ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.063 [OB・OG] 小林 真太郎 アイカタ株式会社取締役 「まだスタートラインに立ったに過ぎない」

アイカタ株式会社取締役

アイカタ株式会社 小林 真太郎

 

議員インターンシップに参加したきっかけは?


僕が議員インターンシップに参加したのは、塾の生徒に言われたひとことがきっかけでした。 当時、僕は塾の講師のアルバイトをしていて、中学生に社会を教えていました。ある日の授業で公民分野の「国会の機能と国民の政治参加について」を教えていると、一人の女子生徒がこう言ったんです。
「先生が言ってることって、テレビが言ってるのとちがうね。たしかに教科書には先生の言うとおりのことが書いてあるけど、実際はそうじゃないじゃん。」それまでの僕は政治家と会ったこともなければ、具体的にどのような活動をしているのかなどまったく知りませんでした。
結局その日の授業では、彼女が満足するような回答を出すことはできませんでした。この日以降、僕はなんとかしてこの生徒の疑問に答えてやることはできないかと考えるようになりました。
そんなある日、大学のキャンパスで議員インターンシップのビラを見つけました。
まさに自分が求めていたものだったので、「これだ!」と思い参加することに決めました。今思えば、バイト先の生徒のひとことで僕のその後の学生生活は大きく変わりました。



実際のインターンシップではどのようなことをされましたか?


僕の受け入れ先だったのは、参議院議員の吉田博美さん。
当時、吉田議員はインターン生の受け入れが初めてで、吉田議員もインターン生もインターンシップというものをどうやって進めればよいのか分からず、お互いに「どうしようか?」という感じでしたね。そこで僕たちインターン生と吉田議員は、まずはじめに何を目的にするか決めようということになりました。吉田議員はなるべくインターン生の要望に沿った内容にしたいと考えていて、「どういうことをしたい?」と訊いてきてくれました。僕はそこで塾の授業で生徒に言われたことを話して、政治家が普段何をやっているか見たい、とにかく一日中行動を共にさせてほしい。人と会う時も、電話をかけるとき、会議中も、ずっとそばにいたい、ということを吉田議員にお願いしました。
すると吉田議員は「わかった」と言って、とにかく24時間ひたすら吉田議員のそばにいる、というインターンになりました。常に一緒にいると、抽象的なイメージではなく、政治家の仕事が具体的に分かりました。そうしているうちに、いい意味で政治家というもののイメージが崩されましたね。
まず、インターンを始める前に思っていたダークなイメージは消えました。一生懸命仕事をしているし、国のことを真剣に考えているな、と感じました。また吉田議員は理想を求めてやまない方ですが、その一方で現実とのギャップに苦しんでいたり、自分が所属する政党というものにつきまとうしがらみもあったりして、リアルなひとりの人間としての政治家を肌で感じることができたと思います。



自分にとってインターンを通して成長したことは?


自分のアタマで考えるようになったのが、インターンをした前後での最大の違いだと思います。テレビや新聞が言っていることをそのまま鵜呑みにするのではなく、「本当にそうなのか?」と考えたり、その事件の裏側にある目には見えない背景だったり、そういうことについて考えたりするようになりました。



広告会社に就職した理由はどういったものでしょうか?


広告そのものに興味を持ったのは、ドットジェイピーの先輩スタッフである吉澤さんの影響ですね。吉澤さんは学生時代、ドットジェイピーのパンフレットのデザインや制作をされていた方で、彼から広告の話を聞いて、おもしろそうだな、と。職種はぜったい営業をやろうと考えていたので、証券会社か迷った末、代理店の営業になりました。特定多数のひとに、託された想いを伝える、という広告の仕事がしたかったことと、廣告社がとても自分のことを理解してくれたので、ここならやっていけると思い入社しました。



学生時代と社会人として違いはありますか?


大学生と社会人では、当然環境面での差はありますが、考え方というか、精神的な人間性の部分では、その延長線上にあると思います。
僕はドットジェイピーのスタッフもやらせていただいて、「議員インターンシッププロモーション」というイベントのプロジェクトマネジャーも務めさせていただいたのですが、大きな企画を立ち上げる大変さ、みんなでやっていく楽しさ、終わった後の達成感は、僕にとって本当に貴重な体験で、何よりみなさんの記憶に少しでも残るものを提供させてもらえたことは、ありがたかったなと思っています。



今年の4月に起業されたましたが、どうして起業しようと思ったのですか?


廣告社を2月末に退職し、4月に同じ会社の先輩だった人と、2人で株会社を設立しました。この「アイカタ株式会社」は、保育事業、保育園の経営と運営を目的としています。
「待機児童」といって、保育園に入所を希望しながら定員がいっぱいで入所待ちをしている児童が全国に2万人もいるんですね。特に都市部に多い。
少子化のため子どもの数自体は減少しているのですが、女性の就業率が上がり、保育園が不足しているんです。
今後、2007年問題などで日本は労働力が下がっていく傾向にあるので、そういった意味でも女性の社会進出は必要なのですが、とりわけ日本は、主要先進国の中でも女性の子育て支援、仕事との両立支援が遅れています。働きながらも子育てができる環境整備、働けば働くほど子どもが生めるような社会づくりが必要です。そんな社会を一日でもはやくつくるために、少しでもできることはないかと考え、アイカタ株式会社を設立しました。



今はどのようなことをされているのですか?


新しい保育園づくりに必要な「人・物・金・知恵」を集めているところです。保育園には保育士の他にも。看護師や栄養士といった専門のスタッフが必要です。建物や敷地も必要だし、資金も当然必要。それから保育園は許認可事業なので、勝手に始めることはできませんから、厚生労働省や東京都の担当者と打ち合わせをしたり、保育園事業に関わる法令の研究、市場や競合他社の動向の調査、保育そのものの勉強をしています。



大学生へのメッセージ


とにかく失敗して下さい。最近の大学生の皆さんは優秀なので、とかく失敗しないように、傷づかないように、間違えないようにと行動ているように感じます。
リスクを負わないようにしているのでしょうが、それを長く続けていると、リスクをテイクしなかったことそれ自体がリスクになってしまいます。だからリスクは早めに取る方が、僕はいいと思っています。失敗の中で、自分が本当に欲しいものは何か、自分はどんな環境を望んでいるのか、自分自身と向きあって真剣に考えて欲しいと思います。



小林真太郎さんにとってのJapan Producerとは?


自分が「やる」といったことを、必ずやる人。
明日のことは誰にもわかりません。
「明日はこうなる」と予測だけする人ではなく、「おれはこうする」と言って、それを最後まで責任を持ってやりきる人。それがJapan Producerだと思います。



(インタビュー:2007-06)


1982.12.7 長野県に生まれる。
2002.春 参議院議員吉田博美事務所で議員インターンシップを経験。中央大学法学部卒業後、廣告社(株)に入社。
2007.2 退職後、同年4月にアイカタ株式会社を設立。現在は同社の取締役として、働く女性のための保育園設立にむけて活動中。
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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