ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.007 [議会議員] 松野豊 流山市議会議員 「設計図のない人生を歩みたい」

流山市議会議員

流山市市議会 松野 豊
政党 無所属
選挙区 千葉県流山市
初当選年 1999年
当選回数 2回(市議選2回)
公式サイト

 

松野議員はトップセールスマンから政治家に転身した後も、次々と新しいことに挑戦し続けていますが、それはなぜですか?


そうだなぁ。設計図のない人生を歩みたいと18歳の頃から思っていたね。例えばプラモデルを作るときに、設計図を見て作れば当然それなりのものができるよね。けれど、設計図を何かの拍子になくしてしまっときに、設計図なしで暗中模索しながら完成させたとする。それが見た目にはスマートでなくても自分の中での達成感は大きいと思うんだ。カッコ良く言うと、人に決められた道をレールに沿って歩くよりも、自分で決めて進んでいきたい。要するに思いっきりわがままなんだよね。



どうして政治家を志したのですか?


政治家なんて全く考えてなかった。自分の夢は上場するような会社を設立することだったんだ。それが今から4年くらい前の、まだ俺がサラリーマンだった頃。取引先の社長さんの紹介で、東日本ハウス&銀河高原ビールの創業社長である中村功さんと出会ったことがキッカケだね。中村会長は、開口一番「松野くん。日本の借金。いまいくらあるか知っているかい?」と聞いてきた。
松野「知りません。」
中村「じゃぁ日本の税収いくらか知っているかい?」
松野「知りません ・・・。」
中村「日本の借金は、640兆円。税収は、47兆円。そして、一年で使ったお金は81兆円。」
松野「・・・。(そんなの興味ねぇ。俺は、中村会長の創業物語が聞きたいのに)」
中村「どういうことか、わからんのか?お前はバカだなぁ(笑)。
じゃあ、分かりやすいように例え話で説明しよう。
サラリーマン松野くんは、マイホームを購入して6400万円(640兆円)の借金をしています。
松野くんの年収は470万円(47兆円)です。
そんな松野くんが、今年一年間に生活に使ったお金は810万円(81兆円)です。
この差額340万円(34兆円)はクレジットカードやサラ金に、借金しています。
これが、日本の国家財政の現状だ」
借金を払うのは自分達だと気付いて無性に腹が立った。「なんで、国会で居眠りしている爺さん婆さんの怠慢でつくった借金を俺達が返さなきゃいけないんだよ。」腹が立って3日間寝つきが悪かった。そして4日目にこう思った。「待てよ。政治に無関心な俺達も悪いのかもな」ってね。友人・知人に政治家がいたら興味持つだろうなと思って、「お前、政治家にならない?」って友人を口説いてまわった。でも、誰も「うん」と言わない。そのうちに「そんなに言うなら、お前がなれよ」ということに。「じゃぁ自分がやってみよう。落ちたらバイトでもすればいいや」ってね。それで選挙の3ヶ月前から毎朝駅前に立った。駅前に立つのは思った以上に恥ずかしくて、「今日からやるぞ」と思ってから実際に駅前に立つまで、1ヶ月もかかっちゃったけどね。「同世代の若者に少しでも政治に関心を持ってもらいたい。みんなが選挙に行きたくなるような政治がしたい。」これは、たけし(今村岳司/西宮市議会議員、Japan produce創刊号にインタビュー掲載)の受け売りだけど、それが、議員になったキッカケです。



なぜインターン生を受け入れていらっしゃるのですか?


政治や行政(パブリック)の世界への優秀な人材のリクルーティングのためかな。俺は政治と経営は両輪でなければ世の中は前に進んでいかないと思っている。これは俺自身がビジネス(10年間)とパブリック(3年間)の世界を両方覗いて感じること。今は残念ながら、政経の人材バランスが非常に悪い。ビジネスの世界には優秀で魅力ある人間が豊富なのに、パブリックの世界は非常にさむい・・・これにはいくつか理由があるんだけど、そのひとつはマスコミ(メディア)。ビジネスの世界ではベンチャー企業の社長などをヒーロー的に取り上げるでしょ。でもパブリックの世界は汚職などに代表される悲観的なものばかり。パブリックの世界にだってめちゃくちゃヤリガイのある仕事(自分の考えた政策が実現すれば街作りに貢献できる。市民に喜んでもらえる。地図に残る仕事)だし、優秀な人も数少ないけどいる。インターンを通じてそのことを肌で感じてもらいたい。メディアの情報だけに惑わされないで欲しい。またインターンを経験した学生たちが、自分自身の目や耳や体全体で感じたことが本当に有意義なものであれば、まわりの友達に口コミで話すでしょう。それでより多くの若い世代が政治に興味を持ってくれる。そんなことを夢みてる。



松野議員のインターンは非常にユニークだと聞いています。


まず、インターン生には一週間、俺の家(兼事務所)に泊まり込みをしてもらいます。トイレとお風呂とベッドの中以外、俺と24時間行動を共にして、お互いむき出しの自分で付き合う。短期集中ってやつだね。一ヶ月間通うのと同じかもしくはそれ以上に得られるものはあると思うよ。人生にゴールはない。



松野さんにとってジャパンプロデュースとは何ですか?


我々の仕事は市民を幸せにすることですよ、一番は。そしてもっと言うと、1人でも多くの市民の皆さんを幸せにすること。



では、そのために具体的にどんな活動をされているのですか?


自分の志やアイデアに火を燈して、その灯火を隣の人から順々に広げていくことかな。システムを導入したり、制度をつくったり、建物を建てていくことだけがジャパンプロデュースではないと思うよ。
いくら立派なシステムを導入しても、そこに魂が入らなかったら何も変わらない。慌てず急がず、一歩一歩着実に一人一人の意識を変えていくこと。それ以外に国を変える方法はないとさえ思う。理想論かも知れないけれど、国民ひとりひとりの意識が変われば、例えば、「ポイ捨てはいけない。ポイ捨てはやめよう」って、1億2千万人の人が同時に感じたら、一瞬にしてポイ捨ては消える。つまり意識が変われば一瞬にして日本は変わる。



さきほどの本会議で松野議員は「ポイ捨て禁止条例」に反対の主張をしていましたが。


そうそう。でも、これは俺が愛煙家だから反対したんじゃないよ(笑)ポイ捨て禁止は大賛成。だけど「ポイ捨て禁止条例」には魂が入っていなかったから反対したんだ。かいつまんで話すと、委員会の中で「ポイ捨て禁止が条例化されることで、何がどう変わる?」と質問したら、「それはこれから具体的に考える」という答えが返ってきた。「では、この条例化がなされたら、例えばクリーン作戦を実施している団体への援助など具体的な行動に、積極的にでることを約束できるのか?」と聞き返すと、執行部は「できるだけがんばるつもりです」と答えた。つもりで条例つくるなって(笑)。そもそも、人のモラルを条例で規制しようという考え自体も古くさい。俺は月一回のペースで3年間、駅前クリーン作戦を実践している。たしかにポイ捨て(特にタバコの吸殻)は多い。始めた頃はすんげぇ腹が立った。でも掃除をするまでは「悪いな」と思いながらも、ついついポイ捨てをしていた張本人だった。ゴミを拾う立場になって心の底から『ポイ捨てはいけない。恥ずかしいことだ』と感じた。それ以来、絶対ポイ捨てはしなくなった。制度をつくって予算をつけるだけが政治じゃない。 まずは、自分自身の意識を変えること。それからまわりの一人一人の意識を変えていくこと。それを促すのも政治だし、それができる人は、バッチなんかつけていなくたって立派な政治家だと俺は思うよ。



若者へのメッセージをお願いします。


「人生にゴールはない」ということかな。就活をしている学生諸君には特に聞いてもらいたい。志望した会社に就職が決まっても、それはゴールじゃない。俺は入社して間もなく、睡眠時間も削って、昼メシも食べずに休みなしで血反吐を吐く思いで働いた。3ヶ月で達成すべき営業目標を1ヶ月で達成した。あと2ヶ月は遊んで暮らそうと思った。上司からねぎらいの言葉をかけてもらって喜んでいた次の瞬間に「チームの目標がまだ達成できていないから、あと2ヶ月で500万円売れ!」と言われた。その瞬間は、ショックでぶっ倒れそうになったし、なんか哀しくなって目頭が熱くなったことを今でも忘れない。そんな経験もしながら、今思うことは、龍馬さん(坂本龍馬)や松下幸之助、或いは本田宗一郎が息をひきとる瞬間に「俺の人生は、最高だった」って死んだかな?ということ。龍馬さんは、大政奉還を終えて、やっとこれから自分の夢であった世界の海を渡り歩いて商売することができるって時に刺客に襲われて命を落とした。松下幸之助も「政治と経営は両輪でなければならない」と、有為の人材を育てるため松下政経塾を開いて間もなく、亡くなった。「俺の人生、まぁこんなものだろう」って。それくらいは思っていたかも知れないけれど、「最高だった」とは思っていなかったはず。
それでは一体、成功者とは何か?成功者とは、目標を達成した瞬間に、次の目標を設定できる人。そういう人は、その時点でもう既に成功者なのかも知れない。



【インタビュー後記】


インタビュー当日は、あまりの話の面白さに夜遅くまでインタビューが長引いてしまい、なんと松野議員のご自宅に宿泊させていただきました・・インタビューをしていても僕らの世代にどれだけ期待と愛情を持っているかわかりました。松野さんのような政治家が増えれば、本当に日本は変わるのでは・・!



(インタビュー:2002-06)


1969.11.19千葉県流山市古間木に生まれる。
1982.3流山市立流山北小学校卒業。
1985.3流山市立流山南部中学校卒業。
1988.3廣池学園麗澤高校卒業。
1989.10リクルート入社。トップセールスマンとして活躍するが、ある出会いをキッカケにリクルートを退社。
1999.5.6得票数2147票で流山市議会議員初当選。
2003.5流山市議会議員選に2期目の当選。千葉県北西部を中心とする超党派の若手地方議員による ネットワーク「東葛ステイツマンクラブ(TSC)」を発足。

県知事選挙での合同個人演説会の企画・運営や議員年金改革への 取り組み、また最近では、行政システム改革や議会改革を学ぶため 「三重県共同調査」を実施し、その調査をもとに市民との協働による 地域特化型政策シンクタンク「地域政策研究所(IRS)」を設立する。

現在は市議会議員の仕事にとどまらず、自らを市政改革プロデュー サーと位置づけ、講演活動や様々なプロジェクトを推進している。

(有)インスピリット代表取締役、CAFE DESERT TOKYO顧問、(株)レスト エグゼクティブプロデューサー、 ドットジェイピー関東アドバイザーほか多方面で活躍中。
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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