ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.013 [議会議員] 宮 政利 広島県議会議員 「県の仕事を減らしたい県議会議員」

広島県議会議員

民主党 宮 政利
政党 民主党
選挙区 広島県呉市
初当選年 1991年
当選回数 5回(県議選3回、市議選2回)
公式サイト

 

宮議員はなぜ政治家になろうと思われたんですか?


市役所に勤めている時にいろいろなことを経験して、現実的になかなか自分の力だけでは物事を変えられなかったっていうのがあってね。やっぱり政治的なところから変えていくほうが早いかなっていうのがあって。
当時は市議会議員になれれば、なんでも出来ると思ってたんよ。でも実際なってみたら、そうじゃなくて(笑)。
政治っていうのはサポートする力であって、起爆剤っていうのは現場にないとダメだね。もともと政治にはあまり関心がなくて、バイトはしても選挙には、あまり行かない学生だったなぁ。
学生のころは農業しようかなと思ってたし。



なぜ、農業の分野には進まれなかったんですか?


お百姓を断念したのは、北海道に1ヶ月くらい行ったときかな。猫の目農政で振りまわされてるお百姓さんの現実をみて、厳しさを間の当たりにしたんよ。
政治が悪いんだなとそのころ単純に思ってたね。



公務員の世界から、政治の世界に入るということで、迷いや不安はなかったですか?


いや、全然なかったね。僕本人はすごく気軽な気持ちで議員になったんだ。
公務員も議員も、それなりに達成感のある仕事だと思うよ。どちらも地域を発展させるための仕事だし。
僕は呉市に対して誇りをもってるからね。ただ仕事に自分の意志をストレートに反映させるっていうのは、そりゃ議員の方がわかりやすいよ。
で、その評価もストレートに出るしね、4年に1回。そういうのは自分に合ってると思ったよ。
あと平均的な市議会議員は役所は敵だったわけ。役所出身の僕は、役所側の視点からも物事を理解できたから役所は助かったんじゃないかな。
でもあんまり役所側に立つと今度は地元の人間が嫌がるんだよね。(笑)
三者三様だよ。



宮議員は呉市議会議員、広島県議会議員と、長い間、広島県を見つづけてきたわけですけども、広島県の政治についてどう思われますか?


広島県にかぎったことじゃあないけど、政令市議会と県議会の仲が悪いわな。
一般的な市だと、市と県と国の習慣みたいな順序構造があるけど、政令指定都市では、ある意味で県の出番がない。
県の仕事、市の仕事、その区分がうまくいかなくて停滞してる感じがするね。



宮議員はその構造を変えていきたいと思われますか?


僕は基本的には、そもそも県の仕事は中二階的なものだと思ってる。
あと3年ぐらいで市町村合併を控えていて、今は地方の行政の仕組みをどうしていくのかっていう大きな変化の時期に差し掛かりつつある。
その時にできるだけ県の仕事を減らしていこうと思ってるんだ。
県っていうくくりは、もともと生活の必要に応じてできたものじゃなくて、むしろ国が行政統治をやりやすようにって作ったものだから。
県っていうのは住民からすると見えづらい。
僕は税金を払っている人が、直接的にしろ間接的にしろ物事を決めていくときに参加して欲しいのね。
そのために行政の仕組みは分かりやすいほうがいいし。
その手助けとして、物事の分解をして、解説をつけて、お披露目していくっていうのが議員の仕事でしょ。
だから県の仕事っていうのはそんなに大きいものじゃなくて、市町村だけではカバーできないようなことを、その間を取り持ちながら、補完してやっていくっていうのが、県の役割なんよね。
やっぱり「納税者の判断」がこの国を作るんよ。
僕は「お上に納める」みたいな感じがして嫌だから「納税者」とはいわないで、「担税者」っていってるんだけどね。
払うものは払うけど言うべきことはきちんと言って、点検するものはきちっと点検する。議員はただ黙って役所の提案を待ってるんじゃなくて、それを探そうと努力するべきだし、こちら側の情報も住民に見えやすい形で届けるべきなんよ。



宮議員は、中国地方で初の.jpの議員インターンシップの受け入れ議員ということですが、どうしてインターン生を受け入れようと思ったのですか?


一つは自分の考え方の修正なんですよ。
議員が普通だと思ってることでも、客観的に知らない人からみて「ここはちょっと違ってるんじゃないか、これは普通に考えたらおかしいんじゃないかな」みたいなところをバンバン言って欲しくて。お互いに違う世界を見られるわけだから、勉強になるところは多いだろうっていう期待があって受け入れたんですよ。



実際にインターン生を受け入れてみていかがですか?


若いわりにしっかりしてるなぁと思いますね。自分の意志でやろうとしてるんだなって。どっかからいいものを持って帰ってやろうっていうのを感じますよ。
ただ、やっぱり昔の学生にくらべると、ちょっとおとなしいんじゃない?
相手が議員という得体のしれない人物だから気後れしているのかもしれないけど、もっとバンバン質問してきて欲しいよね。初歩的でもとにかく質問するってことが大事で、学生も得るものがあるだろうし、こちらとしてもそれにちゃんと答えられるようでないといけないし。
そうすることによって議員も鍛えられるしね。
インターン生には釣れた魚を持って帰ってもらうんじゃなくて、魚の釣り方を学んでいってほしいんだよ。
今の若者っていうのは、入り口があるとすぐにあそこが出口なんだろうなって性急に想定してしまうところがある。
もっとね、途中が迷路になっているか、でこぼこ道になっているのか、のぼり坂なのか、そんなんを楽しんでやってみればおもしろいのになって思う。
そういう時間はあるはずなのにね。社会にでるとそんな時間はないから、若いうちに道のりを楽しんで欲しい。
つまり車に乗るかオートバイに乗るかってことですよ。
雨が降ってもぬれないで、空間ごと移動するじゃない、車って。
外界から切り離されてるでしょ。過程を楽しむわけじゃなくて、早く目的地まで着くためのものだよね。
でもオートバイは外の空気を感じながら、目的地につくまでも楽しむもんだよね。
もちろん苦労も多いよ、暑かったり、雨にぬれたり。
でもそんなのも全部まるごと含めて目的地へ行くという方法なんだ。そういう過程を楽しむっていうのには、一番いい時期だと思うよ。学生にはそんなオートバイであって欲しい。自転車とは言わないから(笑)



では最後に、若者へのメッセージをお願いします。


とにかく食わず嫌いはやめよう。食うてみてからうまいかまずいか感じてから考えればいいんだよ。
うまかったらもう一回食ってみればいいし、まずかったら吐き出せばいいし。
そういう積み重ねを大事にしてほしいね。まずはやっぱり食うてみることでしょ。
それをしなきゃ何も始まらない。



(インタビュー:2002-10)


1958.9 広島県呉市に生まれる。
1974.3 東畑中学校卒業。
1977.3 呉三津田高校卒業。
1981.3 神戸大学農学部卒業。
1981.4 呉市役所勤務。
1991.4 呉市議会議員に初当選。
1995.4 呉市議会議員に2期目の当選。
1998.12 民主党広島県連が結成され、幹事長に就任する。
1999.4 広島県議会議員に初当選。
2003.4 広島県議会議員に2期目の当選。
2007.4 広島県議会議員に3期目の当選。
※プロフィールはインタビュー時のものです。

関連記事
  • Vol.238[首長] 宮本一孝 大阪府門真市長 「相手のことも自分事のようにとらえ、支え合うまちを目指して」

    ジャパンプロデューサーインタビュー

  • 濱田市長プロフィール用
    Vol.237 [首長] 濱田 剛史 大阪府高槻市長 「未来志向で、次世代に品格ある高槻を!」

    ジャパンプロデューサーインタビュー

  • 品川市長プロフィール用
    Vol.236 [首長] 品川 萬里 福島県郡山市長 「誰一人取り残されないまちを実現するために」

    ジャパンプロデューサーインタビュー