ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.008 [議会議員] 井坂 信彦 神戸市議会議員 「28歳・神戸の超さわやか議員!25歳と2週間、史上最年少で市会議員に当選した彼のアツイ想いとは」

神戸市議会議員

神戸市議会 井坂 信彦
政党 無所属
選挙区 兵庫県神戸市
初当選年 1999年
当選回数 2回(市議選2回)
公式サイト

 

よろしくお願いします。ではまず、どうして議員になろうと思われたのですか?


きっかけは、98年の秋に、「神戸空港の建設の是非を住民投票で決めせて欲しい」という、市民の署名を議会が公然と却下したことでした。住民投票は、いくら市民が望んでも、議会がGOサインを出さないと行うことができないんです。だから、このことは“議会が市民の声を聞くことを拒んだ”ということでした。私はたとえ住民投票で出た街の人の意見を、結果的に却下することになるとしても、その意見さえ言わせないというのは問題だと思いました。そして「そんな街の意見を聞こうとしない議会というのは、どういうところなんだろう」という疑問が湧いてきたんです。それが私が議員になりたいと思った、最初のきっかけですね。



なるほど。では立候補される前は何をされていたのですか?


大学時代からビジネスに興味があったので、起業家になりたかったんです。だから卒業後は新神戸のベンチャー企業に就職し2年間働きました。その会社では、猫を輸入して、猫のテーマパーク「ねこだいすき」をオープンさせました。その時のなごりで、今でも猫の爪を切るのは誰にも負けませんよ(笑)あと、その会社の上司に昔、国会議員の秘書をされていた方がいたんですが、その方と色々な話をする中で、そういう世界があることを知りました。そしてそのことが、私に人生の選択肢のひとつとして“議員になるという道もある”ことを教えてくれました。議員になった今考えると、そのことは非常に大きかったと思います。
そして入社して2年目の秋に、さっき言った神戸空港の住民投票の件があったんです。でもなかなか、立候補する踏ん切りがつかなかったんです。自分なんかが議員としてやっていけるのだろうかと。
そんな時に、会社の上司に当時最年少で当選された横浜市の市会議員の方を紹介していただき、会いに行ったんです。そこで実際に議員というものを実感することができ、立候補に踏み切ることができました。



そして、史上最年少の25歳と2週間で当選。すごいですね!


うん、それはただ生まれた年の問題であって、たまたまその年齢の時に選挙があったってだけで、別にすごいことではないよ。まあ、その年に生まれるように仕込んでくれた親父に感謝かな。



実際、議員になってみて、議会はどうでしたか?


議会に入っての第一印象は、「まるで江戸時代」ということでしたね。議長の喋り方や建物、それに赤じゅうたんに金色のエレベータと、とにかく形式、格式を大事にしている世界だと思いました。



先輩議員の、井坂議員を見る目はどうでしたか?


初めはイジメられるのを覚悟してたけど、そんなことは全然なかったです。それよりも、物珍しい目で見られ、まるで宇宙人扱いでした。私は本会議場にノートパソコンを持って入るんだけど、おじさん議員達は、「何それ?」「小さいな」と、とても興味深々でしたね。



市民の意見を蹴った議会。そして今、その議会の中にいる井坂議員。議会をどう考えますか?


市民の意見を聞くことさえしない議会なら正直言っていりません。議会をとばして直接市民の声が役所に届くような仕組みを作るべきだと思っています。まあ、市民の総意として議会が位置付けられている以上、議会がなくなることはないだろうけど、市民が何かを自分達で決めたいと思った時には意見を言わせてあげて、委ねてあげられるようにするべきだと思います。



井坂議員は現在、住民投票議員団に所属されていますが、実際に住民投票を行うための活動をされているのでしょうか?


住民投票というのは正直、議員が一番嫌がるものなんです。要は議員、つまり議会はいらない、自分たちで決めさせろということですからね。だからなかなかやりづらいんです。 さっき「議会を飛び越して役所に届くルート作りが必要だ」と言ったんだけど、住民投票以外にもそのための方法はあるんです。例えばパブリックコメントであったり、審議会や委員会に市民を採用することであったり。そうやって、市民の声が直接、役所に届くルートをいくつか作ることができれば、議会も危機感と緊張感を持つようになって、自ら民意に沿った議会に変わっていこうとするといます。そうなれば、議会にも任せられるし、直接役所にも意見を言うことができるし、というように、市民には選択肢が増えて、今よりも良い状態になると思います。自分でもできるんだ、ということを感じて欲しい。



なるほど。井坂議員のように、もっと多くの若者が政治の世界に入って行くべきだと思うのですが、それについてはどう思われますか?


うん、そうだね。もっと若い人たちの人生の選択肢のひとつになっていくべきだと思います。学生が就職活動のひとつとして選挙活動を考えるくらいにね。



ではそうなるためには?


もっと前例がたくさんできることだと思います。それにはやっぱり、学生に政治を見てもらう必要があると思うんです。私も最終的に立候補に踏み切れたのは、横浜の最年少議員の方のと会い、お話を聴くことができたおかげでした。



議員インターンシップを受け入れられるのも、若者に政治の世界を見てもらいたい、という気持ちからですか?


そうです。インターンに来てくれた学生に、私の完璧じゃないところも含め、全てを見てもらって、自分でもできそうだと感じてほしいんです。あと私自身も学生から学ぶことは多いです。何年もこの世界にいると、最初はおかしいと思えたことが、当たり前になってきたりするんです。そんな時、学生の新鮮な意見を聞くことで、「オレ、ちょっと染まってきてるぞ」って自覚できて、自分の軌道修正になりますね。



井坂議員にとってのジャパンプロデュースとは何ですか?


やればできるんだ、意見を言えば変えることができるんだ、ということを自分でやって、市民の人たちに見せてあげることですね。その後にみんなが続いていってくれれば、どんな大きなことだって変えることができると思います。 私一人で日本を変えられるイメージは持ってません。でも神戸くらいなら変えられるかもしれない。そして、その変わった神戸を見て、他の街が変わり、あそこもできるならって感じで、少しずつ変わっていけば、そのうち日本全体も変わっていくことができる。トップダウンよりも、ボトムアップの感じです。それを繰り返していけば世界だって変わることができると思います。つまり、お手本になることですね。実はそれが日本を変えていく、一番の近道だと思います。国会議員になって国を良くしようとするよりも、市会議員として神戸市を徹底的に良くすることで、周りに影響を与え変えていく。若くして国会に行っている人達との、どっちが早く日本をよくするかの競争なんです。



ではこれからもずっと神戸市の市会議員としてやっていかれるのですか?50歳、60歳になられた時には一体何期目なのでしょう?


私が50歳、60歳になっても議員をやっているのはよくないことです。なぜなら、私は同じ人が長い間議員をやるのはよくないと思っているからです。さっきも言ったように、長年議員をやっていると、最初はおかしいと思っていたことが、当たり前になってくる。つまり長いこと議員をやっているとその分だけ、市民の生活とのギャップができてしまい、党利党略やらなんやらで問題の本質が見えなくなってしまうんです。
極端な話、90歳の新人議員なら大賛成です。老人の視点に立った新鮮な問題提起を行うことができるからね。まあ3期12年やってできないことは一生できないと思いますね。それよりもどんどんと新鮮な意見を持った人を入れて、回転をよくしていくべきだと思います。
理想は、議会と街の年齢、性別の構成比をいっしょにすることですね。つまり議会が街の縮図になれば、街の問題は見えやすくなり、議会でも的を得た議論ができるようになります。だって子育てをしたこともないおじさん達だけで、育児のこととか決めるのなんておかしいでしょ。これは国政にも通じることだと思うんですけどね。



では、議員を引退された後はどうされるのですか?


やりたいことは一杯あるよ。やっぱりビジネスもやりたいしね。あと死ぬまでに一回でいいから映画をとりたいですね。人情ものを。とりあえず、議員は40歳ぐらいには引退かな。ただ、神戸にはずっと住んでいたいから、40歳以降も自分が住みたいと思える街にしておかないとね。そうしておかないと、私自身、無責任だと思うし。



最後に若者へのメッセージをお願いします。


ぜひ、色々な体験、とりわけ人がしていない体験をしてみてください。それが情報化社会で生きていくあなたたちにとって大きな強みになるはずです。つまらないようなことならば、今の社会、インターネットで検索すればそれで済んでしまいます。だから、他の人が求めてくるような、自分だけの特別なものを持ってください。そして、それを社会にどんどん発信していってください。そうすれば、それは、社会に影響を与える本物になるはずです。



インタビュー後記


井坂議員はとてもおっとり話される方なのですが、その言葉には不思議と力強さと説得力を感じました。
インタビューが終わった時、不意にドキドキしている自分に気づきました。こうゆうドキドキするような出会い、いいです!



(インタビュー:2002-08)


1974.3.27 東京都世田谷区に生まれる。
1986.3 東京都新宿区立淀橋第四小学校卒業。
1989.3 東京都新宿区立西戸山中学校卒業。
1992.3 東京都立戸山高校卒業。
1997.3 京都大学総合人間学部卒業。
1997.4 神戸のベンチャー企業に入社。
1998.10 関西初の猫のテーマパーク「ねこだいすき」オープン。
1999.4.11 そして市民の声を聞かない議会に疑問を感じ神戸市灘区より出馬。25歳2週間、史上最年少で当選。
2003.4.13 神戸市議選挙に2度目の当選(トップ当選)。
2006.9.1 全国若手市議会議員の会・副会長就任。
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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