仕事を通じて自己実現は出来ると思いますか?
熊本支部 村田智哉
仕事は個人の価値観や考え方に基づいて数ある選択肢の中から選び出されたものであり、お金を稼いで億万長者になりたいという人もいれば、誰かの役に立つようなことをしたい、好きなことを仕事にして楽しみたいという人と働く姿勢は十人十色です。これらは自分のためにする利己的な考えと社会、自分以外の誰かのためにする利他的な考えが存在しています。
しかし、ほとんど全ての仕事は、個人の時間を費やして自分以外の誰かに価値を提供するものだと思われます。
例えば芸人では、お客さんを笑わせるネタ一本のために何十時間もの作成期間、練習でまた何十時間もかけていると思われます。そして充分に時間を費やし、やっとの思いでお客さんの前で自分たちのベストな状態でネタを発表し、笑いを届けています。この中で特に「お客さんを笑わせる」というところができた場合において、仕事での価値を提供し、自分が描いていた理想の姿を体現するという自己実現ができたと言えるかもしれません。そしてこの自己実現がうまく出来ると、相手に与えられる価値の質も上がり、仕事の発注量も増え、お金も稼げるようになると思います。
私たちは生きていくなかで、仕事だけしかしないということはなありません。仕事での時間に加え、旅行やドライブなど個人の趣味の時間や大切な家族との時間など多くの人生の軸が存在し、そのなかで折り合いをつけながら生きていくことになるとおもいます。しかしながら、働き方は多様になっています。現在では仕事とプライベートの境界がYouTuberなど新しい働き方の登場によりますます無くなってきています。伴いまして、生き方や生きがいも多種多様で従来の価値観や考え方にこだわる必要がなくなってきています。
そこで大事になってくるのが、どれだけ仕事に人生の比重を置くかです。やはり仕事にかける時間が多ければ多いほど、仕事で自己実現ができる可能性は高くなり、時間が少ないと中途半端になってしまい仕事でのやりがいも感じれずに自己実現もできなくなると思います。
先日読んだ本では、大人になってからは家族か仕事のどちらかが人生において大切なものであると書いてありました。家族であれば大切な人達を守り楽しく生きるということ、仕事であれば国民の3大義務の1つである勤労の義務を全うし、必死に働いてお金を稼ぎ、質の高い生活をします。また、この本が問いかけていたテーマが[普通とはなにか]であったため、主人公は個人的な理由でバイトとして長年働いて、バイトが生きがいになっていた。周りから就職を促されても働いている事実は変わらないのだから、周りが「普通」と認識している、就職をしてお金を稼ぎ、家族を養うという周りの価値観に合わなくても何がいけないんだと考えていた。つまり、この本での個人の自分らしさ、個性的な部分である就職せずにバイトで仕事をするという考え方は、周りから見たら「普通」ではないとされています。周りとの横並びを求める日本の社会においては「普通である」という状態に向かって修復、または存在そのものを省かれるものであるとも書いてありました。
このように、自己実現は個人的なものであり、自分の価値観や考え方と深く関わるものですが、他の人から見た際に他者の表面的な事実にとどまってしまうために干渉されやすく、勝手に評価づけをされることもあります。仕事で自己実現をしようと思うのであれば、活動の軸を仕事において専念できる環境づくりから始め、周りから何を言われようとその仕事で自分以外の誰かに価値が提供でき、それによって満足感や生きがいをが得られることが必要ではないかと思いました。