ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.026 [議会議員] 森井 秀明 小樽市議会議員 「ライフセーバー議員?議員ライフセーバー?」

小樽市議会議員

小樽市議会 森井 秀明
政党 無所属
選挙区 北海道小樽市
初当選年 2003年
当選回数 1回(市議選1回)
公式サイト

 

本日は、よろしくお願いします。


うん。最初の質問はなにかな?



学生時代、特に高校から大学にかけて、森井議員はどんな感じの学生でしたか?「実はワルかった」とか?


いや、正直ワルくはなかったんだけど、自分の性格ですごく嫌だったのが、『人の言葉に左右されやすくて自分の意志があまり無かった』とこだね。



まさに典型的日本人タイプ・・・ということですかね。


うん、まさにそうなんだけど、とにかく自分で判断して動けるタイプではなかったんだよな。



何か運動はされていたんですか?


スポーツ、特に球技が大好きで、水泳と野球は見るのは好きだけど実際やるのは苦手だったんだよね。
ていうか水泳は、今でもまわりのみんなに比べると下手なんだわ(笑)



へぇー。部活はやっていたんですか?


小6からサッカーやってたんだけど、高校1年生でやめちゃった。それからは麻雀ばかりやってた・・・。
あー、高校のあのぐらいの時が一番遊んでた時期だなぁ。



では、アルバイトはされてましたか?


うんと、まず、高校のときはケンタッキーも厨房もやったし、正月に、自転車で年賀状配ってまわる仕事もしてた、いろいろやったな。



北海道の冬を自転車ですか!?信じられないですね!!


そうそう、雪道の中を地元の高校生たちが自転車乗って配って回ってたわけ(笑)



(大学は体育科と聞いて)高校のころ、いつ頃から体育の先生を目指してたんでしょうか?


高3の時自分の周りに、同じように体育系のとこ行きたいってやつがすごい多くて、自分も運動好きだったから、それに流されて体育科を受けたって感じ。
でも、ぜんぜん勉強してなかったから、最初は落ちた。
で、一浪して、信じられないくらい勉強した。
もう、1日12時間は勉強してた。寝る時とごはん食べる時以外は、全部勉強してた。



おー、それはすごいですね!


センター試験の得点が150点も上がってて、感動した。
実は目標200点アップだったんだけど、それでも。



それでも感動したと。それはそうですよね。大学に入ってからはどんなスポーツをやったんですか?


学科が体育学科だったから、なんでもやった。 部活は、ほんとはまだサッカーが好きだったんだけど、今度はちょっと別のことをやろうと思って、バスケットボールをやったね。



スポーツ万能ですね。


いや、ぜんぜん(笑)。なんでもやって、サッカーもバスケも好きだったんだけど、すごくうまくはなかったし。
なにをやっても一流にはなれない人間だと思ってる。
ただしなにをやっても、全部そこそこにできる自信はあるんだよね。
今、朝野球チームにも入っていて、あと、小樽の友達がバスケチーム作ろうって言ってきた。もう、すぐにできるけどね。



その、お友達のことをお聞かせください。


(森井議員が発行している“初心”というフリーペーパーの中に載っているストリートミュージシャングループ「青葉」の一人を指差して)「青葉」のリョウって言うやつなんだけど。このもう一人のほうがショウっていって、親同士が同じ会社の社員で、同じ社宅に住んでたんだ。
ただ、学年で11も離れた俺の妹と遊んでたから、俺は当時そこまで交流なかったんだけど。
たまたま選挙で小樽に来て、商店街で歌っているうまいやつがいるらしいって聞いたから、会いに行った。そしたら、ショウだったというわけ。
16年ぶりだったよ。



運命的再会ですね。そういえば、私もよくそこを通るので見かけたことはあります。


この二人は、いまはまだストリートで歌ってるけど、歌はうまいんだよ。
今度音楽祭で歌うんだけど、その時俺もレスキューのデモンストレーションをやることになってるね。



気になる・・・ぜひ聞きに、あと見に行かせてください!ところで、この“初心”というフリーペーパーなんですが、なぜ発行することにしたんですか?


『自分と同世代の人や、政治に関心が無い人達に、政治の話題をなんとかして提供したい』そう思って作る気になった、て感じ。



なるほど、目的が私達と全く一緒なんですね(笑)


そうですね、表紙は「今月のペット」だし、いろいろとおもしろいコンテンツがもりだくさんのなかになぜちょこっと政治のことが混ざってるんだろうと不思議に思いましたけど。



でもたしかに、これなら見やすいかも。


そうなんだ。
これがもし全部政治!だったら、だれも読まないね。
特に若い人が読みやすいように、他にいろいろ楽しい話題を取り入れてるつもり。
いいと思いますよ、これ。



それでは、本題でございます。森井議員はライフセーバーをされているんですよね。それを志されたのはどうして、いつから、だったんでしょうか?


うーんと、元々、消防士とか救急的な仕事につきたかった。
だから、大学のゼミも救急法だったし。
教育大学だったけど、教員試験は受けなかった!
だって、いままで学生だったやつが、卒業してわずか一年で、学生を教える立場になって、「先生」と呼ばれる。それっておかしいと思わない?
自分は先生になるとしても社会で経験積んでからだ!と思ってたから、試験は受けずに普通の会社に入った。
で、そこの収入や、仕事の内容自体悪くはなかったんだけど、なんだか働いてる人達がいろんな言葉をこぼしてるんだよね。
『夢はある。けどこんなとこにいたら、いろいろなものに縛られてそれができない。』みたいな。
自分は自分のやりたい仕事をしたい、それにまあ、このままあと3年もここにいたらこの仕事辞められなくなるんじゃないか?
そう思って会社を辞めてしまった。
最初はスキー場パトロールをやってて、春からは何しようかな~と思ってた時に、偶然!ライフセービングのことを耳にして、やろうと思った。
スキー場のバイトやりながらプールで水泳を練習してた。
スキー場がオフシーズンになってから、神奈川に行って、そこで初めてライフセービングをやったって感じ。



練習とかなしで、いきなりですか!?


いや、NPO法人日本ライフセービング協会というのがあって、事前にそこの一番基礎的な講習会「ベーシック」を受講していったよ。
ただ、ライフセーバーっていうのは資格も何もいらなくて、誰でもできる。
必要なもの・・・強いて言えば、やる気かな。やる気。
そういえば子供の頃、2,3回溺れて死にかけたことがあった。
ライフセーバー始めてからも溺れたことがある(笑)



ライフセーバーなのにですか!?(笑)じゃその2,3回溺れて死にかけた時は、ライフセーバーに助けてもらったんですか?


いや、助けてもらえなかった(笑)。
北海道って最近まで・・・いや、今の北海道でも「ライフセーバーて何?」みたいな感じがちょっとあるぐらい、ほんとにやってる人がいなかったから。
だから、何もかった北海道に自分がそういうものを持ってきて、北海道ライフセービングクラブを作った。
今思うと、その時助けられなかったことが頭のどこかにずっとあって、それである日偶然ライフセービングを知ったときに「これだ!」と思わせた、 一種の原動力みたいなものになったんだと思う。



本能的に、ライフセーバーを選んだってことですかね。


うん、そんな感じね。よくある話で、消防士に助けられた記憶が、大きくなった時に俺は消防士になりたい!って思う原動力になるっての聞くよね。
俺の場合、自分が助けられなかったから、逆に助ける側になりたいと思ったみたい。
自分にとってライフセービングっていうのは、なんでもまわりの人に流されて物事を決めていた人生のなかで、はじめて自分の意志だけで「やりたい」と思って始めたことだね。
で、俺は、何かをやるときに「自分の意志で動く」ことをすごく大切にしてるんだよね。
それは「我を強くする」そうではなくて、仲間がいていろんなことを共有する中で、最終的な判断だけはやっぱり自分でやりたい、そういうこと。
昔の、他人の意思に流されて生きていた自分が実はその当時から嫌いで、でも自分を好きになりたいと思ってこれを実践していくうちに、まわりの人達のことも好きになれるようになった。
・・・ていう風に、「なんでライフセーバーになりたかった」っていうのはいつも聞かれるんだけど、俺話へただからさ(笑)、いっつも説明が長くなるんだよな。
う~ん。いまいちまとまってないけど、今ので大丈夫かな?
この理由を「言葉」で表すの、本当に難しいんだよね。



大丈夫ですよ!!それでは、こんな質問はいかがでしょうか。尊敬する人はいますか?


あ、これに関してだけは、すっぱり断言できる。『いません。』



いませんか(笑)


いません(笑)
ごめん、なんも書けなくて。



いえ、一つ前の答えは長かったので、メリハリがあっていいんじゃないでしょうか(笑)


そっか(笑)。う~ん・・・感謝する人は・・・両親とか、ライフセービングクラブの仲間達にも感謝してて、いくらでも言えるんだが。
すごいと思う人もいっぱいいるけど、尊敬できる人はいないだろなぁ。



じゃあ、多分難しい質問ですけど、ライフセーバーじゃなかったら何をしてましたか?


ライフセーバーでなかったら?・・・ん~?・・・先生だったら、もしかしたらあったかもしれないな。他には考えつかないぞ。



じゃあ、最後の質問です。5年後、10年後、何をしていますか?


難しいな・・・まず、好きなことをやっているな。
あと、いろいろ展望はあるけど、ここで発表するほどのもんではない。
でも、海に携わっている、これだけは確かだね。
5年後は、また選ばれていたらだけど、市議はやっていたいし、するつもり。
10年後もやってたいけどわからないな~。
自分でなりたいと思っただけでなれるもんじゃないしね。
自分が議員になったのってさ、なにかっていうと、大好きな海の現状を良くしたかったわけよ。
海岸線ていうのは、港とかみたいに地方自治体に「港湾部」っていう名前で部署があるものと違って、国が直接管理してっから、そこに住んでる人たちの民意がすごい反映されにくい部分なんだよね。
そういう変えたいことが前提としてあったからで。 言ってしまえばそれを変えるための手段、海にいる人たちの窓口として自分は議員になっているわけで、まず議員になって○○しますっていう普通の政治家とは、考えの順序は逆だろうね。



なるほど、よくわかりました。それでは、最後に一言お願いします。


う~ん、一言にならないと思うけどいいかい?
これを読むのってほとんど学生だよね?で、彼らに言いたいことなんだけど、自分が好きなこと、人に迷惑かけるんではなくてまわりに認められながら、そのうえで自分のやりたいことをやりな、ていうことだね。
ただ、やりたいことをやる、そのことに対する努力っていうのは大変だと思うよ。
なぜなら今、世の中には「安定職」というものが成り立ってしまっているからね。
これって、日本のことね。他の国には、あまりないと思う。
バブル期に、日本では多くのもの、例えば会社や銀行なんかが急速にバンバン作られていった。
でもそれは、その時代の人達の相応の努力によって大きくなったもの。
なのに今の俺らの世代は、それが安定していて、当たり前のように見えている。
だから、「就職」を目指す。
自分がやりたいことでなく、企業に選ばれるために勉強しているから、そうなってしまうと自分のやりたいことにつながらなくなってしまう。
いろいろ言ったけど、やりたいことをやるのって、がんばれば難しいことではないと俺は思うわけで。こんなところかな。



(インタビュー:2002-07)


1972.9.1 北海道恵庭市に生まれる。
1991 北海道教育大学札幌校教育学部体育科入学。
1999 北海道ライフセービングクラブを設立、代表に就任。
2000.3 小樽市議会に現役最年少で初当選。第一期目。
■人物概要
1972年生まれ、30歳。実家は北海道の恵庭。北広島高校卒後、北海道教育大学札幌校教育学部体育学科入学。
■その他
大学卒業後、一般企業に就職するも退職、札幌でのスキー場でパトロールのアルバイトをする。その途中ライフセービングのことを耳にし、神奈川での訓練を経て、ライフセーバーになる。1999年、ライフセービング自体がメジャーでなかった北海道に、北海道ライフセービングクラブを設立、現在代表を務める。今までは、夏は主に小樽ドリームビーチなどでライフセーバー、冬はスキー場警備、その傍ら土木作業員のアルバイトも行なっていた。小樽市議選出馬を機に小樽に移住。小樽市議会議員市民クラブ幹事長。“初心”というフリーペーパーを発行している。今も現役のライフセーバー。
※プロフィールはインタビュー時のものです。


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