ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.234 [首長] 岸本 聡子 東京都杉並区長 「地方政治から民主主義を」

〝地方政治から民主主義を〟
杉並区長 岸本聡子
JAPAN PRODUCER INTERVIEW vol.234

杉並区は東京23区の西端に位置し、おおむね方形で23区中8番目の広さを持っています。
都心から近い好立地にありながら、妙正寺川・善福寺川・神田川の3つの河川を有し、
水とみどりに恵まれた住宅都市としての性格を持っています。
そんな杉並区で、2022年、女性初の区長となった岸本聡子区長。
大学卒業後、環境NGOを経て欧州に移住、アムステルダムを本拠とする政策シンクタンク
「トランスナショナル研究所」に18年間所属しながら、世界の公共政策の研究や市民運動と
自治体のコーディネートに取り組んできたという異色の経歴の持ち主です。
区長になった経緯や思い、若者の政治離れなどについてお聞きしました!

< 日本の地方自治体の首長を担った理由 >

ー杉並区長になることを志したきっかけを教えてください。

岸本区長:

杉並区長選挙の数ヶ月前に、市民の声が届く新しい区長を作りたいという市民グループに推されたことがきっかけでした。その市民グループがすでに政策をつくっていたので、政策協定を結んで、実現に向けて区長に立候補しました。

ー立候補する際に、悩みや迷いはありませんでしたか?

岸本区長:

私たちの選挙は市民グループのカンパで600万円を集めて行いましたが、そのお金には一人一人の思いが詰まっています。エネルギーも相当使いますが、それでもなぜ一緒にやってくれるかと言えば、それぞれに実現したい政策、理想とする杉並区、目指すべき社会像があるからです。その重みについてはすごく感じていたので、やるからには勝つつもりで選挙に臨みましたし、そうでないと支援して下さる人に失礼だと思っていました。選挙に勝ったら自分はこの地で生きていくことになって、つまりヨーロッパでの生活を放棄することになるわけですから、“迷い”はなかったんですが、結果が自分の人生に大きな影響を与えるという覚悟はありました。

ー岸本区長が政治に関心を持ったきっかけはありましたか?

岸本区長:

これというきっかけというのは思い当たりませんが、元々高校生の時から政治や社会運動には関心があって、学生時代は気候変動問題について学んでいました。私が学生だった90年代は冷戦の秩序が終わって、国際的には楽観的な時代というか、国際協調、国際主義ということが謳われて、国連も今より機能しているような、良識のある国際政治が短い時期ながらも展開した時代だったと思います。その中で気候変動問題についてもクローズアップされていました。

2000年代になってからは、グローバル化という大きな潮流の中で、文化も人も国際的な交流が進み、コスモポリタン化してきたことは良い面だと思います。しかし、その後分かっってきたことは、グローバル化の主眼が、そのような文化や人の移動や連帯よりも、モノ・サービス・資本の移動にあったということでした。そのためにどれだけ国境を少なくするか、薄くするか、または無くすかが重視され、それがまさにEUの地域統合だったんですね。

私は平和と協力のためのグローバル化を期待していましたが、今の私たちが生きている時代では、資本のためのグローバル化になっています。だから国際税制で法人税はどんどん下がっていって、国際環境規制は退化していき、労働規制も退化しました。そうした現実に人権問題や環境問題に取り組む人たちは、当時から気付き始めていました。

学生時代以降、私のライフワークは、環境問題に止まらず、こういったグローバルジャスティスを中心として、自分には何ができるかという舵の切り方をしていました。そして今、この資本のためのグローバル化という大きな潮流に対し、生活者の立場から対抗できる一つの回路が地方自治にあるのではないかと考えて、この地方自治の現場にいるわけです。

ー地方自治と国際社会の潮流は関係が薄いと思っていましたが、お話を聞いて考えを改めました。

岸本区長:

小さい中に全てが凝縮しているのが地方自治だと思います。グローバル化の問題、資本とか労働、環境などの問題全てが見えている場所が地域社会です。生活者のための地域社会を作る、その公共政策を行っているのが地方自治体であるなら、そのトップはグローバルに世界を見渡し、その中で政策を作っていかなくてはなりません。人の命を最後に守るのも、人の幸せを創るのも自治体であるという考えをしっかり持たなくてはいけません。

ー杉並区長になって感じた杉並区の課題はありますか。

岸本区長:

色々とありますが、一番は生活と政治の距離が遠すぎることです。私たちの主権者としての権利は息を吸うくらい大事だと思っていますが、それをどのように体現していくかが問題です。
今ある世界は当たり前ではなく、これまでの歴史があったからこそあるものです。
例えば、投票率が低下していますが、100年前には女性の参政権は認められていませんでした。労働者の権利についても、今私たちが当たり前に取得できる有給などの権利も絶え間ない労働運動の努力があったからです。
私が憲法にこだわる一つの理由でもありますが、今ある自由や権利には自動的に得られたものは全くありません。

そして、こうしたものは享受しているばかりで、放っておいたらすり減っていく物だと思っています。民主主義は戦い続けなければ退化していくのです。だから、享受している自由や権利を生み出している政治、経済などの仕組みが縁遠いと感じてしまうことは、不幸しか産まない。特に若者は、関わらなければどんどん損をする。この国の若者が不幸だというのはそのとおりだと思います。

では、今誰が仕組みを決めているのかというと、その大きな部分をグローバル資本が占めているのではないでしょうか。そこには民主主義を進化させていくような力学はないと思います。
政治は権力で、権力にはお金が絡みやすい。するとどうしても政治が人々から離れていってしまいます。だから選挙が大切なんです。離れていこうとする政治に対して主権者は干渉し、生活者を代表している人を出さなければいけません。そこには途轍もない緊張感が必要なはずなのに、なぜそれを多くの人が感じられないのだろうというフラストレーションを抱えています。悲観しているばかりではなく、一つ一つ取り組んで行かなければならないと思っています。

< 岸本区長からみた若者 >

ー若者の政治離れについてどのように考えておられますか?

岸本区長:

政治離れをさせるような“教育”の問題だと考えています。若い人に対して非難するような考えは全くなく、私たちぐらいの世代の責任が大きいと思っていいます。子供や若い人たちは目の前の消費行動だけで満足させられ、主権者意識も十分に育てられず、将来的なビジョンはないまま現状維持を続ける状態で、それでは政治に関心は湧かないと思います。これはそういう社会を作ってきた全ての人の責任です。

しかし、このままではまずいという危機感は持った方がいいと思います。少子化という問題一つ取ったとしても、子供を産めない、子供を産むと損するというような社会、子供に投資しない社会に今なっています。それが如実に出ているのが、高等教育に国がお金を出さないことです。高等教育はその社会を構成する人材を作っていく最も重要な機能であり、特に大学のような高等教育機関は社会の財産です。その高等教育を個人の責任にする、まして大学生が借金を負わなければならない社会に未来はないと思います。

自分は税金で高等教育を受けた、自分は社会によって育てられたという経験があれば、その国の民主主義や税制、社会保障をきちんとやっていかなければならないという意識が自ずと身に付くわけです。それが“教育”ということなんです。主権者として生きていく権利であり、責任でもあるということを、教育を通じて世代を超えて伝えることが重要であるはずが、日本ではそうなっていない。それが政治離れにつながっているのだと思います。若者は政治に関心がない、考えてないというようなレベルの話ではなく、社会のあり方の問題です。

ージャパンプロデューサーとして若者に伝えたいことはありますか?

岸本区長:

自分の生きづらさというのが多かれ少なかれありますよね。その生きづらさを言葉にしてほしい、表現してほしいと思っています。表現の手段は文化的な活動や、音楽・映画のように色々あると思いますし、単に家族や友人、職場など周りの人に話すということでも構いません。

私は”Collective(集合的)”という言葉が重要だと思っているのですが、一人の生きづらさがつながり、集まっていくと社会の一側面、仕組みというようなものが浮かび上がってきます。話すことによって、人とつながったり、議論が起こったり、そしてその延長線上におそらく政治があると思っています。

絶望から勇気、希望に変えていこうという意志が生まれたときに、私の立場で言えば、地方自治に目を向けてほしい。自分達の一番身近な地域で、どういう人たちが議会を構成しているのか、誰が首長なのか、次の選挙はいつか、自分は誰に入れるべきのか。地方議員は大都市でも意外に身近な存在なのでどんどん質問をしてみたり、選挙前には候補者をよんで討論会してみたり。一人ではできないけど五人居ればできるようなことを、生きづらさの話し合いのところから繋げていってほしいと思います。一回社会との繋がりをつかむと、そこからさらに色々な繋がりができるので、なんとかそこまでたどりついてほしいなと思います。

(インタビュー:2022-01-06)

プロフィール

■生年月日 昭和49年7月15日
■略歴
昭和49年(1974年)7月15日生まれ
平成5年(1993年) 大学入学後、国際青年環境NGO A SEED JAPAN(ア シード ジャパン)に参加
平成9年 大学卒業後、同法人有給専従スタッフ
平成13年 オランダに移住
平成15年 国際政策シンクタンクNGOトランスナショナル研究所研究員
平成20年 ベルギーに移住
令和4年(2022年)4月帰国、杉並区に居住 7月から杉並区長

※プロフィールはインタビュー時のものです。
杉並区長とのインタビューの様子
2022年1月6日 杉並区役所にて
(左:岸本区長 右:ドットジェイピースタッフ)

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