ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.204 [首長] 大舌 勲 岡山県井原市長 「人の芽を育て元気な井原市へ」

〝人の芽を育て元気な井原市へ〟
井原市長 大舌勲
JAPAN PRODUCER INTERVIEW vol.204

岡山県の西南部に位置し、自然豊かな里山や田園が広がる文化都市、井原市。
その井原市で地元の産業を活かして人材育成に取り組む想いを
大舌市長にお聞きしました!

< 大舌市長の井原市への想い >

ーまず井原市役所に勤めようと思われたきっかけを教えてください。

大舌市長:

私は高校生の頃から人のために働きたいという想いを持っていました。井原高校に通っていたのですが、学生の頃には卒業してすぐに働きたいと考えていました。そんな中、親から市役所を受けてみろと言われ、井原市役所の試験を受けたところ試験に合格しました。改めてよく考えてみたところ、「自分は誰かのために働きたかったんだよなあ」と思い、市役所で働くことになりました。

ー井原市役所で働く中でどのようなやりがいがありましたか。

大舌市長:

まちを作るということは人と関わっていくということです。市長がトップで仕事をしますが、各自治体の政策を回してまちづくりをしているのはそれぞれの自治体職員です。そして、市長などのトップが変わるとしても、自治体職員が基本的な行政の仕事を行い地域を支えているわけです。そういった点で、人と関われたことがやりがいであったと思います。

やはり、公務員として働くことで市民の反応が見えます。直接行政サービスを届けることができ、相手の喜ぶ様子を見ることができたので自分のやりたいことができたと思っています。

ー井原市長に立候補されたきっかけについても教えてください。

大舌市長:

あと2年で定年退職という時期になり、当時私は市役所の中で部長という立場でした。ですから、市役所職員としてできることはやり尽くしてしまったと思っていました。先ほども言ったように、基本的なことは自治体職員が行うのですが、新しい政策や将来の井原市の方針を決めるのは市長です。市長選の当時、「井原市に元気がない」という言葉をよく耳にしていました。これまでと同じ方針では井原市は変わっていかないと思い、「自分が市長としてまちづくりにチャレンジしてみたい」と思い立候補しました。

ー市長になるなど井原市への強い想いを持つようになった理由を教えてください。

大舌市長:

私自身、社会人になってから起業家や青年団や消防団という、地域を創ってきた人たちと酒を酌み交わしながら熱い想いを聞く機会がありました。また、同じ年代と仕事抜きでまちづくりの活動もする中で、この地域があるということは昔の人たちがひとを創り地域を創ってきた歴史があったからこそだと気付きました。そして、この井原を創ってきた想いを途切れさせてはいけないと思い、これまでの井原のひとたちが創ってきたものを続けていきたいという想いを持つようになりました。

< 元気な井原市を目指して >

ー井原市に元気がないということに課題感を抱かれていたのですね。

大舌市長:

学生が進学や就職を機に井原市を出て帰ってこないという人口の社会減が問題となっています。また、井原にはおもてなしをする場所がないということも言われており、交流人口の少なさも問題です。さらに、県立高校には統廃合の話が出てきて、井原市に県立高校がなくなるという可能性もありました。しかし、井原市にはまだまだポテンシャルがある、もっともっとできる街だと思っているので「元気な井原市」にしていこうと思いました。

ー元気な井原市とはどのような状態になっていることなのでしょうか。

大舌市長:

やはりひとが財産です。元気になるのも結局は市民や企業の『ひとの心』が上向きになれば元気になるのです。例えば、井原の将来の方向性が見えていたり、井原はこういう方向で頑張っているんだなということを知ることができるだけで人の心は上向きになります。ですから、井原市民それぞれが上を向いて夢を語れることが、元気な状態だと思います。

ー理想の井原市に向けて取り組みたいと思うことを教えてください。

大舌市長:

井原市には県立井原高校と私立興譲館高校と井原市立高校という3つの高校があります。井原市には高校までしかないので、公立や私立というのは関係なく高校生には郷土のことをしっかり知ってもらった上で、国内や世界に羽ばたいて欲しいと考えています。そのような想いのある若い人材を生み出すため、同じ方向性をもって高校では教育を行って欲しいというように伝えています。

ーひとづくりというところで具体的にはどのようなことに取り組まれたいと考えていますか。

大舌市長:

市内高校と地元企業がそれぞれの特性を生かし合い、一体となったひとづくり、まちづくりの取り組みを進めています。井原市にはものづくり企業が多く、その製造工程や歴史を学ぶことは、その企業や地元への愛着や誇りにつながります。

例えば、井原高校には農業部門がありますし、井原はぶどうの産地として有名です。独学で農業をしようと思うと難しいですが、井原に来れば実際に産地で農業の先輩たちから生きた学びを得ることができる。そういった、井原のひとや環境という財産を使った学習やひとづくりをしていきたいと思います。高校生には井原の中で、大学へいくために学ぶのではなく生きるための業(ぎょう)というものを学んでもらいたいのです。

ーひとづくりをしていった結果、どのような井原市が理想だと思われますか。

大舌市長:

想いをもった大人を井原市に創っていきたいと思っています。井原市のことを学んだり、生きるための学びというものをするなかで、想いを誇れる大人がもっともっと増えていくと思います。そして、子ども達に想いを与えていくことで、その子達が将来井原に貢献をしてくれるようになります。

今では、働きざかりの大人と若い人たちの想いを繋ぐ場がないという問題もあります。そこで、若い世代と大人が一緒にイベントをしたり、飲みに行くようになったり、井原のための意見交換が活発にできる街にしていけたらと思います。

< 元気な井原市を目指して >

ー学生への政策立案のメッセージを教えてください。

大舌市長:

色んな政策が世に出ていますが、政策を求める土壌があるということが必要です。他の市で成功したことが井原で成功するとは限りません。政策はそれぞれの地域によって違ってくるものです。本当に共通性の高い、どこでも必要なものは国がやってくれています。

そのため、やはり政策を考える際には足を運んで欲しいです。例えば、井原市のような中山間地域での課題は何か。実際に足を運んでもらう中で課題を感じてもらいたいです。また、この地域にはこういう財産・課題があるから、他の自治体と同じ政策でも少し変えて自分の自治体ならではの取り組み方を考えてみるのが大事だと思います。

(インタビュー:2022-02-07)

プロフィール

■生年月日 昭和34年5月2日
■略歴
昭和53年 4月 1日 井原市役所就職
平成30年 3月31日 井原市役所退職
平成30年 9月16日 井原市長

※プロフィールはインタビュー時のものです。
大舌市長とのインタビュー写真
2022年2月7日 zoomにて
(左:大舌市長 右:ドットジェイピースタッフ)

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