ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.043 [国会議員] 高山 智司 衆議院議員 「大切なのは明確な「リアルな」目標を持つこと」

衆議院議員

民主党 高山 智司
政党 民主党
選挙区 比例区/北関東ブロック
初当選年 2003年
当選回数 2回(衆議員選2回)
公式サイト
YAHOO!みんなの政治

 

本日はよろしくお願いします。大学時代や、卒業後の『5年間の社会勉強』はどの様なことをされていましたか?


社会勉強と格好良く言っただけで、要するに司法浪人生だったね。
試験に受からないものだから、会社に勤めたり、アルバイトしたりして生計を立てて。
だけど普通に会社に勤めることよりも良かったと思うのは、生活を組み立てるという事を学べたことかな。
『司法試験に受かる』という遠い、1年間に1回しかない目標はあるんだけど、それ以外のことは全部自分で組み立てければならなかった。
大学生の時は、みんなと同じ授業を取ったり、みんなと花見に行ったりと、時間は十分にあるんだけど、付和雷同というか、そこには「主体性」がまったく無かったね。
もっと主体性を持った生き方をすれば良かったんだけど、その当時は、自分が何をすれば良いのか分からなく、ボヤ~と過ごしていたからそれが出来なかった。「明確な」目標が無かったんだ。



主体性を持つことは、簡単そうで、とても難しいですよね。


自分が主体的に生活を組み立てることは、孤独でとても勇気のいることだと思う。
でも、大学時代はそれを学べる期間だと思うよ。
時間割があるとはいえ、社会人と比べると空いている時間はいくらでもあるわけだから。
今思うと、自分も大学時代に出来ていれば大人になるのが、もう少し早かったかもしれないな。 話を司法浪人の5年に戻すと、その期間は明確な目標があったから、大学時代と比べて目標設定という部分では楽だった。
生活を自分独りで組み立てることは大変だったけど、それが出来たのは幸せだったと思う。とにかくこの期間にスケジューリングの重要性を学べたことは大きかったね。スケジューリングは今でも大事にしているし。
まあ、5年間の「社会勉強期間」に色んなアルバイトをして、あるいは就職もしたけど、司法試験を受けることがメインにあったから、仕事は自分の体験を増やしたり、生活のためにやっていたから重視していなかったな。



司法試験を目指していた高山議員ですが、どうして政策秘書になられたのですか?


率直に言うと、司法試験に受からなかったから。司法試験を受けた同じ年に、司法と勉強内容が似ているから『政策秘書試験』を受けたら、受かった。
司法試験の合格発表は、政策秘書試験の後で、その年もあくまで司法に受かろうと思っていたんだけど、落ちてしまった。
29歳になっていたから「そろそろやばいな・・・」って焦ってたら、「そういえば政策秘書試験に受かっていたな」と思い出して。
実を言うと、政策秘書試験があることは知っていたけど、実際にどんな仕事をしているのか知らなかった。
だから、とりあえず本屋に行って「国会便覧」をパラパラと眺めたら政策秘書の欄が空白の議員が多いことに気がついたんだ。
実際に当時は60人程しかいなかった。



何かのきっかけがあって、突然『政治の道』に目覚めたわけではないのですね


そうだね。初めのうちは、またアルバイト感覚で、政策秘書の仕事をしながら司法試験の勉強をすれば良いと思っていたから。
今回の『アルバイト』の目的は「与党系且つベテラン議員」について勉強することで、一生の仕事にする気はなかったな。
だけど、元々弁護士みたいに人の為になるとか、社会性のある仕事に就きたかったから、政策秘書をやっていくうちに、結構面白い仕事だなと感じてきた。と言うのも、政策秘書は、みんなが怪しいと思っている国会において、公募で秘書を選んでそれが政策に携わる事だから。
ちょうどその時から『官僚指導』から『政治主導』と言われていたけど、国会議員の数が700人しかいないんだから、政策スタッフとして政策秘書はこれから重要になってくる領域だと思って、俺はこの仕事で頑張って身を立てようと思ったんだ。
そしてやるからには『No.1政策秘書』になってやろうと。
それからは「どのような仕組みで国会が動いているのか」を知らないと仕事を出来ないから相当勉強をしたな。
政策秘書の仕事って漠然としているから
「国会は日本の全体の中でどういう役割をしているのか」
「その国会の中で衆議院・参議院はそういうポジショニングなのか」
「参議院のなかで先生はどういうポジショニングなのか」
を考えて、それに一番効果的な仕事をしなければいけないから。
とにかくそのジャンルでは誰にも負けない様に頑張ろうと勉強した。議員全体を・国会全体をサポートして社会貢献しようと思ったわけね。



高山議員はこの前の総選挙で衆議院議員になられましたが、政策秘書から国会議員になって大きく変わったことはありますか?


大きく変わったことは、サラリーマンから自営業になったことだね。
今までは人に仕事を割り振られてそれをやれば良かったんだけど、国会議員は自分で問題設定をしなければいけないから。
選挙の時は肉体的な辛さはあったけど、『選挙に受かる』という明確な目標があったから、「どうなるか…」と不安はあったけど精神的には楽だった。
だから国会議員になって一番難しいと感じたことは『自分で問題を設定すること』だね。
もちろん日本全体を良くしたいという漠たる思いと、それに向けて自分的には色々な目標があるけど、それは『リアルな目標』ではないから。
俺はリアルな目標を持っていたほうが精神的にも楽だし、頑張れるタイプの人間だから。
というか、誰でもそうだと思うけど。明確な目標が設定できないというのは、正直言って今の悩みだし課題。『自営業』の場合はそれが大変だと思うね。



そうですか。では最後に。高山議員にとって『Japan Produce』とは何ですか?


『修身斉家治国平天下』が一番好きな言葉。
「自分を律して家庭が上手くいく。そういう人が国が修めて、天下を修める事ができる。」ということだと思うよ。
だから、俺は自分の友達や目に見える範囲に人たちを凄く大事にするし、それが出来ないと目に見えない人たちのことを考えることが出来なくなると思う。
国会議員の作る法律は、目に見えない多数の人に影響を与えるんだから。
そして、日本を創るのは結局『個人』。
『日本』って言ってもそれは観念的・抽象的な物で、リアルなものとして日本はないと思うから。
それよりも具体的に個人がよくなることが日本が良くなる事に繋がることだと思うよ。



編集後記


高山議員は、国会議員になられても「俺、なにも変わってないだろ!?」と今までと同じく気さくに接して下さいます。 また、さりげなくインタビューのコツを教えて下さいました。
本当にご協力ありがとうございました!勉強し直します!



(インタビュー:2004-05)


1970 東京都に生まれる。
1990明治大学法学部入学。大学卒業後、司法試験勉強・中小企業勤務など5年間の社会勉強。
1999 国会議員政策担当秘書として勤務。幅広く議員を補佐。
2002 インターナショナルビジタープログラム日本代表に選出される。
2003 自由党埼玉県第15総支部長に就任。その後、民由合併により民主党埼玉県第15総支部長に就任。11月の総選挙で初当選を果たす。現在、経済産業委員会・イラク支援特別委員会
2005 44回衆議院議員選挙において比例区北関東ブロック当選。当選2期目。
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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