ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.062 [議会議員] 山口 かずさ 札幌市議会議員 「私が感じていた、政治家は遠い存在っていうイメージを変えなきゃ」

札幌市議会議員

札幌市議会 山口 かずさ
政党 民主党
選挙区 札幌市白石区
初当選年 2007年
当選回数 1回(市議選1回)
公式サイト

 

“17th議員インターンシップ生”であり、2007年4月より“現役大学生議員”となった、山口かずさ議員。自身のブログで語られていたこの言葉は、ドットジェイピーのキャッチフレーズである「政治家はテレビの中の存在ですか?」という言葉の一つの答えではないでしょうか? 議員インターンシップを終えた次の年には立候補をした最速の議員、山口かずさ議員。ドットジェイピーの議員インターンシップで何を思い、何を考え選挙に立候補したのか。山口議員の考える「Japan Producer」についてのインタビューです。



議員インターンシップを選んだ理由は?


私は高卒で就職して、仕事にやりがいを持って働いていました。でも続けるうちに、以前は1日かかっていた仕事が、半日で出来るようになって、その暇な時間に「自分の存在意義ってなんだろう?」と考え始めたんです。答えを見つけるために、オーストラリアでワーキングホリデー(※1)に参加したり、帰国して派遣社員として働いたり、ちょっと浮いた生活をしていました。その延長上として、26歳になって大学へ入りました。
その時に出会ったのが議員インターンシップでした。たまたま掲示板に張り出されていたポスターを見て、インターンシップ=企業インターンシップだと思っていた私は、すでに普通の企業には就職していたこともあり、議員インターンシップってどんなのだろう?と興味を持ち始めましたのキッカケですね。本当は3年前の1年生の時に議員インターンをしようと思っていたのですが都合が悪くて出来ず、2年生の時も選考会に出られず、やっと去年の夏休みに参加することができました(笑)今思えば、議員インターンシップに参加していなかったら、選挙に出馬しようとも考えませんでし、私の人生に大きな転機をもたらしたのは間違いないですね。
(※1)特に青少年に対し、他国で働きながら休暇を楽しむのを認める制度。
通常、観光ビザでの労働は許されないが、青少年が他国の理解を深めることを目的として特別に許可するもの。英連邦諸国の間で始まった制度だが、日本でも取り入れられ、2004年現在オーストラリア・ニュージーランド・カナダ・韓国・フランス・イギリス・ドイツとの間で実施されている。



選挙へ立候補したキッカケは?


若い人が政治に興味を持ってほしい、と考えていたからです。先ほども言いましたが、私は一度就職してるんですね。なので、実際に社会に出て活動をしていました。だけど、何も知らないまま高校を卒業し、そのまま企業の一社員として埋没していくと、私たちが日常過ごしている社会の本当の姿が見えてこない、というのは強く感じました。そういう意味で、私は議員インターンシップに出会えたことは、ある意味運が非常に良かったと思っています。社会の根幹はやはり政治ですし、その政治に関わっている人たちが本当に魅力ある人たちばかりだったのも、より若い人が政治に興味を持って欲しい、と強く思う一因になっていました。
議員インターンシップで私を受け入れて下さったのが荒井議員で、荒井議員に出会っていなければ、きっと出馬なんてしていなかったと思います。だから、本当に去年の夏の議員インターンシップがキッカケでしたね。今、議員になって、「私みたいな若者にも可能性はあるんだよ!」と伝えたいです。



インターン内容は?


自転車で自分の地区の戸別訪問やお辞儀の練習、話し方などを秘書の方に教えてもらいました。訪問先や地域の方々には嫌な顔されることもあったし、聞いてくれない人もいました。だからこそ、その経験のお陰で、選挙の時に「自分の後援会に入ってください」とお願いをしに行く時、打たれ強くなっていました(笑)
地元のことをより知ることができたり、社会の中での人と人との繋がりを意識することができるなど、一度社会に出ている私でさえも、本当に多くのことを学ぶことができました。政治を対象としている、議員インターンシップの大きな魅力の一つだと思います。



選挙期間中辛かった事は?


たくさんありましたね。その中でも一番辛かったのは、人前で話すのが苦手ということです。立候補している議員が何をしてくれるのか?何をしたいのか?投票する人にとって、そういう所をしっかり見ているんですよ。自分のやりたいことは何か?を話すのが苦手だったので、それには苦労しました。
あと、いわゆるジバン・カバン・カンバンもなく、1人の大学生として立候補したので、終盤まで自分の事務所の人でさえ、私が当選するなんて思ってもいませんでした。それでも、後援会の方々が最後まで私を支えてくださったことによって、辛い選挙を最高の形で終わることができたのだと思います。



当選へ結びついた、決め手とはなんでしょうか?


若い人たちが共感してくれたこと、高齢者の方々の支援、だと思います。若い人は街頭演説をしていると話しかけてきてくれました。今回、私の選挙区では投票率が上がったのです。それも誘因ですね。あと、高齢者の方々には意外と「今こそ、若い人が変えていかなくちゃダメだ」という期待をしてもらっていたので、その思いに応えられるようにと思っていました。1ヵ月半、2箇所で毎日街頭演説を行い、人前で話すのが苦手ではありながらも、私の思いをしっかり伝えることができたのが、一番の要因かもしれません。



山口かずささんにとってのJapan Producerとは?


人をひきつける人。人を動かす力を持っている人、だと思います。というのは動かなきゃ変えられないものがあると感じるからです。「今時の若者はだめだ!」という大人の声を最近よく耳にします。しかし、私はその“大人”である30歳という年齢で現在、大学へ通っています。その生活の中で、しっかり学校で勉強している人、親に頼らずアルバイトと学校を両立させ自ら稼いだお金で生活している人、熱い思いがあっても伝えられない人、そんな沢山の若者に出逢いました。また、学歴社会とも言われ、諸事情によりフリーターとなった若者と学生との間に様々な面で格差があると感じます。そういう若者でも一生懸命何かに取り組み、自分の可能性に気付く事の出来る社会を作りたくて、私は動かすべきものに、政治を選びました。当選がスタートとなって、私もこれからJapan Producerとなれるよう努めていければと考えています。



インタビュー後談


文章だけで伝わる熱い気持ち!皆様いかがでしたか?記事の中で何度も出てくる「若い人」という言葉、その言葉の意味、思いをあなた自身で解釈してみてください。それが「Japan Producer」としての、大きな第一歩になるのですから。



(インタビュー:2007-06)


1976.5.27 北海道に生まれる
1995 19歳で積水化成品工業(株)に就職、その後オーストラリアに語学留学。日本に戻り再就職したあと、学業に専念するため小樽商科大学に入学。
2006. 夏衆議院議員荒井さとし事務所で議員インターンシップを経験。 私たちの声を市政に届けなければ、と政治に目覚める。
2007. 4白石区選出の札幌市議会議員に初当選。
2008.3 大学卒業。
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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