ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.218 [首長] 荻原 健司 長野県長野市長 「都市と自然の両面を併せ持った長野市に」

〝都市と自然の両面を併せ持った
長野市に〟

長野市長 荻原健司
JAPAN PRODUCER INTERVIEW vol.218

国宝善光寺を有するなど長い歴史と文化が紡がれてきた一方、
1998年の冬季オリンピック開催などウインタースポーツの盛んな長野市。
そんな長野市のこれからについて荻原市長にお聞きしました!

< 長野市への恩返し >

ー市長は参議院議員を1期務められた後、一度政治の世界を離れ、再び戻ってこられました。まずは、今回市長になることを決意したきっかけを教えてください。

萩原市長:

私も皆さんと同じように大学を卒業し、スキー競技をする環境が整った長野市の会社に就職しました。長野市に来て、かれこれ30年になります。

1998年に冬のオリンピックが長野市で開催され、私は日本選手団の主将として挑むことになりました。当時選手だった私たちのために舞台を作っていただいた市民の皆さんの応援があってのオリンピックだったと今でも感じています。そうした経験をさせてもらい、今後自分は長野市のためにお返しをしたいという気持ちを抱くようになりました。

アスリートとして世界中のスポーツに関しての取り組みを見聞きして来た中で、また、私自身もスポーツ界にいた者として、日本のスポーツ振興、スポーツを通した街づくり、スポーツ産業を更に発展させるという想いを持つようになり、参議院議員を1期務めることになります。長野市民に、アスリートではない政治家として貢献していきたいという想いもありました。

一方で、スキー指導者をしてみたいという考えが心の中で引っかかっていました。それが参議院議員の任期末に選択肢として現れるわけですが、私は政治家に一つ区切りをつけて、スポーツ選手を育てることに挑戦しました。長野市に拠点を置き、指導した選手がオリンピックにも出てくれたし、メダルも獲ってくれました。それを一つの区切りとして、次は子どもたちの選手育成にも力を注ぐようになります。

そんな時、前市長が2期で退任されるという話になり、次は誰が長野市長になるのかという話が飛び交うようになります。私の参議院議員としての経験、世界中をスキーで飛び回っていた知見、一市民として30年長野市に暮らしていた経験。加えて、前市長は私と同じ大学の大先輩。その跡を継ぐのは自分しかいないのだと思い、立候補を決意しました。立場的には政治家ですが、本質的には長野市への恩返しです。さらに、一市民として感じてきたことを政治の場で、市長として市民皆さんの暮らしに還元していければと思いました。

< コロナによる人々の意識の変化を活かしたまちづくりを >

ー市長の描く理想の長野市はどういったものでしょうか?

萩原市長:

長野市はウインタースポーツの街だと思っています。しかし、私も長くスキー選手をしてきましたが、こうしたウインタースポーツは雪がないとどうしようもありません。随分前から地球温暖化が問題視されていますが、世界中のスキー場を見てきた中で、様々な所で年々雪が少なくなっています。温暖化やグリーン政策が世界的に喫緊の大きな課題として認知もされるようになりました。

私は、30年後の長野市にも同じように雪が降り続け、ウインタースポーツを行えるような環境であってほしいと思っています。あわせて、デジタル化やグリーン化など政府の推進する政策と歩調を合わせ、市民生活の質の向上を図ると同時に、市役所では行政DX(デジタルトランスフォーメーション)をさらに加速させていきたいと考えています。そうした中で、長野市の程よい都市感覚と自然に囲まれた暮らしやすさを活かして、暮らしの良さを確かに実感できるような市にしていきます。

また一方、昨今のコロナ禍で、長野市の中山間地域に移住する人も比較的増えてきて、いよいよこうした長野市のような都市と自然が一体となった地域にも目が向き始めたなと感じています。この潮流を活かして都市と自然の機能を併せ持った暮らしやすい街としてブラッシュアップすることで、全国的にも注目される街にしていきたいと考えています。

ー現在の長野市の抱える課題はどういったものがありますか?

萩原市長:

人口減少社会の中で、中山間地域では特に人口が減ってきています。都市の暮らしやすさを追求すればするほどそれと比較され、雪が大変だとか、病院が少ないとか、種々の理由で都市部に人が移り始めています。更には、中山間地域から人がいなくなってしまうことにより、野生動物の増加や耕作放棄地等の大きな課題が生まれています。加えて、全体的な人口減少は税収減少にもつながります。

これから高齢化社会を迎え、社会保障関係費はどうやっても増えていきます。私は、市の財政を預かる者として、そうした中でも市の税収を確かなもの、力強いものにしていく覚悟です。具体的には、長野市は農業の盛んな地域である一方、高齢化により農業が続けられないという人も増えています。新規就農者をはじめとした農業人材の確保を進めたり、使われなくなった手つかずの農地を集約化し、工業団地のようなものを造成し、農業に代わる別の産業を生み出すことで、新たな雇用や税収を確保していくことを考えています。

ー若者の流出というものも大きな課題となっていますが、その課題への取り組みはどういったものをお考えでしょうか?

萩原市長:

昨年の市長選挙のとき、若者の意見を聞いてみたいということで市内の大学生に集まってもらいました。そこで出てきた意見は一言でいうと、長野市に未来を感じられないというものです。就きたい仕事が無い、遊べる場所が無い、魅力的なスポットが無いといったものです。

歴代の市長の中では比較的若い方ですので、若者の気持ちも十分理解しているつもりです。人口が減っていく社会では、特に、若者に残ってもらえるような街づくりをしていかないといけないと考えています。

長野県の若者は大半が首都圏に進学し、そこで就職をします。県内へのUターンは4割ほどで、6割の学生は戻ってきません。長野市において魅力的な仕事に就いたり家庭を持てるよう、まずはその割合を増やしていくことが先決です。

そのために、若い人たちの声を受け止める若者未来会議のようなものを積極的に開催していきたいと思っています。若い人達の意見は感度が良いですから、彼ら彼女らの意見を確実に政策に落とし込んでいきたいですし、そういった市政を行うと、若い方々とは約束したいです。

< 日本だけでなく、地球規模で考える >

ー最後に、政策立案コンテストに臨む学生に向けてメッセージをお願いします。

萩原市長:

何をしたとしても、イエスという人もあればノーという人もいます。その匙加減、バランスをどうとるかが肝要です。それは、市の政策としても大事な視点で、ある政策をとったとして喜ぶ人もいれば、嫌がる人もいる。

社会課題について、自分が何としても解決していくんだという思いを持って政策をつくっていけば、必ず共感してくれる人もいますし、実現に近づきます。また、一人でいいアイデアが出たとしても、「そうだな」といって協力してくれる方々をたくさん増やすことが大事だと思います。アイデアを色々と出し、仲間と夢を語る。そういったことが必要だと思います。

さらに、現在の社会では、日本のみが抱える問題ではないことが多くなってきています。世界中の若者が友達同士になり、皆で等しく繁栄するような、そうした地球をつくっていってほしいと思っています。SDGsの誰も取り残さないという理念で、地球規模で考えることを期待しています。

(インタビュー:2022-03-16)

プロフィール

■生年月日 昭和44年12月20日
■略歴
平成4年2月 アルベールビル・オリンピック冬季競技大会 スキー・ノルディック複合団体 金メダル
平成4年3月 早稲田大学 卒業
平成4年4月 北野建設株式会社 入社(令和元7月退社)
平成6年2月 リレハンメル・オリンピック冬季競技大会 スキー・ノルディック複合団体 金メダル
平成10年2月 長野オリンピック冬季競技大会 スキー・ノルディック複合団体5位入賞
平成14年2月 ソルトレークシティー・オリンピック冬季競技大会 スキー・ノルディック複合団体8位入賞
平成16年7月 参議院議員(平成22年7月任期満了)
平成24年6月 公益財団法人長野県スキー連盟副会長(平成27年10月退任)
平成27年10月 長野県教育委員会委員(令和3年8月退任)
令和元年6月 公益財団法人長野県スポーツ協会理事(令和3年9月退任)
令和2年7月 一般社団法人日本スポーツ振興推進機構代表理事(令和3年8月退任)
令和3年4月 特定非営利活動法人日本オリンピアンズ協会理事
令和3年11月 長野市長 就任

※プロフィールはインタビュー時のものです。
長野市長とのインタビューの様子
2022年3月16日 長野市役所にて
(中央:萩原市長 左右:ドットジェイピースタッフ)

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