ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.036 [議会議員] 砂原 克規 広島県議会議員 「宝なんよ、人は。」

広島県議会議員

自民党 砂原 克規
政党 自民党
選挙区 広島市西区
初当選年 1997年
当選回数 3回(県議選3回)
公式サイト

 

砂原議員のお父様もおじいさまも議員でいらっしゃいましたが、小さいころから政治は身近なものだったのですか?


身近とかっていうような感じはなかったけど、小学校の頃とかおじいちゃんの選挙カーが来たときには手を振ったりとか、選挙速報を心配したりとかそういう部分はあったかな。逆に僕が希望の中学校に受かったときに、近所の人から「まぁでもおじいさんがおるからね」って言われたり。政治家の家族としてそういう部分はすごく嫌だったよね。



大学では経営学部を選ばれているんですが、このときはまだ政治家になる気はなかったのですか?


まったくなかった。うちは2代続けて政治家だったから、僕が政治家としての砂原家に幕を引いて、自分は経済界のほうでがんばろうって親父が死ぬまではそう思っていたんだけど、親父が死んだ瞬間にそういうわけにはいかなくなってしまった。親父が5月に死んで、10月の選挙までに周りがずーっと立候補する雰囲気にもっていって。自分の自発的な部分っていうよりは外部の環境っていったほうが適切かな。だからちょっとみんなと違うんだよね(笑)。



では今度こそ自分の代で政治家の砂原家は終わらせ、あとにはつながないとお考えですか?


それは僕が決めることじゃないね。世襲制度がいい悪いは別として、世襲だけでなった無能な政治家が政治をつかさどることで、住民が苦しむようなことがあったらそれはいけないでしょ。たとえ世襲議員でも、本人にそれだけの資質と意欲があればやればいい。それは本人と周りが判断すると思う。政治家としての能力があるかないかってのいうのは、人のために働けるかどうか。自分のために働いている議員はたくさんいるからね。



サラリーマンから政治家になるときに悩まれたことはありますか?


政治家になるときに非常に悩んだのは、それまでの43年間は自分のためと家族のためと、少し会社のためとに生きてきた。でも43から今度は死ぬまで人のために働かなければいけない。そこの切り替えが自分はできるかなっていうのを自問自答した。僕はサラリーマン20年間やってきて、いろんなポイントで自分の師と仰げる人に出会えたんだけど、中でも最後の3年間に出会った人がね、「君は何のために仕事をしてるの?」っていう素朴な問いかけをしてきたんだけど、僕はそれに答えられなかった。会社のためなのか、自分のためなのか。彼は「社業を通じていかに社会に貢献するか。何のために仕事をするかってのはそれだろ。社会貢献だろう。自分が人間として生きてきた証だろう」って。かっこいいなぁって思ってねぇ。その言葉は僕の一生の座右の銘というか、そうしなきゃいけないって思ったよね。政治家っていうのはその最たるものでしょう。だからそうなっていかなきゃと自分に言い聞かせながら、日々努力している・・・つもり(笑)。



10年後の広島県はいまと変わっていると思われますか?


このまま何もしなかったら、という前提で言えば、中国地方は地盤沈下していくだろうね。
その中でも岡山と山口の両方に引っ張られて空洞化して、広島県が一番地盤沈下してしまう。
広島は日本でも有数の観光のポテンシャリティをもった県だから、そこを活かして特徴ある観光都市を作らないと生き延びていけない。
そのために僕たちはそこにいろんな仕掛けをしていかなければならないんです。100年前に初めて瀬戸内海を旅した西欧人が、エーゲ海よりも瀬戸内海のほうが美しいって言ってるんだよ。



1999年2月の定例会で、砂原議員は“日本で一番住みやすい生活県”という広島県の基本的理念について質問されていますね。砂原議員にとっての“日本で一番住みやすい生活県”というのは具体的にどういうものですか?


日本で一番、といってもそれは地域や世代や性によって何が一番幸せかっていうのは違ってくるから完璧な満足っていうのは絶対に得られない。
人によって満足度も違うしね。だから100%の満足ではないけど、何となく安心できて、何となく概ね満足できて、何となく幸せよねってみんながそう感じられるのが日本一住みやすいということだと思うね。
そのためにはやるべきことはたくさんある。今の行政はそれをいっぺんにやろうとするから中途半端になる。
一点集中的に「この時代ではこれを徹底してやろう」とひとつずつやっていく。そういうものが蓄積されていけば、広島はすごくいい街になっていくと思うんだけどね。
広島県、特に広島市は平和都市といわれるけど、平和都市って何かなって考えたときに、被爆とかそういうのではないんだよ。
日本全国世界各国から来た人が広島で何日か過ごしたときに、何だか過ごしやすくて何かちょっと幸せになれたな、って。
例えば、運転していてもみんな譲ってくれて快適に運転できるとか、街でも気軽に人が声をかけてくれるとか、道に迷った外国人に道案内ついでにうちでお茶でも飲んでいきんさいとか。「また広島に来てあの人に会いたいな」って思える人がいて、「あぁ広島にきてよかったな」って、そう思える街が平和都市広島だと思う。



今回の衆院選でも20代の投票率が35%と低い数値でしたが、こういった一般的に「政治離れ」と呼ばれる現象が起こっているのはなぜだと思われますか?


それには2つ大きな要素があると思う。 ひとつは政治がテレビなどによってパフォーマンスというか、バラエティ番組みたいになってしまっていて政治に対して嫌気がさしてるということ。
もうひとつは、政治の基本的なことを知らない、誰も教えてくれないからわからない、わからないから興味が湧かないということ。
そこの部分は政治家の説明責任の欠落という点で、政治家に原因があると僕は思う。政治というものをもっとわかりやすくするためには、やはりもっと目に触れる部分が多くなるようにしていく必要があるんだな。
議員インターンシップはそういう機会になりうると思いますよ。だってやってみんとわからんじゃん。
そのよさも悪さも。僕ら議員も、せっかく付いてくれたんだから政治活動みたいなものを見せたいという気になって、色々積極的にやるようになるし。



砂原議員の世代が20代だった頃と今の若者世代に差はあると思われますか?


ひとつだけ思うのは、今の世代って横のつながりが希薄なんじゃないかな。
僕らは常に人とのつながりの中にいた。友達の下宿に上がりこんでいって、飲みながら日本の将来を語るとか。
よくわからないにしても、「今の日本はどうなんだろう」というような議論。僕ら世代のときにはそういう場面があちこちにあって、卒業してばらばらになっても昨日までの友達のように語り合える仲間が全国にいるからね。
そういうのが今の人たちの中にあるのかなって思う。さらりと付き合ってさらりと別れて。humanrelationsっていう人的なつながりみたいなものが薄い。
社会環境や学校の教育現場でも、人とのつながり・・・絆っていうものがとことん希薄になっている。
僕らのときの時代との差っていうのはそこじゃないかな。例えば人が集まると部屋の温度でも上がるわけじゃない?一人のエネルギーとみんなのエネルギーって違うわけだから。もちろん個というものはきちんと持っていないといけないけど、もっと人間関係を濃いものにしていったほうが将来的にも自分のためになる。宝なんよ、人は。



次代を担う若者に何かメッセージをお願いします。


学校や家庭の中で許される部分の範囲が広がりすぎて、自分が法律というMeイズムがはびこりすぎてる。
権利を主張するなら義務をちゃんと履行しましょう、といいたい。
例えば年金にしてもそうだよね。みんなが、みんなのためにという考え方をできるようになったら日本は変わると思う。
何かをしたいっていう好奇心や意欲を失うことなく、どんどん色んなことに飛び込んでいってほしい。
バーチャルじゃなくて実体験してほしい。
マスコミの情報に流されるんじゃなくて、報道された部分の何が真実かを見抜く力をつけてほしい。
聞いた話を自分の実体験として語るんじゃなくて、聞いた話は自分が自分の目で確かめてほしいね。



では最後に砂原議員にとってのJapan Produceとは何ですか?


やっぱり世界に確たる国、世界に誇れる国になっていかなきゃいけないと思うし、国民性としてもJapaneseが世界でもすばらしい人種だといってもらえるような国にしていくことでしょう。
そのためには、国を愛する気持ち、親を愛する気持ちといった昔あったアイデンティティを取り戻さなくてはいけない。
ただそれは、日本のことだけを思うという意味ではなくて、世界を見て日本がどう動かなくてはいけないかというのを考えられるということ。
吉田茂の時代から始まって、佐藤栄作とか田中角栄とか、こういった人たちは日本国独立や日本列島改造といった思想の基に政治をしていたよね。
取り引きばかりを優先する役人主導の政治ではなくて、その国を背負う、例えば坂本竜馬みたいな志士たる人が今日本にはいない。
政治家らしい政治家が減ってきている。



議員自身がトップに立たれて、というようなお気持ちはありますか?


それは・・・わからない(笑)。
僕が例えばすごい説得力だとか、そういった何かがあれば選挙で勝てるかもしれないけど、今の自分にはないような気がするから、今は県会議員という立場で精一杯主張していきたいなと思っている。
ひとつ上に上がるっていうのは100倍も1000倍もの努力が要るんじゃないかな。
ただ常に、自分自身がどこの立場にいてもベストを尽くしたい。Aという会社にいてBという会社をよくしようって言っても仕方のないことでしょう。
じゃあB社に入ればいいんだから。
僕は今A社にいて、まずはA社を変える。A社を変えられない人がB社を変えられるわけがないと思う。
あとはやはり常に清く正しく美しく、かな(笑)。
信念を持って正しいことは正しいっていえる人でありたいですね。そのことがトップに立つ前にやらなければいけないことだね。



編集後記


砂原議員が話される中で、「人のために」という言葉が何度も出てきました。
3世議員というと人によって色々イメージはあると思いますが、民間企業にいらっしゃったこともあってか、腰の低い方だと思いました。話し口調もとても穏やかで、謙虚な人柄がにじみでているように感じました。
しかし、広島県の「平和都市」の理念や人の絆についてはとても熱く語っておられ、謙虚な人柄の中にも広島に対する熱い思いが伝わってきました。
改めて広島県のよさについて客観的に考えるきっかけになりました。



(インタビュー:2002-11)


1953.9.8 広島県広島市に生まれる。
1969.3 修道中学校卒業。
1972.3 東京都立富士高校卒業。
1977.3 明治大学経営学部卒業。
1977.4 株式会社高島屋入社(東京支店勤務)
1987 株式会社砂原組入社。
1997 広島県議会補欠選挙初当選。
1999 広島県議会当選。
2003 現在3期目(衆議院議員の祖父、県議会議員の父をもつ)
※プロフィールはインタビュー時のものです。

関連記事
  • Vol.243 [首長] 木幡浩 福島県福島市長 「若者が行き交う県都福島へ」JAPAN PRODUCER INTERVIEW

    ジャパンプロデューサーインタビュー

  • 橋川市長プロフィール用
    Vol.242 [首長] 橋川渉 滋賀県草津市長 「誰もが健幸に暮らせるまちを」

    ジャパンプロデューサーインタビュー

  • 山本市長プロフィール用
    Vol.241 [首長] 山本景 大阪府交野市長 「財政再建から持続可能な住宅都市へ。元証券マンの挑戦」

    ジャパンプロデューサーインタビュー