ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.077 [首長] 井崎 義治 流山市長 「まずはいろんなことに真剣に取り組んでみることが大事」

市長

流山市長 井崎 義治
所属 流山市長
選挙区 千葉県流山市
公式サイト

 

井崎市長が「流山市長になろう」と思われたきっかけを教えてください。


アメリカの大学院を卒業してから、そのまま米国で都市計画・地域計画・環境アセスメントのコンサルタントをしていました。その後、日本でも同じ分野で仕事が出来るということで、帰国を決めました。その時、地域計画・環境アセスメントに携わる人間として、どこに住むかは沽券に係わるので、こだわりがありました。
将来性がある街、民度の高い街という観点から首都圏内の街を調査し、緩やかな起伏、豊かな緑、しかも将来性が高いということで、流山を選び住みました。
その後、都市政策研究の仕事上、各都市の財政や行政サービス情報を日常的にみている中で、流山の財政が急速に悪化し、行政サービスの各種ランキングも全国で下の方にどんどん落ちていきました。街づくりも場当たり的で流山の可能性を潰すような計画が始まりました。住環境も良く将来の可能性を信じて選び住んだ街に対し、「これはまずい」と思い、「この街の財政も街づくりも手遅れになる前に建直さなければならない」との思いを強くし、自分がやるしかないと一念発起し立候補しました。
現在は
①1円まで活かす市政
②可能性を引出すまちづくり
③市民に役立つ市役所(行政)構築
の3つを柱に市政経営を進めています。



実際に市長となられて、「市長としてのやりがい」を感じる瞬間は、どのような時でしょうか?


市の深刻な問題、政治が解決しなければいけない問題に解決策を提示して、市民の方に喜んで頂いた時、また賛成派と反対派がいて対立しているような複雑な問題に対し、その両者の意見を伺いながら、話し合いながら合理的な妥協点を模索し、次への一歩が踏み出せた時は本当に嬉しいです。
苦労はありますが、困難な問題によりよい解決策を見出し、一歩前進出来るようになった時は、本当に疲れが吹っ飛びますね。
その時の感情は、会社から帰ってきて、子供の笑顔を見た時と似ていますね。



流山市は情報公開度ランキング日本一と伺っております。さらに井崎市長ご自身もHPやtwitter等で情報発信されていらっしゃいます。井崎市長が情報発信に積極的に取り組もうと思われたきっかけを教えてください。


流山市の主権者である市民が自治を推進するために、市民の知恵と力を活かす仕組みや行政からの協働の仕組みを作る必要があります。その基礎・土台は行政の情報を市民に発信し、共有することが不可欠です。
3.11以後、災害救援情報や、市民に緊急に必要情報、例えば東電の計画停電、台風などの災害時に保育園や幼稚園の情報などを、市役所が閉まっている時間帯にも発信していました。
現在は、市のイベント情報や市政トピックなどもお知らせしています。
流山市政のことを、「市長として発信していくツールが何かないか」と探していた時に、ある議員からtwitterを紹介して頂いたのが切っ掛けです。



井崎市長のご趣味についてお聞かせください。また休日の過ごし方など教えていただけましたら幸いです。


まちづくりに関しての書籍を読んだり、調べたりすることです。
子供の頃から地域が変化することや、今後どのようになっていくかを予測したり、調べたりするのが好きでした。
社会人になってからは、地域計画をプロデュースする仕事をしていたので、今は、流山を良質な街として全国区にするための仕掛けを考えるのが、私の休日の楽しみです。



井崎市長の流山市内で一押しのスポットを教えてください。


あえて一つ上げるとすると、利根運河ですね。この地域の原風景が残っている場所で、この運河はオランダ人技師が設計したこともあり、曲線でとても美しい風景が首都圏のオアシスになっています。
ちなみに、5年後は流山セントラルパーク駅東口は、駅名にふさわしいモダンな街に、流山本町はツーリズムによる再活性化で、江戸情緒の漂う個性的な街になっていると思います。5年後に確認に来てみてください。



井崎市長が、議員インターンシップを受け入れようと思われたきっかけを教えてください。


私が大学生の時、専門書を読み漁り結構勉強しました。でも、それに加えて、ドットジェイピーが行なっているような社会と関わる取り組みがあれば、自分の知見がもっと広がったと思います。
自分自身も参加してみたかったと思ったからです。若い方が、とても良いプログラムを提供していらっしゃるので、「学生さんと市長としての私が関わってみたらとても、私にも良い経験になるのではないか」と思い、受け入れることにしました。



井崎市長にとってのジャパンプロデューサーとは、どのような人ですか?


Japan Producerになる人は、必ずしも能力が高い人という理由だけではなく、むしろ自分の夢や志の実現にむかって、自分に枠をはめない人だと思います。
自分が良くしたいと思っていることに関して本気で挑戦し続ける人だと思います。また自分の利益のためだけではなく、人のため、社会のために役立とうと挑戦し続ける人だと思います。
今、これを読んでいる皆さんには、是非、そのようなJapan Producerとなって、社会のため、日本のため、世界の為になるよう頑張って挑戦して欲しいと思います。



学生に向けて一言メッセージをお願いします。


固定概念にこだわらず、人からも、自分でも、自分の能力に対し、また努力することに枠をはめないでください。
まずはいろんなことに真剣に取り組んでみることが大事だと思います。そうして努力していく過程で、自分も周りの人も気づかなかった志や能力が見つかると思います。
まずは自分の興味のあることをとことん突き詰めてやってみてください。



(インタビュー:2011-11-18)


1981年 Jefferson Associates Inc.Quadrant Consulting Inc.
1988年 住信基礎研究所
1991年 エース総合研究所(現・(株)エンタテイメントビジネス総合研究所
2002年 英国国立ウェールズ大学大学院環境プログラム教授
(The University of Wales validatedPostgraduated Distance Learning Environmental Programme in Japan)
2003年04月 流山市長に初当選
2007年04月 同再選
2011年04月 同3選
※プロフィールはインタビュー時のものです。


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