ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.238[首長] 宮本一孝 大阪府門真市長 「相手のことも自分事のようにとらえ、支え合うまちを目指して」

〝相手のことも自分事のようにとらえ、

支え合うまちを目指して〟
門真市長 宮本一孝
JAPAN PRODUCER INTERVIEW vol.238

大阪府北東に位置し、京阪電車、大阪メトロ、大阪モノレールが走る

利便性の高い門真市。
「人情味あふれる!笑いのたえないまち」をめざす門真市で、
よりよい教育環境を築くために奮闘する
宮本市長にお話しをお聞きしました!

 

< 市長から見た門真市のイメージと時代背景 >

ー市長になろうと思われたきっかけはなんですか?

宮本市長:

 父が、門真市議・大阪府議を務めていた影響もあり、選挙スタッフや秘書などの裏方として政治の世界に関わろうという意識はありました。でも、元々は自分自身が議員になる気はありませんでした。その後、25歳の時に父が亡くなり、平成11年、28歳で門真市議会議員に当選させていただき、2期8年務めました。
                                                平成11年は地方分権一括法の施行や介護保険制度の進展など地方分権の流れが急速に広まっていました。また、当時から大阪府内でも門真市は生活保護率が高いなど多くの問題を抱えていました。全国的には小泉政権が行財政改革を推進しており、財務大臣として改革路線を支えられた塩川正十郎氏が東大阪市におられ、大阪の生活保護に関する問題提起を受けました。
 それをキッカケとして、私自身も門真市の様々な課題を勉強して見つめ直すようになり、行財政経営のあり方に関心を持つようになりました。また、平成の大合併で守口市と門真市の合併協議もありましたが、残念ながら叶いませんでした。
                                        そうして門真市単独で持続できるのか、どう自立を考えるべきかを模索しながら、平成19年に大阪府議会にチャレンジし、3期9年間、府議会議員を務め、その後、平成28年に市長選挙に挑戦しました。

  

ー宮本市長の考える30年後の理想の門真市を教えてください。

宮本市長:

 あまりにもスパンが長すぎて、イメージがつかないなと。30年前というのは今から言えば、私は23歳で関西大学にいた頃ですね。当時はポケベルが主流で、学生で携帯電話を持っている人はあまりいない時代でした。また、当時から介護のお仕事はありましたが、介護保険法が成立していないので、介護保険事業が制度として仕上がっていませんでした。
30年後というと、完全自動運転の車が当たり前になっていたり、ドローンの技術であったり、生成AIの話もありますが、本当に想像できません。
                                        政治のあり方や行政のカタチも変わっている可能性は非常に高く、市役所自体がそもそもあるかもわかりません。例えば東京に住みながら門真市に勤めているかもしれないし、 逆に門真市に住みながら実際は海外の仕事を普通にしているかもしれないし、 住民票はどこの自治体のものなのか概念自体も変わっている可能性もあります。人口の概念も、昔は定住人口だけだったのが、今は交流人口や関係人口があったりします。門真市に定期的にふるさと納税をしていただいている方がいたら、住民サービスをしないといけなくなるかもしれません。
                                        さらに、市役所の話をすると、現状で門真市の職員は約800名いますが、合併の話が出てきている頃は約1,300名でした。色々な専門職を抱えて、技術継承が可能な組織を育成していく環境をつくろうと思うと、役所は1,000人を超える職員規模でないと難しいと思います。しかし、この職員規模は人口30~50万人の中核市くらいでないと、維持できないので、今後は様々な工夫やアイデアが問われるところです。

 

< 教育は生きていく力である >

ー今と昔で門真市の変化を教えてください。

宮本市長:

 門真市は昨年で市制施行60周年を迎え、1960年から70年にかけて人口は3万4,000人から、一気に14万人に急増しました。それに合わせて、文化住宅や公営住宅も含め、人口増加の受け皿が求められました。当時、市も土木や建築の専門職が多かったのですが、次第にまちづくり以上に福祉所管の職員が増えています。
                                        また、近年の大阪市内でのタワーマンション建設等による人口増加の波は、門真市まであまり届いていませんでした。既存の開発計画により道路が狭く、公園が少ないなど子育て環境が厳しいことが理由です。ところが、最近では三井のららぽーとやアウトレット、コストコがオープンするなど商業施設が新しくなりました。これによって、若い人々の関心が高まっています。人口を急激に増やす必要はありませんが、人口の減少は防ぎたいと考えています。
                                        また、40年から50年前に建設された学校が老朽化しています。これから20年かけて、小中学校の再整備を進める必要があると考えています。道路、公園などの都市基盤も改善が必要で、これらのまちづくりを進めることにより利便性が向上するでしょう。大阪モノレールの新駅ができる計画もあり、20年後にはさらにまちなみがガラリと変わると思います。      1970年の大阪万博に向け、高度経済成長期に大阪の多くの都市基盤が整備されて来て、パナソニックの工場敷地も、昭和30年代に建設されたものが多くあります。これらのインフラの更新と連動した門真市のまちづくりを進めていく予定です。
 すぐに結果を残すことは難しいので、着実に一つずつ積み重ねて、しっかり環境を整えていくことが重要ですね。

ー宮本市長の実現したい理想のまちやそのための課題を教えてください。

宮本市長:

 門真市は、様々な課題を持っています。平成28年に子どもの生活実態調査が行われた結果、門真市の厳しい現状が明らかになり、子どもの貧困対策が注目されることになりました。その要因に、生活保護率の高さがあり、それは住宅政策の結果でもあります。保護費の住宅補助には上限もあり、安価な賃貸住宅が多い門真市は、結果的に生活保護を受け入れやすいという傾向があります。その他、一人親家庭も多く、お父さん、お母さんも余裕がない中で生活に追われ、子どもを優先することができない実情があります。
 そうした現状を踏まえ、子どもの未来応援ネットワーク事業という地域の皆さんやここで働いておられる皆さんにボランティアで見守りなどをしていただいています。子どもの未来応援団として、登録いただいている方々が約1,700名もおられます。生活保護課では青少年健全事業として、学校の校長OBなどが中心に進学相談にのっていただいています。
 門真市の学力は全国学力テストが始まった当初はかなり厳しい状況にありました。しかし、学習以前の課題を抱えていた家庭が多く、そこをしっかりとケアすることで、ここしばらく学習意欲を高めていきつつあります。
                                         私自身、ずっと門真市で育つ中で、少々やんちゃな同級生も含め、様々な立場の友達と出会ってきました。だから、門真市に行ったらすごい学力が伸びるというよりは、様々な立場の仲間ともまれ、打たれ強いへこたれない人間関係をちゃんとつくっていけるような地域になればいいなと思っています。
                                           また、今はコロナ禍の影響もあって、地域活動そのものが減っていたり、少子化から子ども会の維持ができなかったりしてきている地域があります。私自身、小学校時代には地元の子ども会をやらせてもらったり、家の前の神社のお祭りが復活していく中では獅子舞の笛を教えてもらったり、教えたりしていました。お陰で、初めてのアルバイトが天神祭りでの獅子舞の笛吹きでした。他にも、高校時代の生徒会活動や大学時代のクラブ活動などいろいろな経験をしてきたことが、私の中の人との繋がりや考え方のベースになっています。
そういう体験ができる環境づくりがたくさんできればいいなと思っていますね。

 

ー相手のことも自分事のようにとらえ、支え合うまちを目指して

宮本市長:

 私が市長になる前に、ある講演で聞いたのですが少しやんちゃな子が問題を起こして警察に保護されている時に、門真市だけ親ではなくて近所のおばちゃんが引き取りに来られたという話を聞きました。私の子どもの頃は玄関の鍵をかけずに普通に外出してて、近所の家に遊びに行ったまま、うっかり寝ていたりする大らかな時代でした。
 私の2代前の東潤市長も「向こう3軒両隣り」と、よく話されていて、門真市は古くからこの地域でお住まいの方も、高度経済成長の時に移って来られた方も、大阪の下町らしく近所付き合いの中で、コミュニティを形成してきたこともあり、大阪独特の土足で人の心に入ってくる印象もありますが、人の温かさという要素が非常に残っていると思います。
                                         昔から、大阪弁や河内弁で友達や相手のこと、二人称を「自分」とか「われ」とか言います。「われ、なんしとんねん」みたいにね。つまり一人称と同じ言葉を使っているんですよね。これが大阪の距離感だと思ってて、他人も自分も壁がないからこそ人の心にすっと入ってくる、そんな感覚なのではないかと思います。
 人情味というのは下町の温かさみたいなことを指しているのですが、まちの将来像である「笑いのたえないまち」にふさわしい明るい賑やかなまちになればいいなと思います。

 

ー今の門真市では温かみは減ってしまっている?

宮本市長:

 そうですね。だから、市長になった時に、ふるさと門真まつりを10年ぶりに復活させたんです。10年間途絶えていたので、職員もそんなにお客さんが集まるのか不安にしていましたが、いざ開催してみると、めちゃめちゃたくさんの方々が来られるんですよ。浴衣を着ている小さい子ども連れのお母さんとかおばあちゃんとか、三世代で来られていました。そうした風景を見ると、職員も心にじーんと来るものがあったみたいです。
 そういうことを重ねていくことで、人の温かさとかそういう関係性っていうのをつくっていければいいなと思っています。
                                         また、各種団体がこういうイベントに参加されて、コミュニケーションを図ることで組織の強さも出てくるでしょうし、世の中は無駄を排しドライになっていきがちですが、ウエットな関係性を感じられる機会をつくっておくことは、すごい大事じゃないかなと思っています。

 

ー理想の市を実現していくために行おうとしている政策などがあれば教えてください。

宮本市長:

 治安に関して、平成13年頃は大阪が全国でひったくり件数がナンバーワンで、門真市が府下で1番高かったんですよ。でも、令和2年はひったくり件数0件ですからね。それだけ治安は良くなっています。私自身も長いこと保護司をさせていただいていますが、昔に比べたら明らかに状況は変わっています。
                                        大切な施策は、やはり教育ですね。府議会議員の時に教育について調べる機会がありました。そうすると、進学校ほどクラブの加入率が高いことがわかりました。つまり、いかに多くの好奇心を持って、様々な活動をしていることが結果として苦難、問題を乗り越えるために必要な非認知能力、自己肯定感を高めることに繋がっているのです。              
                                         私も正直言うと、結構、失敗だらけでここまで来ています。失敗した時に人に助けてもらい、教えられたことが活きて、今に繋がっています。なので、やっぱりチャレンジすることはすごく大事ですし、 単なる学力向上だけではなくて、こうした好循環を門真市でつくっていきたいです。
                                          まちづくりについても、都市インフラを含め、まちを再編していくタイミングになります。2025年大阪・関西万博やIR(統合型リゾート)を含めて、大阪の産業・経済の伸び代はまだまだあると思うので、伸び代がある間に多くの手数を打っておきたいと思っています。

 

< つながりの積み重ね >

ーこれまでの議員活動や様々な経験の中で培われた人生観や価値観は今の政策にどう反映されていますか?

宮本市長:

 守口市との合併の時のご縁で、地方財政審議会の小西砂千夫会長と出会い、当時、関西学院大学の教授で、専門の地方財政の勉強会によく参加していました。そこでこの20年近くの国や地方財政の変わっていく過程をずっと見てきました。市役所の若手職員も引き連れながらそこで勉強もしてきましたし、市長になる前の段階で、彼らと関係性もつくれていたことは非常に助かったなと感じています。
 また、私の両親が二人とも門真市職員だったこともあり、市議会議員になりたての時はベテランの職員が「昔、お父ちゃんとこんな話をしていていたよ」と話してくるわけですよ。そういう意味では今の職員より門真市役所の古い話について詳しいかも知れません。
 元々門真市で生まれ育った職員も減っているので、担当している仕事のことは詳しいけれども、地域のことに関して知識が全然なかったりする場合もあります。そういう面で人との繋がりの積み重ねが僕にとっては非常に財産となっています。
                                        他にも以前、インターン生を受け入れていた時期が長らくありました。その時の学生が、今は弁護士や総務省、国税庁、はたまた新潟県三条市の副市長になっていたり、結婚して門真市民になっていたり、今でもお付き合いが続いている方々もおります。
 学生の皆さんと一緒にいろんな勉強の機会をつくってきて、その積み重ねのおかげだなという実感もすごくあります。

 

< 若者へのメッセージ >

ージャパンプロデューサーとして、このインタビューを読む若い世代に助言したいことや励ましなど一言お願いします。

宮本市長:

 私は、本当に何一つうまいこといかなかったんです。すぐに大学に入れなかったし、大学にも長いこと在学したし、その後も回り道ばかりして来ました。その他、新しく党を創る機会なども含めて色々な経験をしてきましたが、それも本当に多くの先輩方や周りの仲間に助けられて、なんとかここまで来ました。
                                        一言でいうと、失敗してもらうこと、ですね。
やっぱり、うまくいったのは、単なるラッキーなんです。
うまくいかなくて当たり前で、その次に、活かせるかどうかですよね。
チャレンジしない限り、なにか事を起こさない限り、失敗する経験はできないので。
その上で、失敗しても、へこたれないことですよね。
どうせうまいこといかないんやから、だからこそ失敗してもいいんですよ。
ひたむきに取り組んでいる姿はちゃんと誰かが見てくれているし、          いずれ救いの手は現れます。                           前のめり感全開、笑いを絶やさずやっていくことがすごく大事なのかなと思います。

(インタビュー:2023-12-13)

プロフィール

■生年月日 昭和45年8月6日
■学歴
門真市立門真小学校 卒業
門真市立第六中学校 卒業
大阪府立四條畷高等学校 卒業
関西大学経済学部 卒業

■職歴
門真市体育協会会長
門真地区保護司

■略歴
2016(平成28)年 門真市長(1期目)
2020(令和2)年 門真市長(2期目)

※プロフィールはインタビュー時のものです。

2023年12月13日 門真市役所にて
(中央左:宮本市長 ほか:ドットジェイピースタッフ)

宮本市長とのインタビューの様子
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