ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.094 [首長] 菅原 茂 気仙沼市長 「『気仙沼に直接触れてもらうことが復興の第一歩です。気仙沼のファンになってください。』」

市長

気仙沼市長 菅原 茂
所属 気仙沼市長
選挙区 宮城県気仙沼市

 

被災地を応援したいという人々はどういった協力をすればいいのでしょうか?


震災から1年4ヶ月〔取材時〕が経って復興のステージも上がっていっているという中であっても、皆さんが来る前に写真や映像で見て抱いていたイメージとは全く違うということをよく耳にします。応援をしたいという方にはまず何をするかというよりは、気仙沼や被災地に来て現実を理解して頂くというのが一番だと思います。
現地で直接現状を見て感じたことなどを帰ってから多くの人に伝えてほしいのです。その上で、一人ひとり自分にあった支援を見つけ、その中で同じ分野でグループを組むなどしていくのが理想ではないでしょうか。そして小さなことでも支援をして頂けたら、それは有り難いことです。結果的にそれが繋がって交流人口になり、まちの復興に寄与するのではないかと思っています。
どうしても人口が減少してしまう中、復興にはやはり全体の勢いがなければならないので、そういった交流人口というのはとても有り難いものです。やはり来て、泊まって頂いて、気仙沼のファンになって頂きたいと思っています。



NPOへの印象、関わりはどのようにお考えですか?


一言にNPOといってもそれぞれ得意分野があるはずです。ですので、それぞれの地域に対し 公平・不公平などということはあまり考えずに得意なところに取り組んでいく形で問題ないと思います。
当初、気仙沼市民はNPOのボランティアが来て、なぜこんなことが出来るのか、資金はどこから来ているのか等と正直戸惑ったはずだと思います。しかし、三ヶ月程度で市民の理解も広がりNPOのボランティアの存在が浸透していったことに日本の社会の文明のひとつの広がりを感じました。そういったところは、人間の根源的な部分で繋がれたのではないかと思っています。



NPOと行政の関係はどのようにお考えですか?


まだ市民以上にぎこちなく感じます。市民とNPOは素直に接しているイメージがありますが、行政となるとその特性、種類の多さからか存在は認識しているのですが頼り方がわからずに良いところを活かしきれていない面もあるのでしょう。
行政がもっとNPOを理解し、協働していければ運営や様々な分野においても効率が良くなっていき上手くいくのではないでしょうか。



人口減少や産業を盛り上げるといった震災前から取り組むべきだった問題について、復興との連携はどのようにとっていますか?


元々右肩下がりであるという事実があるので、まずは成長できるための基盤整備が必要だと思っています。とはいえ市が出来ることといえば限られているので、各々の企業が売り方を変える、作るものを変える、売り先を変える、などその在り方を考えて、調整をしていくことが大事です。
また低い賃金の底上げなど問題はまだたくさんありますが、持続可能な経済発展の出来る産業構想を掲げることで右肩下がりからの脱却になるのでは、と考えています。先程も触れたように、行政ではごく細かいところまでは出来かねることもあると思いますが、例えばまち全体をブランドと考えた時、そのブランド価値を高めるということに関して、市は大きな力を発揮できるでしょう。



被災地市民の必要としているものを具体的に提示してもらうことは可能でしょうか?


そういった具体的なリストはまだ市としては作りきれていません。公的な資金で賄えるもの、寄付金に頼るもの、その中間と、それぞれ違うので一概には言えませんが、その中でも中間的なものとして、震災の中形を残した陸前高田市における一本松のような震災遺構を残すということを考えています。
これは今回間近で震災を体験した私達だけではなく、実際の現場を見ていない人達やこれから生まれてくる世代のために残したいと思っています。そういった意味では資金を使うということへの理解に時間がかかることが予想されるので、公的な資金では時限があることから寄付金での対象に、ということになってくるかもしれません。



若者にメッセージをお願いします。


私としては学生の時は学生に集中すべき、というストレートな思いがあります。今学生の方達は様々な社会の学習を行っていることも多いと思いますが、正直なところ、学生のうちから社会のあれこれを体験しすぎてしまうのは良し悪しがあると思います。
今は無理に社会人になってからの先のことを考えず、きっと一生ものになるであろう学生の時にしか見つけられないもの、見つけるべき価値を探して欲しいと思っています。



(インタビュー:2012-07-15)


昭和55年 3月:東京水産大学(現東京海洋大学)水産学部卒業
昭和55年 4月~平成 3年12月:株式会社トーメン(現豊田通商)勤務
うち 昭和62年6月~平成3年11月:オランダ王国ロッテルダム駐在
平成 4年 1月~平成18年12月:株式会社菅長水産勤務
平成19年 1月~平成21年11月:自由民主党宮城県第6選挙区支部(小野寺五典事務所)勤務
平成21年12月~平成22年 3月:衆議院議員小野寺五典氏公設第一秘書
平成22年 4月30日:第2代気仙沼市長就任
※プロフィールはインタビュー時のものです。


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