ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.195 [首長] 有福 哲二 香川県坂出市長 「若者が帰ってきたくなるまちづくりを」

〝若者が帰ってきたくなるまちづくりを〟
坂出市長 有福哲二
JAPAN PRODUCER INTERVIEW vol.195

瀬戸大橋の四国側玄関口に位置し、瀬戸内有数の工業都市、坂出。
そんな坂出市の市長である 有福哲二市長にお話をお聞きしました!

ー市長が政治の世界に関わることになったきっかけは何でしょうか?

有福市長:

大学2年生の頃にアルバイトのつもりで地元選出の国会議員の秘書を始めました。いわゆる学生秘書です。
大学が都内のため、基本的には国会事務所での手伝いでしたが、学校が休みになれば、地元に帰り代議士の運転手や会合等にも代理出席をしていました。当時は訳も分からず、がむしゃらだった記憶があります。
当時は政治家を志していた訳ではありませんが、政治というものに興味をもったのもこの時期です。私も若かったので、新しいことを始めるにあたり、とてもワクワクしていたと同時に、自分まで偉くなったような気持ちになりました。今から思えば、ただの世間知らずでした。

ー学生秘書として政治に関わったのが最初だったのですね。そうした活動をされる中で、さらに深く政治の世界に入ることになったきっかけは何でしたか?

有福市長:

一番強く印象に残ったのは、1988年の瀬戸大橋の開通式典です。代議士を乗せ、瀬戸大橋の渡り初めをしながら、こんなものを創る政治の力は凄いと驚きました。
当時、坂出市の人口は6万5千人で、瀬戸大橋の開通をきっかけに、もっともっと発展するだろうという思いがありました。バブル景気も相まって、日本も坂出も活力がみなぎっていました。政治も輝いていました。

ー政治の凄さを実感し、政治家になられた訳ですね。その後の議員活動を通して感じた坂出市の課題は何でしたか?

有福市長:

私が政治に関わることになったのは約35年前の坂出が輝いていた頃です。しかし、このときが坂出のピークでした。
その後のバブル崩壊もあり、人口は右肩下がりになっていきました。そして、JR坂出駅を中心とする市街地は瀬戸大橋開通後、地価が一度も上昇することもなく下がり続けています。
そして、28歳で坂出市議会議員となり、36歳で香川県議会議員となりました。県議会議員として5期18年の間、坂出市の人口と税収を増やすことに力を入れてきました。

そこで、まず取り掛かったのは、当時、広大な土地が売れずに残っていた番の州臨海工業団地への企業誘致でした。雇用が増えれば、坂出の人口も税収も増え活力も戻ってくるものと考え、県議会議員として何をすべきかを思案するようになりました。
最初に取り組んだのが、県庁所在地の高松市と本市にある番の州臨海工業団地を含む中西讃地域の工業地帯を結ぶ『さぬき浜街道』を“まちづくり”に活用するというものでした。
瀬戸大橋の開通に合わせて整備された『さぬき浜街道』は、高松坂出間に五色台トンネルという有料道路の関所を設けたことで、開通後の交通量は想定を大きく下回り、期待された沿線の活性化にはつながりませんでした。
そこで、2011年3月に無料化を実現しました。無料化後は交通量が3倍に急増し、沿線には商業施設や住宅の建設が進みました。

次に目を向けたのが、番の州臨海工業団地にも近く、『さぬき浜街道』に接続している坂出北インターチェンジのフルインター化です。このインターチェンジは本州方面しか行けないハーフインターチェンジですが、四国方面へも乗降が可能となれば、番の州臨海工業団地に企業立地が進むと考えました。2024年には坂出北インターチェンジはフルインターチェンジとして供用開始が予定されています。
近年では、番の州臨海工業団地は生産拠点から物流拠点として大きく変容し、2021年には売れ残っていた全ての土地が完売しました。
そして、現在、『さぬき浜街道』では、坂出北インターチェンジのフルインター化による交通量の更なる増加を見込んで、新しいトンネル整備と片側1車線から2車線へと拡張する工事が行われています。このように、物事を一つ動かすことで多くのことが連動します。それが政治の醍醐味であると言えます。

ー市議・県議として様々なことに取り組まれてきた訳ですが、市長を志した動機は何でしょうか?

有福市長:

五色台トンネルの無料化から始まり、インフラ整備が進んできた坂出ですが、一向に人口減少に歯止めがかかりません。一方で周辺のまちは人口を大きく増やしました。
まちに魅力がなければ、いくら企業誘致を頑張って雇用を増やしても、人は住んでくれないということです。
県議会議員としてやってきたことを更に突き詰めて、自分が考える“まちづくり”を実現するには、『今がその時である』と考えて市長を志しました。

ー市長が描く坂出市とはどういったものでしょうか?

有福市長:

市長選の時に掲げた公約は、JR坂出駅前で図書館を含む複合施設と坂出北インターチェンジ入口に広がる緩衝緑地(緑地帯)の再整備を行い、市民の『居場所』を創るというものでした。
JR坂出駅は1日乗降客数が四国第4位と利便性が高いにもかかわらず、エリアの価値に見合っていません。これを高めていくことが重要であり、日常的に集客が見込める図書館や子育て支援、市民活動の拠点となる施設の整備を行うことで、エリアの評価を上げていくことを考えています。
また、現在の緩衝緑地は樹木が繁茂して薄暗く利用者も少なく、特に子ども連れのお母さん方には不評です。そこで、園内でゆっくり時間を過ごせるカフェや芝生広場、市民活動の拠点等を整備し利用者を増やしていこうと考えています。日中は子育て世代や高齢者が集まってこられるように、また、夜も安心して利用でき、市民が自慢できる公園として再整備しようと考えています。
このように、まちに魅力を作り出していくことで、働くよりも住んでみたいまちとして、『選ばれるまち』をめざしていきたいと考えています。

また、もう一つの公約として、小学校の給食の無料化を掲げています。幼稚園でも中学校でもなく小学校にしているのには理由があります。子ども達は小学校の6年間で多くの友人を作り、その生活の中で故郷を愛する気持ちを醸成します。幼稚園児ではまだそうした感覚がなく、逆に中学生では大きく視野が広がり、気持ちは外に向かっていくのではないでしょうか。小学校6年間を坂出で過ごすことで、故郷へ愛着を持ってもらえれば、『魅力あるまちになった坂出』に帰ってきてもらえると思っています。この政策は今の世代にアプローチしているようにみえますが、真の目的は10年20年先に子ども達が故郷である坂出に帰ってくることです。これが私の“まちづくり”の考え方です。

ー市長が“まちづくり”を考えるうえで大事にしていることは何でしょうか?

有福市長:

私のまちづくりのテーマを端的に表すなら、『居心地』『ゆとり』です。これらはアフターコロナの“まちづくり”を考えるうえで、重要なことだと思います。
そして何よりも重視しているのは、政策に対してターゲットを絞るということです。ターゲットを絞らなければ、“まちづくり”は失敗します。皆に好かれようとすると、そこには魅力は生まれにくくなります。
私が目指すのは、25歳から39歳の女性が住んでみたいと思える“まちづくり”です。子育て世代に喜ばれるまちを創ることで、そこで育った子ども達が地元に帰ってきてくれます。また、人口が増えることにより、税収増にもつながり、新たな市民サービスを提供することができます。

ー大学進学による若者流出を課題としている自治体もありますが、そうした点についてはどのようにお考えでしょうか?

有福市長:

今後アフターコロナで、地方にスポットが当たると言われていますが、若い人が志を持って都会に出ていくことは、これからも変わらないと考えています。
確かに、働き方などは多少変わってくるでしょう。しかし、若い人が欲を持って都会に出ていくのは変わらないし、変えられないことです。変えられるのは、その人の人生観です。
一度坂出を離れた人が、愛着を持って故郷に戻ってきたくなるような“まちづくり”をすることが大事だと思います。
よく、“まちづくり”において、大学誘致という話が出てきますが、実際は大学を誘致しても学生は集まってこないことが多いと聞いています。

例えば、つくば市のように、研究機関をしっかりと整備したうえでの“まちづくり”であれば、企業も学生も集まり、“まちづくり”を展開していけます。しかし、単なるキャンパスの設置や移設であれば難しいと思います。
分かりやすく言えば、バイト先の少ない坂出には学生は住んでくれません。むしろ、バイト先の多い隣接地域に住み、そこから通ってくるというものです。それが現実ではないでしょうか。

ですから地域活性化の手段として用いられる大学誘致も、もう少し冷静に見ていかないといけないと思います。現に、多摩地域に移った中央大学は、現在、都心回帰を進めています。大学誘致による若者誘致ではなく、幼少期を過ごした故郷への愛着を持ってもらい、一度都会へ出た若者が戻ってきてくれるような“まちづくり”が大事であると考えています。

ー最後に、若者に対してメッセージをお願いします。

有福市長:

私の原点といえるのは、連合艦隊司令長官として戦争に挑まなければならなかった山本五十六氏の人生を追った小説と、戦後日本の政治を追った『小説吉田学校』です。
大学生の頃は、こうした政治の本を読み漁っていました。元々政治家を志していた訳ではありませんが、ふとしたきっかけで始めた国会議員の秘書を通して政治の世界を垣間見たいと思うようになりました。

私から若者に伝えたいのは、色々なものに興味を持ってもらいたいということです。自分の人生がどういった形で開けていくのかは誰にも分かりません。すぐに見つかるかもしれないし、10年かかるかもしれません。
しかし、ただ流されていくのではなく。失敗を重ねていく方がゴールは見つかるのではないかと思います。
興味を持つことが大事。そして、何より欲を持つことが大事。欲をもって、様々なことに挑んでもらいたいと思います。

(インタビュー:2021-12-22)

プロフィール

■生年月日 昭和42年3月5日
■略歴
平成元年(1989年) 3月 日本大学法学部政治経済学科卒業
平成 7年(1995年) 5月 坂出市議会議員(2期)
平成15年(2003年) 4月 香川県議会議員(5期)
令和 3年(2021年) 6月 坂出市長就任

※プロフィールはインタビュー時のものです。
有福市長へのインタビュー写真
2021年12月22日 坂出市役所にて
(中央:有福市長、左右:ドットジェイピースタッフ)

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