ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.015 [議会議員] 又木 京子 神奈川県議会議員 「なにしろ、社会にあるニーズを発見するのが大事なんです」

神奈川県議会議員

神奈川県議会 又木 京子
政党 無所属
選挙区 神奈川県
初当選年 1987年
当選回数 3回(市議選2回、県議選1回)
公式サイト

 

私自身、地域福祉の第一人者の又木議員のファンだったので今回のインタビューは大変楽しみにしていました。今日はよろしくお願いします。


ありがとうございます。ぜひ今度私のインターンシップにいらっしゃってください。



又木議員のもとへ伺ったインターン生からも又木議員のもとでのインターンは面白いと評判でした。


ありがとうございます。たしかにお得なインターンシップだったかもしれませんね。私のインターン生には地域福祉のNPOを含め、私の行っている活動のすべてをお見せしますから。
ただ政治家のインターンシップとは思えなかったのではないかと心配してます。私自身も自分が本当に政治家かなのかどうかわからなくなるくらいですし(笑)。



確かに又木議員は政治家という仕事以外にも医療・福祉分野のNPOの理事などをなさっていますが、医療・福祉に関わるきっかけってなんだったんですか?


私は実は議員1年目は医療・福祉にまったく手をつけなかったんです。医療・福祉には保育もあり、障害もあり複雑です。さらにそのなかでも、オムツを何枚支給するか、なんて非常に細かく考えなくてはならないことがありシステムが見えづらくて触れられなかったんです。
政治というのは、社会のシステムをどうするかを考えることです。
でも日本の政治は間違っていて、行政が社会のシステムをいじってしまって、かわりに議員がそれこそオムツを何枚支給してくださいという細かい仕事をしています。逆なんですよ。
議員は社会のシステムがどうなるかを考えるべきなんです。その大枠のもとオムツを何枚支給するかを役人が考えるべきなんです。で、その議員と行政の立場が逆転した状態に疑問を感じて医療・福祉には関わらなかったんです。ですが、やはり私どもの仲間で高齢社会に不安に感じ、公的福祉では間にあわないので自分たちで福祉サービスを提供してあげたいという話になり、いまでいうホームヘルパーのサービスを厚木市で立ち上げたんですね。
で、立ち上げると現場の課題が序々に見えてきたんです。
そのときに、本当にあらゆる勉強をしました。現場のナマの体験ですから本当に勉強になりました。
たとえば行政はサービスを均等に振り分けようとするわけです。老人ホームなどの施設をつくろうとするとき行政は市民からのニーズが多くあっても、計画通りに行われていれば、すでに足りているからいらないと判断し、計画を変更しようとしないんです。
でも違いますよね?
ニーズが多くあるところには、それに応えてあげなくちゃいけない。普通に考えれば簡単なことです。ほかにも私が関わった福祉団体ではワークシェアリング(*1)という働き方も主張しました。
その頃はワークシェアリングなんていまほど注目されていなくて、行政からも「バカじゃないんですか?」なんて言われましたけどね(笑)。
また実際に自分で現場に出て運営してみて、市民へのサービスは非常に柔軟に運営できることも知りました。
たとえば一見何もできないような小さい施設でも、みんなでどうしようかと知恵をしぼって高齢者の皆様にお食事を届けるサービスをはじめたり、送迎のサービスだけでもはじめたり。 私たちがはじめて一年間くらい経って市が制度化したなんてこともありましたよ。
銀行よりも私たちにお金を貸してくれたほうが夢も希望もかないます、なんてね(笑)。
(*1)「ワークシェアリング」とは、
失業が増大し雇用確保が重要になるとき、一人当たりの労働時間を短縮し、それによって仕事を分かちあおう(worksharing)という政策を意味する。
また「生活の質の向上(qualityoflife)」を意図した「ゆとり」の創出と「心の豊かさ」の実現へのとりくみもこの政策の大きなモチベーションとなっている。



どうやって資金をつくったのですか?


実は市民のみなさんにお願いしたんです。銀行などからお金を借りるだけで事業をはじめることはしたくありませんでした。そのかわりに市民のみなさんによびかけて、5年間、10万以上、無利息で貸してとお願いしました。
市民のお金でやることが大事なんです。私を含めて自分たちのほしいサービスを自分たちでつくれるんだっていう希望につながるから。
いま、銀行にお金を置いておいても利息も何もつかないじゃない?だったら自分たちの将来のためになるところにお金を預けましょうよ。私たちに貸してくれたほうが夢も希望もかないます、なんてね(笑)。
で、2000万円集めようとみんなにお願いしたらなんと6600万円集まったんです。さらに大口のところからも借りて1億にして施設をつくりました。
わたし本当に政治家なのかしら?(笑)



又木議員の活動はNPOの先取りみたいですね。


そうですね。そのころはNPO(*2)なんて言葉もなかったですけどね。なにしろ社会にあるニーズを発見するのが大事なんです。
行政は窓口に来たものだけしか対応できない。それではニーズに応えられていない。市民が必要とするものはお金だけじゃないんですよ。
もし寝たきりになっても協力してくれる人がいなかったら、いくらお金があってもダメじゃないですか。
食事を作ってくれたり、外出させてくれる人がいなかったら、いくらお金あっても仕方ないでしょう?
自分の理想の社会は自分でつくれるっていうことを知ってほしいんです。
親が安心したり、自分が安心したり。
自分でも社会を変えられるんだってみんなが思える社会が参加型社会というんです。
自分の受けたい医療、自分が受けたい福祉があったら自分でやる。
自分の希望を守るために政治家でも何でも使う。
政治家は使うものですよ。
私は使い勝手いいですよ(笑)。
(*2)NPOとは、
「Non Profit Organization」の頭文字をとったもので、「自発的に」「利益のためでなく」「社会に貢献する」活動をしている団体のこと。



なるほど。政治家は使うものですか・・・。


政治家を使わずに遠ざけていると政治もどんどんダメになるんです。若い人も就職や年金や環境など、社会に対する漠然とした不安があるでしょう?そんなときはいまの政治家をよく見たほうがいいです。
よく見てみたら、この連中がやっていたら、社会は不安なままだとか思うかもしれませんよ(笑)。



又木議員がお忙しい中、学生インターンを受け入れるのは、やはり若いひとに特別な思いがあるからですか?


そうです。政治は次世代の人のためにあるんですからね。インターン生の方たちの視点は私にとってとても重要です。外から興味をもってくれたひとがダメだと言うか、面白いというかはわたしの活動のバロメータです。
やはり仲間だけじゃだめなんです。外部の人の視点も必要。
とくに次世代の方が「なるほど、この人はちゃんとやってる」って言ってもらえるようじゃないとだめだと思ってます。知恵も身体も使って、社会のために働くことはお金を稼ぐ以上に素敵なものを得ることができます。



学生時代は何をなさっていたんですか?


バレーボールですね。勉強はあまりできませんでした。
私の大学時代は70年安保だったので、大学がストライキだったんです。でも私は学生運動じゃなくて、身体を動かす本当の運動ばかりしてました(笑)。
学生運動はわたしには難しかったんですね。米軍資金問題とか。たしかに何か社会に物申している姿勢は共感できましたが、知識や頭が先行してしまっている印象を受けました。
私は頭と行動がばらばらだとダメなんですね。だから参加しませんでした。それにいくら正しいことを言っても親のスネをかじって好きなことを言っているのはどうかと思いました。申し訳ないと。
だから私は就職してから社会活動は始めました。
就職してすぐに共同保育の活動に参加しました。



運営者として関わったのですか?


いえ、私自身も全部をやっていました。私は知恵だけじゃなくて自分でも働いたり、お金も出して運営に足したりしました。



その頃から市民のためというのは貫いているんですね?


そうですね。社会とつながり続けているつもりです。それが生きているってことだと思っています。



なるほど。又木議員は具体的にどんな社会を実現しようと思ってらっしゃるのですか?


そうですね。『三歳児神話』を崩したいですね。
“子供が三歳になるまで、母親は仕事を辞めて子育てにだけに集中するのが正しい育児だ”という三歳児神話といわれるものがあります。でもいま、少年犯罪の数もすごいじゃないですか。この原因って、三歳児神話だと思うんです。
社会で育ってないんですよ、子供たちが。だから子供たちは勉強以外のたくさんの大事なことを学ばずに育ってしまっているし、さらに女性たちはその責任を一身に背負わされてしまい、すきな仕事も辞めなければならない。こんな社会は間違ってます。昔は地域で子供を育てていました。さきほども言いましたが、歴史的に見てもいまの社会は特殊なんです。女性も自然に働ける社会をつくる、いや、間違った社会を元に戻したいと思っています。
それをこの市で実現したいと思っています。



最後にぼくらの世代が就職しないことが問題だと言われていますが、又木議員はどう思いますか?


ここでみなさん考えてほしいのですが、お金を稼ぐことだけが働くことじゃないですよ。会社に就職して、お金のために働くのが働くことなんて価値観がつくられたのは、最近ですよ。歴史を見ても。長い目で見たときの社会の変化を知ってほしいですね。
私は働くことは稼ぐことだという価値観が間違ってると思ってます。
お金を稼ぐためだけに働くのは間違ってますね。最低限食べれるならいいんじゃないかとも思います。
自分らしく働いて収入を得るのは簡単ですよ。自分らしい生き方をするために自分の夢を探している期間なら、何も心配することないと思いますよ!知恵も身体も使って社会のために働くとお金以上の素敵なものを得ることができます。それをみなさんに早く気づいてほしいですね。



インタビュー後記


政治家でありながら自ら現場に出かけ、市民に必要なサービスも自分たちの手で創り出し、さらに自分で汗もながす。又木議員に会ってその人柄にふれ、政治家とは議員バッヂをつけている人をさすのではなく、市民のために働いている人のことなんだと実感しました。ますますファンになりました!



(インタビュー:2002-11)


1949 鹿児島県志布志町に生まれる。
1951 神奈川県厚木市に転居。
1961.3 厚木小学校卒業。
1965.3 厚木中学校卒業。
1968.3 厚木高校卒業。
1972.3 慶応義塾大学文学部卒業。
1972.4 富士通(株)に入社。
1976 富士通(株)に退社。
1983 「神奈川ネットワーク運動」設立参加。
1986 厚木ネット設立。
1987 厚木市議会選挙に初当選。
1993 社会福祉法人籐雪会・ケアセンターあさひ設立。厚木市議会運営委員長。
1994 神奈川ネットワーク運動代表。
1995 神奈川県議会選挙に初当選。
1997 「WE21ジャパン」設立199898年「WEショップ」を開設。
1999 神奈川県議会選挙に2期目の当選。
2000 NPO法人「MOMO」によるケア付き入居施設、サービスハウス「ポポロ」開所。
2001 NPO法人化学物質過敏症支援センター設立に参加。
2002.8 8年間務めた神奈川ネットワーク運動代表を退任。
2003 県会議員辞職。厚木市政へ挑戦!現在神奈川県議。社会福祉法人「藤雪会」(ケアセンターあさひ)理事。
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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