ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.056 [議会議員] 芝 清 広島県議会議員 「まずは関心を持つこと、そして行動を起こすこと」

広島県議会議員

広島県議会 芝 清
政党 無所属
選挙区 広島県東広島市
初当選年 1995年
当選回数 7回(市議選3回、県議選4回)
公式サイト

 

芝議員はなぜ議員になろうと思ったのですか?


私は広島県議会議員の前に、昭和54年から3期12年間、東広島市議会議員を務めました。
議員になる以前、私は自動車メーカーのマツダ株式会社に勤めていました。マツダを核とした自動車産業は広島県の基幹産業です。産業と政治、非常に強い深い関わりがあります。その自動車産業に携わった者として、この地方が元気になることに役立ちたい、そして同時に働く仲間の代表として地方議会で頑張ってみようかなというところですかね。



企業の活動と、政治の世界では共通点はありますか?


そうですね、物造りでも政治でも、その本人の取り組み姿勢には基本的に共通する部分があると思います。企業が自動車を通して地域産業に貢献をしていく、議員というのは政治の中で県民の代弁者として、地域の活性化に貢献していくということで、目的は違ってもやり方には共通点があると思いますね。政治にしても企業の活動にしても、しっかりとした計画を立案し、明確な目標を持ち、そして行動を起こしていく。
またその行動を起こした結果には、自分自身も周りからも当然チェックが必要ですし、チェックをした結果、悪い点は改善してかないといけない、良い点はさらに伸ばしていかないといけない。 PLAN→DO→CHECK→ACTIONのサイクルを回すことは、政治の場でも企業の場でも私は共通していると思いますね。



芝議員は地場産業だけではなく、福祉、教育問題にも力を入れていますが、なにか理由があるのですか?


子どもたちは、あらためて言うまでもなく、次の時代の広島県、次の時代の日本を背負ってたつ貴重な人材ですからね。ここはやっぱり、将来のためにしっかりと子供達を健全に育てる体制を整えないといけないと思うんです。



2004年に東広島市に開校した、広島県立中高一貫校の設立に芝議員はどのように関わったのですか?


東広島市内にもうひとつ県立高校を建設することは、少しオーバーな言い方をすれば、市議会議員の時代からの私の大きな夢だったんですね。
旧東広島市内に限ったら、東広島市には県立高校が賀茂高校と西条農業高校、この二つしかなかったんです。地元の賀茂高校、西条農業高校だけでは受け入れ能力、人員的な能力が足りないために、当時中学校を卒業する子ども達の半分以上が、広島方面中心に市外通学を余儀なくされていたんです。
広島市内の一流進学高校を目指す、そういうのは別ですけど、子どもを地元の高校へ行かせたいと言うのは保護者の立場からしても本人としても希望なのです。
しかし東広島市に受け皿が足らないから、やむを得ず広島方面、それも私立の高校に行かざるを得ない。こういう子ども達が半分くらいいたんですね。これは親にしても、経済的な負担がかかるし、子ども達にしても広島市内へ通学すれば往復2時間、いろんな面で苦痛は伴うしね。
ぜひもうひとつ高等学校が東広島市内に欲しかったんです。当初は、県立の高等学校を東広島市内に造って欲しいという運動から始めて、平成12年に学校教育法が改正されてね、公立に中高一貫校をつくることが可能になったんです。
実は東広島市は中学校もマンモス校が多いということもあって、中高一貫校という新しい流れで、新設校を造るという方向に変わりました。新しい学校を造るということでは終始一貫頑張り、あの広島県立中高一貫校ができたんですよね。



県立中高一貫校が開校したときの心境はどんなものでしたか?


それは、まぁ当然のことながら長年の夢でしたからね、嬉しかったですよ。
ただし、新設の中高一貫校は通学区が県下一円なんですよね。広島県どこからでも入ることができる。全県で競争せんといけなくなった。
今までは東広島の子供を受け入れてくれる公立の高等学校がほしいという方針だったから、そういう意味では目的は何パーセントか減りましたけどね。しかし地元の子が決して優先されているわけではないけど、東広島市の小中学生の学力は県下でも高いですからね、実力でも入ってくれとるし、地の利もあるので、実際に5割くらいは地元の子が入ってくれています。



芝議員は上空から東広島の写真を撮り続けていますが、写真を撮り始めるきっかけ は何だったのですか?


セスナで飛び出したのは、私のホームページにも書いていますが、私の友達の藤原さんが趣味で飛行機に乗るんですね。その人に「芝さん空からわが町を見ると違うよ。特に政治を志す人間はたまには空からわが町を見てみなさい。机の上で図面を広げて見るのと、空から見るのは違うよ。」と言われてね。一回空からわが町を、ということで彼が乗せてくれたのが始まりです。



セスナに乗って、実際に自分の町を見たときの感想はどうでしたか?


立体的に自分の町を見ることができますから、道路、例えば山陽自動車道にしても、確かにルートはこういうルートがいいんだなぁとか、こっちに通したほうが良かったんじゃないんかなとか。そういうのが分かりますよね。



芝議員は、東広島市を、広島県をこれからどうして行きたいと思いますか?


広島県の中でも、東広島というのは全国的にも元気のいい町ですからね。産業の面においても順調に伸びているし、このまま順調に伸ばせば、広島県の中の東広島市というよりか、広島県の中央地域がもっと元気になるし、そのことが広島県全体を活性化させると思うんですよ。今までね、広島県の経済いうのは「ひょうたん型の経済」と言われていたんです。これは、西の広島市経済圏、東の福山市経済圏、ここに大きな経済圏の拠点があるんです。で、広島市と福山市を結ぶ中がくびれていたんです。
これがひょうたん型。で、広島県全体をよくしていこうとしたら、このくびれた部分をなんとか膨らませる、少なくとも寸胴くらいにせんといけない。福山から広島まで厚みのあるものでつないでいきたい。いや、つながにゃいかん。そうすることで広島県全体にも大きな影響力が出てくると思うんです。



あと何年したら、くびれは寸胴になりますか?


もうなりつつありますよ。たとえば製造品出荷額なんかでも平成15年度のデーターですが、福山市が年間1兆3000億円なんですね。これに対して東広島が7400億円くらいまできましたからね。また、シャープ、エルピーダ、サタケ、自動車等いろんな産業分野がバランスよく頑張ってますからね。
おそらく1兆円を超えるのも、後2~3年でしょう。そうすると、福山にかなり接近してきますから、まだ寸胴というとこまではいかんけど、徐々にくびれ具合が太りつつあります。サンフランシスコにあるシリコンバレー、これは1990年代にアメリカでこの場所を中心としてIT産業が伸びたんですね。
それに比べると規模はちょっと小さいですけど、「広島テクノバレー」そういう地域になる素質を東広島市は持ってます。期待できる町です。



最後に私たち若者に何かメッセージをお願いします。


大学生くらいになりますと、もう社会人に片足を完全に突っ込んでいますからね。政治に関心をしっかり持ってもらって、日本国民の一人として、日本の政治、地方の政治、これに関心を持つことと、いろんな行動を起こしてほしいと思いますね。
行動の起こし方は一人一人違うと思いますけど、強い関心を持てば、必ず行動へと動きが始まりますよ。人それぞれ考え方も違いますから、行動の起こし方も人それぞれだと思いますけどね。まずは、関心を持つこと。そして行動を起こすことですね!



編集後記


芝議員とお話をするのは、実は今回が初めてでしたが、歴代のインターン生が芝議員の大ファンになって卒業していく理由がわかりました。学生にもわかりやすく話をしてくれる姿勢。経験に基づくさまざまなお話。そして、親しみやすい笑顔!私も大ファンになりました。



(インタビュー:2005-03)


名前 芝 清(しば きよし)
年齢 55歳*
所属 広島県議会議員
1940.3.30 広島県に生まれる。
1956 呉三津田高校卒業。
1965 マツダ株式会社(元東洋工業)入社。
1979 東広島市議会議員に初当選。後、3期市議会議員を務める。
1983 東広島市議会議員2期目当選。
1987 東広島市議会議員3期目当選。
1995 広島県議会議員初当選目当選。
1999 広島県議会議員2期目当選。
2003 広島県議会議員3期目当選。
2007 広島県議会議員4期目当選。
※プロフィールはインタビュー時のものです。

関連記事
  • Vol.243 [首長] 木幡浩 福島県福島市長 「若者が行き交う県都福島へ」JAPAN PRODUCER INTERVIEW

    ジャパンプロデューサーインタビュー

  • 橋川市長プロフィール用
    Vol.242 [首長] 橋川渉 滋賀県草津市長 「誰もが健幸に暮らせるまちを」

    ジャパンプロデューサーインタビュー

  • 山本市長プロフィール用
    Vol.241 [首長] 山本景 大阪府交野市長 「財政再建から持続可能な住宅都市へ。元証券マンの挑戦」

    ジャパンプロデューサーインタビュー