ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.048 [議会議員] 永田 雅紀 広島市議会議員 「志あれば道拓く」

広島市議会議員

自民党 永田 雅紀
政党 自民党
選挙区 広島市中区
初当選年 1997年
当選回数 4回(市議選4回)
公式サイト

 

本日はよろしくお願いします。


はい、宜しくお願いします。



それでは永田議員は代々政治家の家庭にお生まれでありながら、大学は理系に進学、民間企業に16年勤務という道を経て議員になられたわけですが、いつ頃、またどうして議員になろうと思われたのですか?


小さい頃から、祖父や父が地方議員ということで、周囲からもそういう目で見られた。反対会派の議員の子供とも何となく距離があったり。選挙があるたびに「さぁ、次はお前も」っていう空気もあった。
もっといたずらなんかもしたかったんだけどね(笑)
でも大学は理系に進学して、卒業して東京の民間企業に就職した。現場でヘルメット被って、怒鳴られたりしていた。でも、やっぱり現場にいるとなかなか自分のやりたいようには出来ないわけ。だから僕は上司に言って、企画のできる部署にまわしてもらったんだ。
僕は追い込まれて、崖っぷちに立たされないと力を発揮しない人間だから、上司には「1回チャンスをもらって、ダメだったら元の部署に戻してくれて構わない。」って言った。企画を進めていく上で正直なところしんどかったときもあったね。自分の人格まで否定されるようなことを言われたりもした。
でも、その企画が成功したとき、上司がいる前で「永田さんよくやったねぇ」って言ってもらえたんだ。見ている人は見ているんだと思って、そのときは涙が出るほど嬉しかったね。
そうやって僕が東京で仕事をしている時に親父が病に倒れた。そのとき、やっぱり議員をやる運命なのかなって思ったんだよ。祖父が「広島に戻ってきて、永田の家を守れ」って言ってるのかなって。それで戻って議員になった。



議員になられる前の議員に対するイメージと、なられてからの現実と違う点はありましたか?


そうだね。やはり祖父と父をみてきているから。特に祖父の時代とかは「家の前に水溜りできとんじゃけえ直してくれんかね」っていうのにも、一つ一つ対応していた。でも今は時代が違うから。そういうことも大切だけど、やっぱりある程度仕事は分けなきゃいけないと思う。
だから僕は、地方議員は「選挙活動3割、議会活動7割」にしたらいいと思うんだ。
議会活動こそが政治だし、勉強しなきゃいけないから議員自身が磨かれる。「これをしてあげるから一票頂戴ね」なんて議員はもういらない。本当にその地域のためを考えている議員が今、必要とされていると思うよ。当たり前なんだけどね。
住民にもそのような人を選挙で選ぶ力が必要とされているんだ。選挙前だけ公約をかかげて「私に票をくれたらこういう事を達成します」っていう議員が通るっていう現実もあるんだ。強い地盤を持っているというだけで通ったりね。選挙に通っちゃえば何もしない、考えないっていう議員もいる。議員はもっと勉強しなきゃいけないね。



議員になられてから見えてきた、広島の抱える問題点はありますか?また、日本の中でこれから広島はどういう役割を果たしていくべきだとお考えですか?


今になって多くの人が気づいてきたと思うけど、広島という都市はすごく閉鎖的だね。
広島の中で納まってしまおうとしている。
中国地方で中心的な都市といえば広島というのは今も昔も変わらないんだ。でも公共事業に補助金出るでしょ?だから、県単位で公共事業の取り合いが起きたりしてね。無駄に空港とか港が乱立されてしまったんだ。つまり都市機能が分散してしまったんだよね。
今、分散された都市機能を広島に集約しなくてはいけないと思う。広島への交通のネットワークをきちんと整備して、他県の人が広島に1時間程度で来れちゃうようにしたらいいんだよ。そうすれば無駄な空港や港はいらない。そういう意味では僕は道州制なんかすごくいいと思うよ。都道府県制はもともと生活の便に合わせて作られたものじゃないからね。あと、僕は燃料電池の普及を主張しているんだ。
(※燃料電池・・・燃料となる水素と酸素を化学反応させて電気を取り出す装置)大手企業じゃ活発な取り組みが始まっていて、市場規模からいってもすごく将来性のあるものなんだ。広島が環境先進都市として燃料電池を公共事業に取り入れて、民間と公共との共同開発が進めていければと思っているよ。



それは、広島はこれから環境先進都市として発展していくべきだということですか?


発展というのとはちょっと違うかな。
広島の過去の悲惨な歴史を忘れちゃいけないし、これからも大切にしていかなくてはいけないと思う。そこで平和都市広島として何ができるかを考えていかなくてはいけないと思うんだよね。



「平和」という言葉に色んな意味を込めていらっしゃるんですね。


そうだね。「平和=戦争のない」という意味だけじゃなくて、色んな意味を持たせることができると思う。その一つが「住みよい」っていうことだと思う。だから環境面なんかすごく大切だと思うよ。



では、その広島において永田議員はこれからどのような役割を果たしていこうとお考えですか?


難しい質問だね。実際今の地方議員ができることって限られてるからね。国会議員とかと違って年金とかの面でも、地方議員はたいした保障はないんだ。パソコンを買う経費もないし、安月給だから政策秘書なんて雇えるわけもない。そんな中で何が出来るかって、難しい話だよね(笑)。
だから,新しい人材も出てきにくい。働きながら議員になれるなんてシステムができると一番いいと思うんだ。一部理解を示してくれている企業もあるんだけどね。
そして、こんな地方議員の現状をどれだけの市民が知っているかって問題もあるね。調査活動をしてみても、政治に対する関心が低すぎると思うんだ。選挙前だけ「頑張ってね」なんていう人が多い。大きな道路の建設計画をすすめていくときにも、市民から大きな反対を受けたんだ。僕も市民が反対する理由は理解できた。周辺の環境が悪くなるとかデメリットも理解できた。でも、それ以上に地域のためになる計画だって確信していた。だからそのことを理解してほしくて説明会も開いたよ。普通、そこまでやんないんだけどね(笑)。
もっと、市民一人一人に広島で生活していく上での義務と、地方議員の現状を知っていってもらわなくちゃいけないと思うんだ。
議員に対する個人の意識を根本から変えていく必要がある。



永田議員は「地域活性化には次代を担う人材・リーダー作りが必要」とおっしゃっておられますが、永田議員の思われるリーダーとはどのような人間ですか?


権利ばかり主張するリーダーはもう時代遅れだね。義務をしっかり理解していて、人の意見をきちんと聞けるようなリーダーが求められていると思うよ。でも、なんだか今の若い人には素直に謝れる人が少ない気がするね。
もちろん、いい人はたくさんいると思うよ。昔の人間は遠慮深い人が多かったけど、今の子は臆せずどんどん主張する。この点はすばらしいと思うよ。ちなみに僕の祖父は「俺についてこい!」的な人間だったけど、親父は逆に回りと調和していく様な人間だったね。
「もっと自分の言いたいこと言ったらいいのに。」なんてもどかしいときもあったけど、今はすごい人だったなって思えるよ。
色んな人間がいるからね。でも根本はそういうことだね。



永田議員は人材育成問題で子育てについても一つ提案されていますよね?


そうだね。企業の日報とか月報に子育てについての欄を設けたらいいと思うんだけどね。
やっぱり企業といえば男性社員がまだまだ多いじゃない?子育て欄を設けることで、男性が子育てについて考える機会が増える。市議会にしたってそうだよ。子育ての問題を、女性じゃなくて、男性が考えないといけない時代なんだよ。そうしなきゃ前に進まないと思う。



では最後に、これからの日本・広島を担っていく若者にメッセージをどうぞ。


「権利と義務」、両方を行使する人になってください。
そして何をするにしても目的をもって持って行動できる人間になってください。
一志あれば道拓く。みなさんの未来を期待しています。



(インタビュー:2004-07)


1955.8.19 広島県に生まれる。
1978.3 崇徳高校卒業。
1978 日本大学理工学部卒業。約16年間民間会社で勤務。
1997 16年間勤めた民間企業を退社。
1997 広島市議会議員選挙初当選。
2000 広島市議会議員選挙2期目当選。
2003 広島市議会議員選挙3期目当選。
2007 広島市議会議員選挙4期目当選。
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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