ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.046 [議会議員] 林家 とんでん平 札幌市議会議員 「みんな一緒の場所で笑っていただきたい」

札幌市議会議員

民主党 林家 とんでん平
政党 民主党
選挙区 札幌市豊平区
初当選年 2003年
当選回数 2回(市議選2回)
公式サイト

 

それでは最初に、落語家を志したきっかけを教えてください。


学生時代は、落語家になるとは夢にも思わなかったですね。きっかけは昭和53年、札幌市民会館で林家三平師匠の落語をはじめて見たことです。私はそれまで落語と漫才の違いさえ知らなかったんですが、その三平さんが入ってきた瞬間、会場がワーッと沸いて「これはなんだろう!?」と思いました。それでやっぱりその落語は面白くて、私はそれをたった一回聞いただけで落語家になろうと思いました。



運命の出会いってやつですね。


そうですね。それで、弟子にしてもらいたい自分の気持ちを形にしたいと思って、自分の住んでいた小樽から東京まで2000キロをリヤカーで38日かけて歩きました。



落語の修業とはどのようなものだったんですか?


落語家には4段階の位があって、見習い、前座、二つ目、真打なんです。 最初は内弟子として雑用をやるんですけど、その雑用を行うなかですこしづつ話を教えてもらうんです。師匠はそのがんばりを見てその人間を判断して、初めてそこで「教えてあげようかな」となるんですよ。



厳しいんですね。


ええ、落語は100年前からの修業というやつでして、「酒・タバコ・女」はだめ、弟子は皆が寝てから話の稽古をするんです。まあようするにすごい縦の関係でね、芸能界だから(師匠の家には)毎日夜遅く、12時過ぎても人が遊びにきたりするわけで、朝は6時起きで3時間しか寝れないものでしたね。



その厳しい修行の中で、今の自分に生かされているという部分はありますか?


いや、もうこのときの修行が自分のベースですね。例えば、先輩を敬う、後輩を大事にする、といった能力が身についたし、落語は人を笑わせる商売なんだけど、人に不快感を与えないこと、たとえば言葉遣いとかそういったものを鍛錬されるんです。議員をやっていて演説をしようとすると、どんな話をしようか?というのをもちろん用意するんだけど、やっぱり自分は聞いてる人の反応をすごく気にするんですね。
あとは、議員はリレートークするときもあるけど、その時も「前の人と同じ話をしても仕方が無い」と思うから、違う話をしようと思ってしまいます。落語家は楽屋にはネタ帳があって、次にしゃべる人がそのネタ帳を見て違う話をしないように工夫しているんですよ。



なるほど、では三平師匠のどこを尊敬されてましたか?


この人はすごい人だなー、と思ったのは、常に「一番になれ、勝て」と言われていたこと。舞台は戦場で、これに勝たなきゃいけない、舞台に勝つってのは例えば、「うけさせる」という意味でお客さんに勝たなきゃだめと、こういうことを言われ続けました。落語家は楽屋で緊張してないんじゃないかと思われがちなんだけど、名人と言われる人でも、楽屋でモソモソ自分の練習をしています。名人と呼ばれる人がですよ?(笑)これじゃたちうちできるわけがないんですが、でもやっぱり我々は「その人を目指さなきゃいけない、この人よりうけたい」と思うから余計緊張します。



三平師匠が他界されたあと、また落語行脚にでかけたんですね。


そうですね、でかけたのは、ちょうどその時落語家として二つ目の位になったということで、それまで支えてくださった方々への感謝の気持ちからです。まあ行けと言ったのは師匠のおかみさんだったんですけどね、実は小樽から東京は1000キロだったんだけど、その時歩いた東京から沖縄は2000キロもあって、さすがに「ええ!?」と思いました(笑)。でも、おかみさんから「(前のと合わせて)ちょうど日本縦断になるじゃない」と言われて、それで、「おおなるほど、じゃ歩いてみよう」と思いました。



素朴な疑問なんですが、行脚中はどのように寝泊りされていたんですか?


小樽から東京に行くときはテントだったんだけど、その次は寝る場所を引っ張って行きたいなと思って、東京から沖縄はリヤカーの中に泊まれるよう改造したんです。でんでん虫みたいなもんですね(笑)。



わかりやすいですね(笑)。あれ、そして今度は4000キロの旅に出られたんですね?これはどうしてですか?


2000キロのとき、たまたまお客さんの中に聴覚障害の方がいたんですよ。私は最初その人に聴覚障害があると思わなくて、その人は黙って見てるだけで最後まで笑わなかったんです。おかしいなあと思い、「なんで?」と他の人に聞いたら、その人は聴覚障害者の方だったということで、「あーなるほど」と合点がいきました。それで、障害のある方にも「みんな一緒の場所で笑っていただきたい」と思って手話を習い、その後手話落語行脚に出たんです。



市議に挑戦しようと思ったきっかけは?


私は豊平区から出ているんですけど、私が出馬したとき選挙区内は候補者はちょうど定員数くらいしかおらず無風状態だった。これは民主主義的におかしいなー、そして、出て当選できたらいいな、と思って立候補しました。あとは、やはり政治の場を借りて自分の思いを人に伝えたかったですね。手話落語行脚のあと、私が真打に昇格したあたりから、息子に障害が出始めて、いまは動けない状態の障害者になっています。
それで、車椅子を押したりすることが日常だったんです。それに、以前から手話落語をやっていたせいもあって、福祉ということろに当然目が行くわけです。私のキャッチコピーも、「福祉を開拓とんでん平」です。



そうだったんですか。そういえば先日、議会で手話を使って質問されたそうですが、あれはなぜそうされたんですか?


私が落語家でもあるように、議員には色んな人がいる。もちろんやることは政治であるべきだけど、自分は自分のやり方で議会に出て、みなさんの注目を集めるべきなんです。
たとえば、プロレスラーの議員さんでも、プロレスラーとして議会でできることがありますよね。そして、色んな障害を持った人も来るべきだし、来れる場所であってほしいと思ったんですよ。



先ほどの、「一緒の場所で笑っていただきたい」がここでも現れている、ってことですね。


その通りです。



議員は、札幌や北海道をどう変えていきたいですか?


みなさんが政治に注目してほしいと思う。世の中にはいろんな問題があると思うんだけど、これは絶対、政治がよくならないといけない、変わらないんです。だから、参加してほしい。まずは政治に参加してもらって、それから北海道を豊かにしていきたい。「自分たちが言っても何も変わらない」ではなくて、積極的に参加して欲しい。



林家議員から若者に一言いただきたいのですが


出会いを大切にしてほしい。すばらしいものだし、人生が変わるものだし、それを大切にしてほしいと思う。



では、最後に謎かけをひとつ!


そうですね・・・「代表質問」とかけまして、「気に入ったスーツ」ととく。



その心は?


いちど着(来)たらまた着(来)たくなる!



なるほど(笑)。ぜひ今後も、市議会にたくさんの人を呼ぶ工夫をなさってください。


どうも。



編集後記


今回のインタビュアーの自分が林家議員に初めてお会いしたのは、自分が他の議員さんの事務所にインターンに行っていたとき、林家議員の出陣式に同席させていただいた以来でした。
当時、選挙カーでなくひとりリヤカーを引いて選挙区内を廻られる林家議員を見て、「この人は当選して議員になってもこのまま純粋にがんばる人でいてほしいなぁ」と思っていたものです。
1年3ヶ月振りにお会いした議員は、なんと自分のことを覚えてくれていました。あの時と変わらない人懐っこい笑みと、落語家らしくやはり軽妙なトークに思わず自分は弟子入り志願したくなりました(笑)。



(インタビュー:2004-06)


1952.4.13 北海道小樽市に生まれる。
1978 師匠林家三平の笑いの芸と迫力を目の当たりにし、感動して入門を決意。
1979 小樽から東京までリヤカーを引きながら38日間1,000kmの入門の旅で上京、師匠の門を叩く。
1980.8 林家三平の最後の弟子となる。
1980.9.20 林家三平師匠他界、林家こん平の弟子となる。
1986.7 東京~沖縄2,000km、日本縦断炉やカー落語行脚に出発。約4ヵ月後達成。
1990 手話落語を手がける。
1992.4 本州一周140日間4,000kmリヤカー手話落語行脚を決行。94ヵ所で披露。
1996 真打昇進。
1998.11 国外では初の手話落語と文化交流をデンマークの、ろうあ学校等で行う。
1998.11 中国天津市において手話落語と文化交流行う。
1999.5 世界エンターテナーが凌を競うチポリ公園(デンマーク)からの依頼で、日本人では初の国際手話を交えて手話落語公演を行う。
1999.7 ロシア(サハリン)にて、小中高生と“青少年サハリン「体験・友情の船」”に同行し、国際手話を交えて手話落語講演を行う。
1999.11 中国天津市手話落語公演。
2003.4.13 札幌市議会議員初当選。
2007.4 札幌市議会議員2期目当選。
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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