ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.187 [首長] 福田 紀彦 神奈川県川崎市 「大切なのは、あるべき姿を問い続けること」

市長

神奈川県川崎市長 福田 紀彦
選挙区 神奈川県川崎市
個人ホームページ

 

政治家になろうと思われたきっかけについてお聞かせください


私は中学校卒業後、父親の仕事の都合でアメリカの高校へ入学しました。アメリカの高校生は、非常に政治に関心を持っていて、カルチャーショックを受けました。彼らは自分達の地域の課題は自分達で解決しようとする意識が非常に高かったのです。私が住んでいた街には、当時、信号機が1か所しかなく危険な状態でしたが、私の友人が2か所目の信号機を付ける運動を始めたのです。当初はできるわけがないと私は思っていました。しかし、徐々に大人を巻き込み、近所を巻き込み、どんどん運動の輪を広げていきました。最終的には、その街の首長に提案をして、信号機が設置されることになりました。このような出来事を体験し、政治とは、自分達が抱えている身近な問題に対して、誰かに任せたりせず、市民自らが参加し、行動を起こして課題を解決することなのだということを学びました。
また、ケネディー大統領のお墓に行った際、石碑に刻まれた就任時の演説「国家があなた達のために何が出来るかを問うのではなく、あなたが国家のために何が出来るかを問うて欲しい。」という言葉にもとても感銘を受けました。
このようなアメリカでの経験を通して政治家になろうと高校生のときに思いました。



学生時代など若い頃のお話についてお聞かせください。


高校生のときに、政治家を志しましたが、親戚に政治関係者はおらず、親も特に関心を持っていませんでした。そこで大学2年生の夏休みに、日本の政治を学びたいと思い、地元の政治家のもとにお手伝いに行くことになりました。その経験が後に今の職業に繋がっていきました。



日本の政治家のもとで活動して感じたことはなんでしょうか?


私が一番驚いたのは、予想以上に日本の政治家が真面目に活動しているということでした。当時は、汚職であったり、決められない政治などと言われ、日本の政治家のイメージは良くありませんでした。また当時は、自民党が初めて野党になり、新党ブームでたくさんの新しい政党ができたため、政治家の事務所は学生ボランティアで溢れかえっていました。今では想像がつきにくいことですが、それを見て、世の中が変わるのではないかと期待をしていました。



市長としての葛藤を感じる瞬間についてお聞かせください。


毎日、葛藤しています。市長という職は、最終的な決定権者であるため、やりがいがありますが、ものすごい緊張感があります。市民の税金をお預かりしている責任はとても重いので、市のお金が足りないときの苦しさと緊張感は市長になってみないと味わえないと思います。



若者を市政に参画させるための考えがございましたら教えてください。


現在、川崎市では、新たな総合計画の策定作業を進めています。その中で、全国と川崎市の子どもや子育ての状況などを見て、みんなに知ってほしいと思いました。人口減少社会と言われますが、どうして人口減少が大変なのかを皆で理解する必要があると思います。何ごともそうですが自分達が今どんな世界にいて、どういうところで生きているのか、どの立ち位置にいるのか、つまり現在地と今の状況を知ることというのはとても大切です。知ることによって、危機感が生まれ、やるべきことは何なのかを考えるという気付きが生まれると思います。その気付きが政治参加に繋がると思うのです。気付きがないところに政治参加はあり得ません。今の立ち位置を知る、どんな世界にいるのかということを知ることの大切さを若者に伝えたいです。そして、知った知識や気づいたことなどは周りの人や友人に是非教えて欲しいと思います。



どんな市にしてきたいかについてお聞かせください。


川崎市が他の自治体と異なっているのが、人口が未だに伸び続けていることです。一方で、高齢化も急速に進んでいます。少子高齢化への対応をすべて行政でやるのは無理があるので、川崎市では、地域包括ケアシステムの導入に向けた取組を進めています。それにより、今ある施設を用いて、医師会やソーシャルワーカーなど多様な主体をネットワーク化し、協力することで効率的にその地域で暮らし続けることを可能にする仕組みをつくっていきたいと思っています。このような絆や繋がりというものをこの都市部で実現させたいです。また、子育ての待機児童などの問題にも、積極的に取り組んで、女性が社会進出できるような先進モデルを作って川崎市を日本や世界に貢献できる都市にしたいと思います。 川崎市は今年で市制90周年です。川崎ができたのも関東大震災が起きてから10か月後のことです。震災復興から立ち上がりましたが、東京大空襲でまた焼け野原になってしまいました。そして再び復興しました。1960年代、公害の街で有名でしたがそれも克服し、今や環境先進都市となっています。川崎市は危機をチャンスに変えることにチャレンジし続けた都市です。少子高齢社会という未だかつてない大きな問題ですが、そういったチャレンジ精神をもって解決したいです。



若者に対して期待すること、メッセージをお聞かせください。


色々なことにチャレンジして欲しいです。
今は、政治家志望の人が少なくなっているように思えますが、私は政治家をやっているので、若者には是非政治家に挑戦して欲しいです。私には、先輩達が築いてきたものをしっかり吸収して進歩させなければならないし、その先のさらに高い壁を乗り越える責任があると考えています。また、私の次の世代の人達には、私を乗り越えて、よりいいものに転換して欲しいと思います。
若者には常に若い感性で乗り越えることに挑戦して欲しいです。また、あるべき姿を問い続けることを怠らないで欲しいと思います。常に疑問を持って、このままでいいのか、もっとよくしなければいけないのではないか、この感覚が若者らしさだと思います。
「最近の若者は~」という言葉は平安時代からあったそうです。そう言われながらもやはり、最近の若者が世の中をよくしてきたという歴史があります。こうした歴史の流れを若者は止めてはいけないと思います。



(インタビュー:2014-8-7)


学 歴
平成  7年  5月    米国ファーマン大学政治学専攻卒業

職 歴
平成  7年  6月    衆議院議員 松沢成文秘書
平成12年  6月    衆議院議員 松沢成文公設第一秘書
平成15年  4月    神奈川県県議会議員(1期)
平成19年  4月    神奈川県県議会議員(2期)
平成21年12月    神奈川県知事 松沢成文秘書
平成22年  2月    早稲田大学マニフェスト研究所客員研究員
平成25年11月    川崎市長
※プロフィールはインタビュー時のものです。


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