ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.020 [議会議員] 越田 けんじろう 川西市議会議員 「マリナーズの佐々木になりたい」

川西市議会議員

民主党 越田 けんじろう
政党 民主党
選挙区 兵庫県川西市
初当選年 2002年
当選回数 1回(市議選1回)
公式サイト

 

子供の頃は何になりたかったのですか。


プロ野球選手になりたかったですね、大の阪神ファンだったから。今でも「本当の阪神の背番号31は越田謙治郎がつけてるはずだったのに!」みたいなこと考えるくらい好きで(笑)。 喘息が小学校高学年からひどくなって、中学校時代には入院を繰り返すようになって学校も休みがちで、中学生時代はあまり思い出もないですね。でも今思うとすごくよかったかな。というのは「僕の人生ってなんなんだろう・・・」ってすごく考えたんです。みんな学校ですごく楽しい。でも僕はベットの上で楽しくない。何かしたいけど何もできない自分。人生どう生きて行ったらいいかな、っていうのを中学生なりに考えてた気がしますね。



会社での生活はどうでしたか。


営業してました。全然売れない時期もあって辛いときもありましたけど、結構楽しかったですよ。楽しかったけど政治家よりも今の仕事がいいと思ったことは一度もなかったですね。 絶対政治家のほうがいい。会社で働きながらもそう2年間思い続けました。これは自分のなかで大きかったですね。学生時代だったら政治家になりたいって言ってもただの夢だけど他の楽しい仕事もした上で政治の世界に入りたいって思ったから、自分の気持ちは本物だと思って選挙前に会社を辞めましたね。



なぜ議員になろうと思われたんですか。


根本は、祖母が寝たきりになった、それを何とかしなくてはならないという気持ち。結局みんな何とかしなくてはならないっというのはわかってるはず。でもサラリーマンの僕にはできることは限られるんですね。サラリーマンのときに思ったのは、いつか政治家っていう思いがあるから社会の動きにすごい興味があるんですよね。新聞を読んで、「何でこんなことになってしまうんだろう」「10年前と言ってること同じで進歩してないじゃないか」って思うんです。でも、何もできない自分がいるんですね。それがとても嫌でした。テレビの前でいくらいいこと言ったって、愚痴と一緒だったんですね。観客席ではなく政治の舞台に立ってプレーをしたかったんです。



選挙で一番うれしかったことは?


選挙期間中の金曜日の朝、JR川西池田駅であいさつしてたんですけど、金曜日ってもう最後の方で疲れて声もあんまりでない状態だったんですよね。そんな状態で「おはようございます」ってあいさつしてたら、今まで多分一回も声かけてくれたことのない人が、「越田君いつもはもっと元気だぞ」って。もう泣きそうになりましたね。3ヶ月毎日チラシを配ってて、この人は見ててくれたんだ、と思って。と同時にすごく後悔しました。その人に会う前の一時間、もっとたくさんの人が見てくれてたかもしれないのに、その人たちに対して僕の最高の思いを伝えることができてなかった。そう思うとすごい悔しくなった。(同じ日の)夜にも「おかえりなさい、一日おつかれさまでした。」って言いながら駅で立ってたんですよね。そしたら酔っ払ったおじさんが恥ずかしそうにうつむいて近づいてきてくれて「がんばれ25歳!」って言いながら通り過ごして行ってくれてね。そういう人が何人もいてくれて。それまで夜駅に立ったことはなかったから、この人たちは朝あいさつする僕を見て、夜もう一回見かけて声を掛けてくれたんですよ。あぁこれだけ見ててくれてる人がいるんだったら負けられないなって思いましたね。
あと、マンションの前で演説したときに、ベランダから赤ちゃんを抱いた茶髪のお母さんが出てきてくれて。休みの日なのに。花が咲いたみたいにあっちからもこっちからもたくさんのベランダから人が出てきてくれて、話を聞いてくれる。終わったら拍手してくれる。そのときに、サラリーマンの僕と、無職で選挙に立候補した僕って思ってることは一緒でも、話しを聞いてくれる人がいるかどうかが全然違う、政治という舞台に踏み出したからこそ、話を聞いてもらえてる。話を聞いて、うんって言ってもらえるってことは、みんなそう思ってる部分があるはずだ、僕に投票してくれる人がいる限り負けられない、って思いましたね。
世の中の人は社会に意思表明ができるのは、基本的に選挙のときしかないんですよ。その意思表明ができる4年に一度の大切な日に「越田謙治郎」って書くだけのために投票所に行ってくれるかもしれない、と思うと熱くなりました。選挙中、感動はほんとにたくさんありましたね。



議会の中では先輩議員にどういう風に見られているんですか?


すごくつかみどことがない、不思議な奴って思われてると思いますね。選挙終わっても駅でチラシ配ってるしね。まわりが年上だから何でも聞ける、若さの強みってあると思います。だってまわりが年下だったら簡単なこととか聞きにくいですよね。みんなに言ってもらったのは「ものわかりがよくなるな」ってこと。
実績のなかった僕に投票してくれた2729票の大部分は、越田に何か変わったことをしてほしいっていう気持ちですよね。



議員さんって『どんな仕事』ですか。毎日何をされているんですか。


議員の仕事はすごくクリエイティブな仕事だと思ってます。社会を変えるために意思表明ができる。そしてアクションを起せる。しかも越田謙治郎って書いてくれた2729人が後押ししてくれてる。
昔ながらの、三河屋さんのような「困ったことはないですか~」って注文を取ってまわって皆さんのかゆいところに手が届く市会議員さんも、いらっしゃいます。
もちろんそういう議員さんもいいかもしれないけど、僕はそういうことをしたくて議員になったわけじゃなくて、どんどん政策を企画、提案する、っていう提言する政治をしたいんですね。
自己満足かもしれないけど、僕は今まで僕以外誰も言わなかったことを議会で言ってるので、それはすごく大きいことだと思う。とりあえず何か影響を与えることができたと思ってる。選挙のときに公約らしいことはほとんど言ってないんだけど、一つみんなに約束したのが、10年20年かかっても僕は絶対やるよ、言い続けるよ、やり続けるよ、ってことですね。
すぐに結果が出ることなら僕が25歳で選挙に出る必要はなかったはず。だから急いで結果を出そうとはしてません。20年後の越田謙治郎はまだ45歳。きっと結婚して子供いるし、大きな責任だってある。
別にベテランの人が悪いとは言わないけど65歳の方は20年後こうします、なんてなかなか言えないと思います。だって(20年後)85歳ですから。20年後の街に関してよりも今ある問題の解決の方が断然興味あるはずですから。



議員になって『やっぱりよかった!!!』と思われたことはなんですか。


どこにいっても「トップ当選の子だね」と言ってもらえるんですね。期待してくれてる、っていうのが嬉しいですね。その分プレッシャーもあるんですけど。見られる仕事をするっていうことは、すごくやりがいがあります。ドラフト一位で入団してそのまま一軍でバリバリ活躍。っていう松阪大輔みたいなすごい奴になれる可能性があるからね。



これからの4年間どんなことを中心に活動されていこうと思ってらっしゃいますか。


政策的に考えてるのは、人をつくりたい、ということ。
市の仕事をするのは役所の職員一人一人なんだけど、いかに有能な人がモチベーションを高く保ったまま仕事できる環境を生み出せるか、採用とか、組織のあり方ということに注目してます。
街をつくるのってやっぱり人なんですよね。おおげさな話をすれば川西に中央官庁よりすごい人材を集めればアイデアがたくさん出て、すごいいい街ができるはず。「川西の職員ってほんとうにすごい。」っていうのを実現したいですね。
もう1つは、いいことも悪いことも発信していきたいということですね。現段階では情報公開はできてきてるけど、情報発信はあまりされていないですからね。その他、今は僕にしかできないことをしていこうと思ってます。



では、4年後の『越田謙治郎』をひとことであらわすと?


マリナーズの佐々木ですね。
初選挙のときは、とりあえず「政治家に必要なのは志だ!」っていうような、ストレートしか投げられなかったから、それだけじゃなくてひとつこれだけは誰にも負けない!ということを同時に持っておきたいなと思いまして。



議員をこの先ずっと続けていこうと考えておられますか。もし議員をやめるとしたら、その後の人生設計は?


来てくれる人がいたらいつでも結婚はしたいかな。とりあえず20年は議員をやり続けないといけないね。
選挙のときに約束しましたし。
その後、45歳からベストセラー作家を目指したいですね。『僕の半世紀』というタイトルの自伝をはじめとする執筆業に専念して、60歳くらいから阪神タイガース応援喫茶店を開店。悠々自適に過ごす。。。という感じかな(笑)。



今『学生の政治離れ』ということが世間では叫ばれていますが、このことについて、誰がどのようにしていけばよいとお考えですか。


議員が魅力的になることですね。それぞれの議員が自分のできる範囲で自分のやってることをアピールして自分磨いて、とかっこいいプレーヤーになれば、お客さんはちょっと野球見に行こうとか、プロ野球は無理やけど草野球してみようとかそんな流れになるんじゃないかなぁ。



議員インターンシップを受け入れていただいた理由は。


すごくサボる人間の越田謙治郎を監視してもらおうと思って(笑)
教えてあげようっていうよりも、一緒にやっていこうという感じですね。僕の話し相手です。
「学生時代に越田議員の下でインターンしたのがきっかけで、政治っていいかもしれないって思って今回立候補することになりました」とか言われたら、僕泣きまくりますね。



越田議員にとっての『JapanProduce』とは。


自分の街、国を自慢すること。川西って、日本っていい街だって認知されるようにがんばることですね。
政治家に限らないというのは確かですね。僕をすごく応援してくれてる人で、常に長蛇の列ができる焼き鳥屋さんの店長さんがいるんですけど、この店長も自分の世界を持ってる人ですよね。だから、僕にとっての『JapanProducer』は、自分の仕事が好きで、楽しく自分でプレーしている人ですね。



(インタビュー:2003-03)


1977.9.6 愛知県名古屋市に生まれる。
1990.3 川西小学校卒業。
1993.3 川西中学校卒業。
1996.3 履正社高校卒業。
2000.3 同志社大学法学部政治学科卒業。
2000.4 中央出版株式会社入社(サラリーマン時代は、子供向け英会話教室の営業マン)。
2002.5 立候補を決意し、中央出版株式会社退社。民主党に入党。
2002.10 川西市議会議員選挙に立候補(民主党公認)2729票を獲得しトップ当選を果たす。(当時最年少)
※プロフィールはインタビュー時のものです。


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