ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.231 [首長] 中野 弘道 静岡県焼津市長 「焼津を守り発展するための津波対策」

〝焼津を守り発展するための津波対策〟
焼津市長 中野弘道
JAPAN PRODUCER INTERVIEW vol.231

富士山、駿河湾を一望できる海岸線と、
豊かな水産物に恵まれ、水産業を起点として発展した焼津市。
焼津市を今後守っていくために必須となる
津波防災対策について中野市長にお話を伺いました!

< 『人のためにやる』が私の原点 >

ー衣料品店の経営なども経験された中野市長が焼津市長になることを志したきっかけを教えてください。

中野市長:

私が政治の道に進もうと思ったのは30代の時のある出来事がきっかけです。当時の焼津市では小学校球技大会を実施しており、市内各小学校での大会で子どもたちが競い合い、勝った子ども会が市の大会に進むことができるというものでした。知り合いの先輩から「球技大会の種目であるポートボールをぜひ子どもに教えてくれないか」とすすめられ、自分の子供はまだ小学校へいく前だったのですが、地域の子ども達にポートボールを教えることになりました。以来、その練習や試合を通じて、子ども達が喜ぶ姿や子ども達の負けたときに悔しがる姿もたくさん見てくることができました。その結果や、特に喜ぶ姿を見られたときは心から嬉しくて、それが原点となり、人のために何かをすることが無上の喜びだと感じるようになりました。

家業は呉服洋品屋で家業を継いでいましたが、経営するということは競争に勝っていくことで、人のためにやるということとは違う次元のことでした。自分としては、家業に比べてポートボールを子ども達に教える時間の方が、心が安らいでいました。一日中子どもと接して、その成長を見ていると”くたびれ”はするけれども”疲れる”ということはなかったんです。

そして、そのような人のためにやる職業は何かと漠然と考えていた時に、自治会の方から「市議会議員になってみてはどうか」という話がありました。行政のことが今は分からなくても、私の周りのみんなの気持ちを伝えてきてほしいと言われたのがきっかけとなり、44歳の時に市議選への出馬を決めました。そういった訳で、『ポートボールを子ども達に指導していたときの、人のために尽くすことによっての人の喜びを感じること』が政治の道を歩むことになった原点となっています。

< 海岸線から発展してきた焼津市と津波対策 >

ー中野市長の考える理想の焼津市について教えてください。

中野市長:

私が市長に就任したのが平成24年12月ですが、その時に特に頭の中にあったのは平成23年の東日本大震災のことです。また、当時から東海地震や南海トラフ地震が叫ばれるようになっていました。焼津市には海岸線が15.5kmもあります。そんな長い海岸線を有した焼津には焼津港、小川港、大井川港という3つの港があります。焼津漁港は日本一の水揚げ量を誇り、約500億円の水揚げ金額を有しています。3つの港ではそれぞれ違う魚が獲れ、6次産業化も進めており、市内には缶詰会社や生産加工会社などができています。このように、海岸線から大きくなったのが焼津です。

焼津の産業の多くがその海岸線に張り付いています。そのため、市民の生命財産、そして産業を守る為に、津波対策を計画的に、協力的に国と連携して推進していかなければいけないと思いました。もし対策をしなければ焼津は東海地震や南海トラフ地震などの津波によって潰れてしまう可能性がありました。私としては津波防災対策を軸にしてまちづくりを進めてきています。

ー焼津市で取り組まれている津波対策について教えてください。

中野市長:

私が市長になり、平成26年に「焼津市津波防災地域づくり推進計画」を立てました。これは焼津市が全国で初めて作ったものです。市民のみなさんが現在の場所で現在の暮らしを安心して続けることができるように『焼津市全域』を推進計画区域とし、様々な施策を組み合わせ、各施設が単発とならず地震対策と津波対策に一体的に取り組むことを、この「推進計画」には盛り込んでいます。

平成26年に計画を立て、それから10カ年計画の中で海岸線の堤防の強靱化を進めてきました。また、津波の想定高さを見据え、堤防の内陸側にもう一つ盛り土をしました。これは通常時の高潮対策にもなっていますし、富士山がとても綺麗に眺望できる海岸線ということで散歩やランニングにも使用できるようになっています。

このように地震津波対策を加速させていく上で大事なのはやはり計画です。いかに対策を推進していくかということを考えなければなりません。それはなぜかというと、地震津波対策などでは国にも動きの変化があり、補正予算が出るというタイミングで、市が計画を立てていないと、その予算を受けるところが無くなってしまうからです。また、国からの補正予算だけでは対策を講じることできません。焼津市としても対策金を積み立てて、将来に備える必要があります。それは、国から補正予算が計画されたとしても、事業費の主は焼津市で負担しないといけないからです。そういった点も考えると、『ふるさと納税の強化』が必要になります。

ー理想の街に向けて対策を進めるに当たって課題となったことはありますか?

中野市長:

「焼津市津波防災地域づくり推進計画」を進めていく中で、地域の皆さんの理解を得ることに苦労しました。計画についての座談会を年間90回ほど繰り返しましたが、最初の方は市民から反対されることもあり辛いことも多くありました。しかし、市民の皆様のところを回っていると次第に仲良くなっていくのです。少しずつ、少しずつ、津波対策の理解の輪を広げるという形でここまで進めてこれました。

ー市民からの理解も得てこれからも津波防災対策を進めていくのですね。

中野市長:

津波防災対策はまちづくりの前提となるものです。例えば、焼津市では『焼津ダイヤモンド構想』というものがあります。これは日本全体の自然減、人口減少の時代、ハード面で都市をまとめていくということです。ダイヤモンド構想は焼津市の中で8つの拠点を決めて発展させていくものです。しかし、先ほど述べたように焼津港などの焼津の産業の中心は海岸線に張り付いています。ですから、このダイヤモンド構想を実現するためにも、前提として津波対策をしておかないといけないのです。万が一の時に1人でも亡くならない。いざというとき逃げられるように、高台の避難場所の整備も必要ですが、避難場所の理解など、津波防災への市民の皆様の大きな理解が大前提となります。

< 若者へのメッセージ >

ー政策立案や地域づくりに参加する学生に向けてメッセージをお願いします。

中野市長:

各地域で住んでいる人にとっては当たり前のことでも、そこに住んでいない人には興味の湧くものが多いです。例えば、私は生まれてからずっと焼津にいますが、ずっといると当然見慣れるものは気にも留めず流してしまうことがあります。この前も、『マグロツリー』と呼ばれる漁船からツリーのようにマグロを重ねて荷下ろしする風景ですが、その様子がインスタに上がり、それがウケたりもしてましたね。意外と地域外の人たちは、当然当たり前のことを見てみたり食べてみたりしたいのだと思います。そのように、皆さんの各地域で当然となっている良い物が観光や交流人口の創出に繋がります。地元では普通のものと思えるものから観光推進や商業発達に繋がるものがまだまだあるはずです。ぜひ若い皆様に別の角度からの積極的な情報発信をお願いします。

(インタビュー:2022-03-14)

プロフィール

■生年月日 昭和32年2月7日
■略歴
衣料品店経営
焼津市議会議員(2期)
静岡県議会議員(2期)
焼津市長(現在3期目)

※プロフィールはインタビュー時のものです。
中野市長とのインタビューの様子
2022年3月14日 zoomにて
(左:中野市長 右・下:ドットジェイピースタッフ)

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