関わってきます。決して他人に任せてはいけません。自分たちの未来を真剣に考えて、積極的に動いていってください。



(インタビュー:2014-02-23)


1965年  6月10日    熊本市貢町(旧飽託郡北部町)に生まれる。
1978年  3月           熊本市立西里小学校を卒業。バスケット部に所属。
1981年  3月           熊本市立北部中学校卒業。
1984年  3月           熊本県立済々黌高校を卒業。中学校~高校の6年間、野球部に所属。
1989年  3月           九州大学経済学部卒業。
1989年  4月           日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)に入行。
福岡支店・本部審査部・営業第5部勤務。
1994年  9月           熊本県議会議員への出馬を決心し、同行を退行。
1995年  4月           熊本県議会議員初当選(29歳)。
1999年  4月           熊本県議会議員2期目当選。
2002年  2月           厚生常任委員長に就任。
2002年  9月           熊本市長選準備のため議員を辞職。
2002年11月           37歳で熊本市長初当選。
2006年11月           41歳で熊本市長2期目当選。
2010年11月           45歳で熊本市長3期目当選。
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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