ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.027 [議会議員] 平野 みどり 熊本県議会議員 「障害を持ったことによって、思いがけずやりたい仕事ができているんです」

熊本県議会議員

熊本県議会 平野 みどり
政党 無所属
選挙区 熊本県熊本市
初当選年 1997年
当選回数 4回(県議選4回)
公式サイト

 

今日はよろしくお願いします。平野議員が議員になったきっかけは何ですか?


はっきり言って、私は議員を目指していた訳ではないんです。
でも私は障害を持っていて、当事者運動をやっていく中で、必要な福祉施策や制度を作ってもらうように、議員の皆さんに理解をしてもらう活動をしていたので、政治と全く無縁の世界では無かったんです。
でも、まさか自分自身が候補者になって議会で提案する側にまわることは考えていなかったですね。
そしてある時、熊本県議会議員の方が国政に出られ、その後、お1人が亡くなられて、欠員2になっちゃったの。欠員が2名になると補欠選挙があるということで、私に声が掛かったわけ。
突然の話だから、「誰かいないか。誰かいないか。」ということだったんだと思うんですけどね。
そこで市民運動をやっている人とか労働組合の人達で、誰かいないかということになったときに、私に声が掛かったということです。
それまでは熊本県議会は女性が1人だったし、誰か女性で候補者になれる人がいないかということだったと思います。
とにかく予期せぬことだったので、緊急家族会議になりました。そこで「やります」という決断をしたんですよね。
なにしろ、明日中に決めてくれなんて言われたものだから(笑)



え!明日中ですか?それは、すごく急ですね。


そうなのよ。補欠選挙だったので、1週間も2週間もかけられないのでね。
政治の世界に女性があまりにもプレゼンスがなかったし、いろんな条件を持っている人達が入っていくことはいいことだと客観的には思っていたから「私の場合は、ちょっとご遠慮」という訳にはいかないだろうなと思いました。



なるほど。それにしても明日までに決断してくれと言われて「やります」と決断したのは、すごい決断力ですね。


今から考えると私自身が皆さんと同じように障害のない生活をずっとやってきて、30歳のときに障害をもったでしょ。
その時に、「残りの人生はおまけの人生だ」みたいに思ったのね。
「なんにでも挑戦してやれ!」という気持ちで、何でも1回経験してみる事はいいことだと思うのね。
挑戦をしないで後悔するよりは、挑戦して「やっぱり失敗しちゃった。やっぱ向いてなかった」と思えばいいんです。
だから声をかけてもらったからには挑戦してみよう。
逆に「何でやらないの?」って思ったんです。



家族の反対は無かったんですか?


その時、結婚をして3年目位だったし、夫側の両親が、村の選挙みたいなのを見たり感じたりしてきていたので「選挙は汚い」とか「身内から選挙に出るなんてとんでもない。資産全部食いつぷす」ということで反対されました。
それでも夫の両親に対して「私の人生を何で、あなた方が決めるの?」と思うところもあって、「やっぱり、私の人生は私が決める」って夫を通じて言ってもらいました。
よく家族の反対という場合、夫の反対というのが女性の場合、結構多いのよね。
でも夫自身は仲間を押し出す選挙をずっとしていた人だから「いやぁ、でも、うちの妻は出しません。」と逆に言えなかったみたいです。
それに彼自身も楽しんでいるところもあったと思うのね。
ただ出馬にあたって1つだけ条件を出しました。
「いわゆる田舎の、資産をなくしてしまうような、票をお金で買うような選挙だけはしないし、それはできない」このことを条件に出馬の要請に答えました。



議員になって、嬉しかったことは何ですか?


1つの課題を解決することによって、他の人達に波及する制度になっていったり、全然みんなが知らなかったような大変な問題が表に出て、みんなの共通認識になっていったりして、それによって平野議員がいてよかったと言ってもらえることが嬉しいですね。
また、こういう立場の私が出ている限りは、いろんな条件を持っている人や、いろんな立場の人が県民の中にいるんだということを議員の皆さんに実感してもらうことが大切だと思うので、それも進んでいるとすれば嬉しいですよね。
いろんな方とお会いする中で「元気が出る」とか「心強い」と思っていただいていることは、嬉しく思うし、とてもやりがいを感じています。



インターン生を受け入れてから、変わったことはありますか?


日常生活も含めて、議員はこんな動き方をするんだとか、こうやって支えられているだと知ってもらえたと思うけど、どうしても年齢が上の人達の考え方で進んでいっちゃったりする部分があるから、若者が関わってくれているということで、有権者を幅広く議員自身が意識をするという意味では、非常によかったなと思いますよ。
できるだけ若い人たちの感覚を理解するようにしているんだけど、時々感覚にずれが出てくる部分もあるだろうしね。
決して若者に迎合するつもりはないんだけれど、若者達も有権者であって政治的に関心を持ってもらわなきゃいけない存在だから、政治のどこが若い人達にとってうさん臭くてどこが興味を惹くところなのか、理解するきっかけにもなっていますね。



ところで、平野議員は大学生時代、どんな学生だったんですか?


部活で、英語劇ばっかりをやっていました。
英語を勉強するというより、どっちかって言うと劇団みたいな感じで、シナリオを選んでみたり配役を決めてみたり演出をしてみたりしていました。
だからあんまり勉強してないなぁ。
私はお芝居をしたり歌を歌ったりする、いわゆる芸能系が好きですね。
だから、ひょっとしたら将来こっちの方向に進むのかなぁとか、進みたいなぁって思った頃もあったけれども、やっぱり堅気の道を選びました。
真面目な話をすると大学では国際関係学科に籍を置いていましたが、女性の問題やジェンダーフリーの話やフェミニズムの話とかを20年前に勉強できたのは画期的でした。
また、政治犯の人たちを釈放するアムネスティ・インターナショナルという団体があるんだけど、そういった人権擁護活動とかの活動を知ったことも、その後にすごく影響していると思いますね。



学生の頃の夢は何でしたか?


学生の頃はNPO・NGOの活動をしていきたいと思っていました。まぁ、そのころはNPOって言葉はなかったんだけど。
国連とか、非政府機関で働きたいと思っていたの。
でも、いざ就職するとなると親も安心しないだろうし、大学が東京だったんで、しばらく地元に戻ろうかなと思っていたから地元の民間企業に就職することになりました。
でも「私のずっとやりたかった仕事はこれじゃない」って、ずっと思い続けていました。
そして30歳のときに、たまたま障害を持ったんです。
普通、障害を持ったら、もうどん底で何もやる気がなくなるんだけど、障害を持っていることによって見えてくる世界もあるんです。
実は私は、DPI日本会議(障害者インターナショナル)っていう国際的な世界会議の日本支部の副議長をしているんですけど、まさにそれは世界中の障害を持っている人達が安心して地球で暮らしていけるように、自分達の権利を地域社会や自治会や政府に働きかけていく活動なんです。
これってまさにNGO活動なんだよね。
障害を持って、思いがけず大学時代からの夢だったNGO活動が出来ているんです。
『 Thinkglobally,actlocally!』って言うでしょ。それをまさにやっていると実感しています。
地元に根ざして地域での障害者運動をやっていくと同時に、世界の仲間達とつながりながら「世界の中の日本はどうなんだ、日本の中の熊本はどうなんだ」っていう活動を今後もしていきたいと思います。
そして、そんな活動を地元ではヒューマンネットワーク熊本でやっています。つまり地域での障害者運動の母体です。そこでも権利擁護担当の役員をやっています。
議員になる前は、以前務めていた会社を辞めて、しばらく経済的には、夫に依存しつつヒューマンネットワーク熊本での当事者としての活動をこれからしっかりやっていこうと思っていました。
そんな矢先に議員にならないかという話が来たの。だから議員を辞めてもやっていくことはいっぱいあるというか、基本的にやっていこうというものや目標は常にあります。
ただ今は議員をやっているからには、障害者運動だけ福祉だけでなく幅広い分野に取り組んでいます。
むしろ、そういった別の分野のことを含めてやっていくことで当事者運動や活動が逆に強化されていると感じます。



何かこれからやりたい事はありますか


私は、議員は期間限定だと思っているんです。
だから多選制っていうのは反対で、まぁ、それが3期なのか4期なのかというのはそれぞれ違ってくるから、別に3期じゃなきゃ絶対ダメとか4期がダメとかそういうのではないのですが、5期も6期もやるのは反対ですね。
だって5期っていったら20年ですよ?!
20年も議員をやっていて、そこで何か変えられなかったり新たな事ができなくなったりしたら、いる意味がないし、20年やっているとマンネリズムに陥るから、仕事自体に対してエネルギーを一生懸命費やすことができないと思うのね。
だからその間で出来ることって、何だろうって考えたときに、まず大きなことをやるというよりも、仕組みを変えていくことが大切だと思うの。
例えば、情報公開の問題。
県民がお金を出して、県政は動かされている。1円も公的でないお金を使われていない事業は無いわけですよね。だったらそのお金の使い道は、県民は100%知っていいはずだと思っているんです。
なのに県民に知らせる手立て、知らせる工夫がまだまだ足りない。
流れとしては、情報公開が進んでいるし、お金の使い道や政策の決定・立案過程に県民の皆さんの意見を反映させるとか、意見を聞く流れにはなってきているんですけれども、それをもっと当たり前のものにしていく。
これが私の仕事だろうなと思っています。



インタビュー後記


いつも笑顔の平野議員。インタビューも常に和やかな雰囲気で行なわれました。
今回のインタビューでは、その優しい笑顔の奥に「信念の強さ」「常に前向きな心」を感じ取ることができ、平野議員の新たな一面を発見することができました。
本当にありがとうございました。



(インタビュー:2002-07)


1958.6.16 熊本県熊本市に生まれる。
1971.3 熊本市立健軍小学校卒業。
1974.3 熊本市立湖東中学校卒業。
1977.3 熊本県立第一高等学校卒業。
1982.3 津田塾大学学芸学部国際関係学科卒業。脊髄腫瘍摘出手術後、30歳の時より車椅子での生活を始める。
1991 障害者自立支援センター「ヒューマンネットワーク・熊本」を仲間と設立。
1997 補欠選挙で熊本県議会議員に初当選。
1999 熊本県議会議員に2度目の当選。
2003 熊本県議会議員に3度目の当選。
2007 熊本県議会議員に4度目の当選。
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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