ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.228 [首長] 新原 芳明 広島県呉市長 「再び世界の最先端をめざす呉」

〝再び世界の最先端を目指す呉〟
呉市長 新原 芳明〟

呉市長 新原 芳明
JAPAN PRODUCER INTERVIEW vol.228

世界最大の戦艦である大和が建造されるなど、
戦前は世界でも有数の軍港としても名を馳せた呉市が
再び世界や日本の最先端を目指すために
取り組まれていることを新原市長に伺いました!

< 様々な経験の中で気付いた日本の課題 >

ー新原市長が政治を志し呉市長になったきっかけを教えてください。

新原市長:

私は昭和47年に大蔵省に入省しましたが、その当時大蔵省は圧倒的にかっこいい役所でした。かつての大蔵省は安い給料で夜遅くまで働く清廉潔白な役所と見られていたからです。また、財務省と金融庁も1つだったので銀行の監督も担当しており、広範囲なことに関与する役所でした。

大蔵省では本当に様々な経験をしました。30代はじめに3年間ベルギー大使館に勤めました。日本と同じ目的を達成するためでもベルギーやほかの国では様々なやり方をしていることから、選択肢は今のわが国のやり方1つではないということが良く分かりました。

ー数々の役職を歴任されていますが、なぜ最終的に呉市長を選ばれたのでしょうか?

新原市長:

先ほども述べたように、ベルギーやフランスに勤務したり海外に関係する仕事も多くさせて頂きました。他にも富山県副知事や造幣局理事長など、なかなか経験出来ない幅広い仕事をすることができました。造幣局理事長を終えて少しのんびり過ごそうという時期になり、社会に何かお返しをしなければならないと思いました。その時に思ったのは、日本では自分のことが自分事でなくなってきているということです。葬式にしても家を建てるにしても、とにかくなんでも専門家に任せています。海外では自分で楽しんで家を建てたりすることもありますが、日本ではしないですよね。日本は人に任せて自分事にしない社会になっているような気がしました。

政治についても同じです。投票しない理由として「自分が無責任に決めると悪いので投票しなかった」という若者も多いです。これまでの世界や日本の歴史でどうやって自由や平等を獲得してきたかということを考えると、いかに政治に参加できることがありがたいかということが分かるはずです。しかし、日本ではむしろ政治に関わらない方がみんなのためになるというような風潮になってきています。若い人も含めて政治に限らず色んなことが専門家に任せられ自分で自分をコントロールしていない、世界でもまれにみる国になってしまったと思いました。そこで政治を自分事とするために、候補者のホームパーティのようなことができないかと漠然と考えていました。

そんな時に、何人かの呉市民の方々から「色んな経験をしている新原さんが呉の市長になって呉市を変えてくれませんか」と言われました。私は呉で生まれ呉で育っていますので選挙の1年前には呉に戻り、さらに色んな方に話を聞き市長をやらせていただきたいと覚悟を決めました。

< 呉は、変えられる。みんなの力で。 >

ー呉市長になる際にどのような課題感を抱かれていましたか?

新原市長:

私が見た呉市は内向きな呉市です。内向きとは変わらないということで、昨日と同じことを明日もやっていくように見えました。呉市には自衛隊もありますし、日本製鉄など、海軍の敷地の跡に様々な製造業が立地していました。ですから、そういった自衛隊や大きな工場にある意味ぶら下がっていれば生きていけるわけです。そのため、呉市民は外から新しい人に入ってきて欲しくないという内向きの考えに見えました。呉市に進出してみようとしても、市民が内向きなので入りにくいし投資もしにくい。そんな、内向きの縮こまっていくようなまちに見えたのです。そこで、「呉は、変えられる。みんなの力で。」という標語を掲げて立候補しました。

ー今後市長としてどのような呉市に変えていきたいと考えられていますか?

新原市長:

この3年間、呉市では平成30年7月豪雨災害やコロナや日本製鉄瀬戸内製鉄所呉地区の撤退など目の前で克服しなければならないことがありました。ただ今後に向けての考え方は提示してやってきたつもりです。目指す姿としては、選挙公約にもある、自然と調和した未来志向の「イキイキした呉」を構築。女性と若者のチャレンジ支援と時代を先取る産業の創造。世界に自慢できる交流都市への発展。以上の3つを目指して、呉市民が誇りを持って幸せに暮らすまちにしたいと考えています。そして、外に開かれた可能性にあふれたまちにしていきたいと考えています。

ーそのような理想の呉市を掲げられた背景を教えてください。

新原市長:

呉市は市民が誇りと自信を持つまちです。それは呉市には成功体験があるからです。明治以降、西欧列強に追いつけ追い越せと呉市は軍艦など近代産業の最先端にいました。呉市ではあっという間に当時の世界最大の戦艦『長門』を造り、その後黒船の到達点である『大和』を造りました。そのように様々な総合産業の最先端が呉市に集結していたのです。

また、海軍軍人は当然に海外経験がありますので、文化面でも進んでいました。写真館もハイカラでしたし市内電車も早くからありました。近代的な勤務時間や職業訓練も取り入れました。他にも、お茶やお花にスポーツも呉市が最先端の時代があったんです。そういう意味で呉市は成功体験を持っています。そして世界一の呉の話を必ず呉市に住むおじいさんやおばあさんからみんな聞いているはずです。だから、私も呉市は広島県で1番ではないんですよ、世界で1番なんですよという意識を持ってもらうために、少しずつ少しずつ市民に対して説明しています。何年か経ったときに自分たちの住む呉市に誇りを持つ明るい希望に満ちた呉市になっていると思います。

< 世界一の呉市を目指して >


新原市長:

市民が誇りを持つという点では呉市には大和ミュージアムという博物館があります。呉市から見た明治以降の我が国の近代化の歴史と戦後の復興について展示しています。年間100万人の方が来ています。100万人が来るような博物館は滅多にありませんし、今後リニューアルしていきますのでさらに世界中から色んな人が来るようになります。こういった博物館があることも市民のシビックプライドの醸成に繋がります。

ー新原市長の理想のまちの実現に向けてどのような取り組みをされているか教えてください。

新原市長:

先ほど述べたように、一番大事なことは呉市に誇りを持ってもらうことです。また、若者と女性が活躍できたり、時代を先取りし市民が誇りを持てるためには、やはりハード面の整備も大事です。
30年7月豪雨災害で、広島・呉間の高速道路(広島呉道路)が土砂崩れで使えなくなりました。高速道路は4車線が原則なんですが広島呉道路は往復2車線片道1車線でした。もし、4車線にしていれば2車線は崩れず使えていた可能性が大きいと考えられます。そこで、国にお願いし、NEXCO西日本に往復4車線にする工事を始めていただいています。工事をするのはNEXCO西日本ですが、地元での工事説明会や道路と交差する呉市の水路の調整などに市も協力させていただくことで異例のスピードで工事の着手などが進んでいます。産業や観光、生活のための道路ですから、広島呉道路に限らず道路の整備について今後も国や県にお願いをしながら進めていきます。

もう1つハード面では光回線を市内全域に整備しています。従来は人口が少ないところでは通信会社が光回線を整備していませんでした。そこで呉市から通信会社にどれだけの予算を出せば市内全域に光回線を整備してもらえるかということを確認し、維持費は通信会社が負担し足りない整備費用は呉市が出すということで今年の3月に整備を終えました。今は、ある程度人が住んでいるところなら光回線が繋がります。

ー呉市に誇りを持ってもらうこと、呉市のハード面での整備に取り組まれていらっしゃるのですね

新原市長:

そして、次はソフト面です。特に、中小企業や小規模企業を元気にする必要があります。コロナもあり、日本製鉄の休止もあり、中小企業等に1年間に亘って呉市独自の事業転換補助金を出しました。現在は事業再構築や販路拡大などへの国の手厚い補助に呉市が上乗せしています。中小企業等が新しい分野に挑戦していくことを支援しています。

また、中小企業や小規模企業が如何に呉市の中で大きな役割を占めているか理解してもらうために、振興基本条例を制定し、この条例に則って振興会議を開いて具体的な振興策を進めています。

最後に、呉市では呉駅周辺の再開発を進めており、ここを起点にスマートシティを目指しています。そこからは自動運転車からのデータやスマートシティからの様々なデータを集めることができます。そこで、呉市は呉市版データプラットフォームの構築を進めています。駅周辺からのデータに加えて、図書館に何時から何時までに何人入館したのかというデータなど、市役所が持つ多くのデータも含め収集公開することで、事業者や市民が呉市のデータを分析・活用することにより、仕事や生活改善に使えるようにしていきたいと考えています。

同じく、「スマートチャレンジくれ」ではAIやIoT、自動運転などを活用して課題に取り組むアイデアを全国から募集したところ約300件のアイデアが来ました。そのアイデアの中から市役所の職員が15テーマを選び、呉の大学や高専などの学と、提案した企業などとで協力して実証実験をしようと進めています。このように、スマートシティに向けて着々と進めています。企業や市民の皆様と共にスマートシティとコンパクトシティを進めていきます。

< 学生へのメッセージ >

ー政策立案やまちづくりに挑戦する学生にメッセージをお願いします。

新原市長:

私が最初にベルギーに行ったときに大変驚いたと言いましたが、世界各国では同じ目的を達成するために色んな選択肢があります。目的を達成するための選択肢は無数にあるのです。ですから、頭を柔らかくして常識を外して考えることで選択肢を見つけることができます。毎日普通に暮らしているとよほどの天才であれば今目の前にない選択肢に気付くこともありますが、今ない選択肢のヒントを得るためには海外に行ってみるのもいいと思いますし、国内にいても別の立場に身を置いてみるなど、ものを見る位置を変えてみることが重要です。

(インタビュー:2022-03-09)

プロフィール

■生年月日 昭和25年3月27日
■略歴
昭和47年3月東京大学法学部 卒業
昭和47年4月大蔵省入省銀行局金融制度調査官付
昭和48年8月大阪国税局調査部 国税調査官
昭和49年8月大臣官房調査企画課
昭和50年7月主税局総務課 総務第一係長
昭和52年7月伊勢税務署 署長
昭和53年7月理財局総務課 課長補佐
昭和55年7月理財局 局付(外務研修)
昭和56年5月在ベルギー日本国大使館兼EC代表部二等書記官
昭和59年6月主計局 運輸係主査(国鉄改革時)
昭和61年6月広島国税局 直税部長
昭和63年6月財団法人金融情報システムセンター 総務部長
平成2年7月大臣官房参事官 兼 国際金融局(SII担当)
平成 3年6月在フランス日本国大使館 参事官(パリクラブ担当)
平成 5年7月証券局 企業財務課長(有価証券報告書、企業会計、公認会計士担当)
平成 7年7月富山県 副知事
平成11年7月東京証券取引所監理官 兼金融企画局
平成12年7月総理府 PFI推進室長 兼国土庁長官官房 審議官
平成13年1月総務省大臣官房審議官(地域振興担当)
平成14年7月金融庁証券取引等監視委員会 事務局長
平成16年7月社団法人信託協会 専務理事
平成20年7月独立行政法人造幣局 理事長
平成27年3月同 退任
平成29年11月呉市長 就任(現在2期目)
この間
昭和63年7月~平成元年12月国民生活審議会 専門委員
昭和63年7月~平成元年 5月通商産業省情報化対策委員会 委員
平成5年8月~平成7年7月法制審議会 幹事
※プロフィールはインタビュー時のものです。

新原市長とのインタビューの様子
2022年3月9日 zoomにて
(左:新原市長 右:ドットジェイピースタッフ)

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