ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.235 [首長] 加地 良光 福岡県小郡市長 「つなげる、つながる街」

〝つなげる、つながる街〟
小郡市長 加地 良光
JAPAN PRODUCER INTERVIEW vol.235

天の川をはさんだ織姫と彦星のように、宝満川をはさんで二つの神社がある事から
七夕の里として有名な小郡。
インターチェンジが隣接する九州の交通の要所でもあるこのまちで
「つながる」をキーワードに市民との対話を重視し、小郡を発展させるうえでの思いを
加地良光市長にお聞きしました!

< 報道局から市長へ >

ー加地様が小郡市長を志したきっかけを教えてください。

加地市長:

市長になる前は、私はテレビ局に勤めており、報道を中心に仕事をしておりました。当時、ちょうど様々な地方創生の動きが始まり出したころで、私も各自治体の取材をかなり行いました。
そうした中で自分が住む小郡を見つめ直した時に、やはり政策的に立ち後れてしまっている様子に危機感を感じました。そこで、何かしらできることがないかと思い立ったのがきっかけです。  

< つながるまち、小郡 >

ー「つながる小郡」という言葉のもと施策を行っていらっしゃいますが、具体的に「つながる小郡」とは、どのような状態を目指していらっしゃるのですか?

加地市長:

まず、基礎的なことをいうと、小郡は九州道の縦と横の長崎道と大分道の高速道路がクロスする、まさに九州の中でも交通の要所の地なわけですよね。西日本鉄道の駅は7つあるし、甘木鉄道もあります。交通の便ではとてもいいところなので、様々な人や物、また情報も行き交うことができる地位的な優位性を持っています。行き交う人・物・情報を1つ1つつなげていくことによって、大きな相乗効果を発揮しよう、というのが1つ目の意味合いです。

2つ目は、住んでいる方々をつなげるという意味です。私が小郡に住み始めて20年弱が経ちます。住み始めた当時は、新しく住み始めた方の人数が、昔から住んでいる方たちの人数をちょうど上回り始めたころです。小郡市北部を中心に、どんどん新しい住宅地域ができていきました。そうして多数の幅広い年齢層の方々が入ってきて、昔から小郡で生まれ育った人たち、新しく入ってきた人たち、お互い分離するような部分はあったのです。その方達が交流することにより、新たな化学反応のような、繋がることによって新しい力が生まれるんじゃないかと。そういう意味で繋げるってのを1つのキーワードにしながら、小郡市の持つ潜在能力をどう発揮させるかっていうことを「つながる小郡」という分かりやすいキーワードにしました。

ー理想の小郡を実現するにあたって一番の課題は何だとお考えですか?

加地市長:

これも「つながる」というキーワードに近いんです。現在、人口はまだ微増ですが、これからの時代、おそらくもう少しすると全国どこでも同じように人口が少なくなってきます。そういう社会の中で、これからどうしたら住み良い町を維持できるかということを考えた時に、やはり人と人とが繋がり合って、誰もが様々な形で、自分の持ってるものでいろんな人と助け合う。そのような地域、社会を作っていくというのが目標とするところです。
それを進めるためには、やはりお互いが理解し合いながら、関係性をより密にしていかなきゃいけないということが課題かなと思っています。小郡市は、まさに繋がる町になるために、地縁、地域のつながりであったり、 あるいは志縁、志のつながりであったり、いろんなボランティア活動をしている方々もいます。あらゆるつながりに、もちろん企業であったり行政であったり、あらゆるセクターがうまくどう連携をしていくか、どう繋がり合っていくかっていうことを推し量っていくことが、 僕らの役割かなと思っています。それにより、網の目のように縦糸と横糸がうまく重なるようにして、 いろいろな方々がしっかりと結び合うことによって、地域をみんなで構成していこうという、そういう環境を描けるんじゃないかなと、今頑張って注力しているところです。

< 「若者の可能性を応援したい」 >

ー小郡市として若者がチャレンジできる政策を設けていくことはあるのでしょうか?

加地市長:

小郡市は高校出た後からのいわゆる産業人口という、働く若い世代の人たちってみんな出ていってしまうんですよね。だから、そういう意味で、若い世代たちが 何か地域に対してアプローチをしてくださるということはいつでも大歓迎です。

ー営業などには全て一度はお聞きするというスタンスでいらっしゃいますが、若者の働きかけ等にも応じてくださるのでしょうか?

加地市長:

もちろん、頑張る人は当然会いたいと思うし、色々関連付けが必ずどこかで出てくると思うので。 企業の方もそうですけど、まず会わないとわからないから会った中で頭の中どっか置いておくと、何かのきっかけに、この間会った人の考えとまたほかの人の考えを結びつけたら面白いですよね。
全部やはり掛け算なんですね。一発で何か素晴らしいものを持っててくれるってケースもありますけど。なにか聞いておくことによって、会って聞いたことから、この人とこの事象でこの地域の人を結びつけられると、どこかでぱっと掛け合わさる時があるんですね。それはあった人それぞれが1つの解決策になるとか、道を切り開くものになるチャンスをいつも持ってるからですね。誰でも、特に若い人は可能性を持っているから応援をしたいのです。だから一人一人と会う機会を大事にしてます。

ー市は若者からアプローチとしてどのようなもの望んでいるのでしょうか?

加地市長:

提案を持ってきてくれたら、色々地域の人と結びつけて、こんな若者いるんだけど、ここでちょっと一緒にやらないかとかっていうのはすぐ広げます。これも掛け算で、面白い発想を持ってきていたらね、どう応援するかっていうのは、色々考えてもいいかなと思います。商品作りでもいいですし、小郡のここの場所をこんなふうにみんなに知ってもらうために、どういうイベントやりたいからとかね。なにかあると面白いなといつも求めているということですね。

決まったことやるのは決まったことでできるけれども、そこにない発想がどこにあるかっていうのを 探すことが大事というか、それが価値があることだと思ってるから。
やはりぶっ壊していかなきゃいかんですね。僕は行政上がりの人間じゃないから、逆に外から来た目っていうのがとても大事だと思っていて、今までなんでこんな当たり前のことを行政がやってないのかとか、なんでこんなサービスを作れてないのかとか、なんでこんな発想が取り入れられんのよってのを見つけ出して、それをぶつけていくってのが僕の仕事だと思ってる。

< 学生へのメッセージ >

ージャパンプロデューサーの第一人者として若者へのアドバイスをお願いします。

加地市長:

なんでもチャレンジをしていただきたいなと思います。
一生懸命やっている人は、みんな今先輩たち大人たち、高齢者の人も含めて、みんな誰か応援してくれると思うので、ためらわずに、まず動くことが大事かなと思います。
動けば、必ず道は開けてくると、もう1歩止まらずにですね。どんどんチャレンジしていってほしいなっていう風に思います。
志ある若者の動きを、目の輝きを見て、応援したいと思う人は必ずたくさんいると思いますので、頑張ってもらいたいです。

(インタビュー:2022-11-25)

プロフィール

■生年月日 昭和39年11月13日
■略歴
昭和58年3月 東京都立上野高等学校 卒業
昭和63年3月 埼玉大学経済学部 卒業
昭和63年4月 株式会社NBC長崎放送 入社
平成10年9月 株式会社NBC長崎放送 退社
平成10年10月 株式会社TVQ九州放送 入社
平成28年12月 株式会社TVQ九州放送 退社
平成29年5月 小郡市長就任(1期目)
令和3年5月 小郡市長就任(2期目)

※プロフィールはインタビュー時のものです。
加地市長とのインタビューの様子
2022年11月25日 Zoomにて
(左:加地市長 右:ドットジェイピースタッフ)

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