ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.084 [首長] 清水 勇人 さいたま市長 「世界を変えるには日本から。日本を変えるにはまちづくりから。まちづくりにはまず自分を変える。批判だけでなく、創造していこう。」

市長

さいたま市長 清水 勇人
所属 さいたま市長
選挙区 埼玉県さいたま市
公式サイト

 

市長になろうと思われたきっかけについて教えてください。


もともと私が政治家になろうと思ったきっかけは、高校3年の時に、ベトナム戦争の取材に行ったというカメラマンの方とお会いしたことです。その方のお話を聞いて、国際政治や戦争や飢餓をなくす、といったことに関心を持ちました。

その後大学を出て松下政経塾に入りました。その時はまだ松下幸之助氏がご健在で、松下氏は「世界を変えるにはまず日本を、日本を変えるにはまず自分たちの町を、その前にはまず自分を変えなければならない」という考えを持たれていました。
政経塾で私も研修を受けている中、「戦争をなくすには理想の町を作ろう、みんながいきいきと暮らせるさいたま市を作ろう、それが究極的には戦争や飢えをなくすことにつながる。」と、思うようになりました。それが市長になろうと思ったきっかけです。

はじめは埼玉県議会議員だったのですが、その時から最終的には首長になるということを意識していました。



市長をしていてやりがいを感じる瞬間を教えて下さい


私は自分で「日本一現場をまわる政令市の市長」だと思っています。市長当選後、現場訪問は393か所、学校は154校、タウンミーティングは76回、もろもろの行事などを含めると1000回以上はゆうに超えています。このように「現場に行く」ということが私にとってはすごく刺激的でやりがいを感じます。
良いことも悪いことも言われたりしますが、現場に行くといろんな気づきがあったり、自分たちのやっている政策がどう受け入れられているか、どう結果を生み出しているのかということが一番良くわかります。

特に学校訪問が一番楽しいです。現場訪問ではいろんなドラマがあります。
例えば、以前学校訪問した際に、子供を連れた親御さんから、「市長さん、この前はありがとうございました」と、突然お礼をされたことがありました。私は、何のことだろうと思って聞いてみると、以前さいたま市が開いたコンテストで、そのお子さんが応募して、入賞し、私から賞状を受け取ったそうなのです。その子は特別支援学校に通っているお子さんで、それまでは学校に行きたがらなかったそうなのですが、賞状をもらって以来、子供がすごく前向きになり、学校に行くようになってくれたとのことです。

表彰をする、という行動は私にとってはただ賞状を読み上げるだけなので簡単なことですが、それが市民のみなさんに大変な影響を与える、ということを改めて感じました。

私はこういった現場のリアリティを大切にしています。
そして、常々職員に「皆さんのやっていることは地味で目立たないことが多いかもしれない。しかしその仕事にはものすごく意味のあることです。市民の幸せを実現するためにやっているのだということをいつも心に留めておいてほしい。」というメッセージを伝えています。



市を運営していく上での課題や住民の方に期待されていることについて


課題は大きく分けて2つあると思います。
1つは人口の高齢化、もう一つは公共施設の高齢化です。

人口の高齢化についてですが、日本全体で高齢化は既に起こっています。それはもちろんさいたま市でも起こっています。特にさいたま市は団塊の世代の方が多くいらっしゃいます。その方たちが一挙にこれから65歳以上になっていき、高齢化が進んでいきます。これにより経済、福祉、教育、まちづくりなどに様々な影響が出てきます。これらに対しどのような手段を講じるかという課題が目の前にあります。

次に、もう一つの公共施設の高齢化についてです。
昭和40年代から学校、公民館、コミュニティーセンターなどさいたま市のみならず、いろいろな機関が作って来ました。これらの耐用年数が近づいてきていて、これらをどう改修・改築、あるいは統廃合したりすることを考えなくてはなりません。
しかしこれらをするとなるととてつもなくお金がかかります。目を背けたくなるかもしれませんが、ただ、これらをやらなければ、後にかなりの影響が出てしまします。したがって、さいたま市では多くの方の協力を頂いて早いうちに平準化、長寿命化への取り組みをはじめています。

これら2つの課題から言えるのは「これからの財政がとても厳しくなる」ということです。さいたま市は現在、各種財政指標からすると、政令市の中でも2番目に健全性が高いほうで、今は良いのですが、財政の収支見通しの点ではこれからの3年だけでも834億の収支不足になると考えられています。
公共施設の高齢化一つをとってそうですが、市の財政は限られております。無駄な支出はないか、何を優先して進めるか、そのことを考えずに、事業だけが先行いたしますと、どんどん赤字になってしまうことは明らかです。
そのようなことを考えて私たちは都市計画をして行かなければなりません。住んでいる人たちの幸福を実現するという前提のもと、行財政改革をして行くことがミッションであり、テーマです。
そのためにやるべきことを選択し、役割分担を明確にすることが必要だと考えています。

そういった中で、住民の皆さんに期待することがあります。キーワードは「絆」です。
かつては、地域社会のコミュニティはしっかりと機能していました。本来ならそこに行政が介入する必要はありませんでした。
しかし現在、家族や地域社会、これがどこでも崩壊しかけています。

かつてのように子供たちの登下校の見守りなどを住民が当たり前のように行うなど、もう一度、この絆(コミュニティ)を再生してゆくことが行政の経営という意味でも良いし、住んでいる方々の幸福感に繋がってゆくと思います。



市長の学生時代について教えて下さい。


高校3年生のときにカメラマンの人に会ったのがきっかけで、国際政治や国際問題に興味を持つようになったのですが、その影響で、大学に入ってからはゼミやサークルで国際関係論を勉強していました。そして机上の勉強だけでなく、特に戦争などの「現場」を見てまわろうと思い、タイの難民キャンプや中東に行ったりしました。
そして松下政経塾に入りました。松下政経塾ではいきなり海外に出て色々と学べるとおもいきや、はじめに述べた通り、まずは日本や地域のことから学びました。日本中を色々と回る中で例えば家族と会うのが出稼ぎの関係で年に2回しか無い人、貧困に喘いでいる人、疲弊している地域社会で苦しんでいる人がいる中で戦争や飢餓とはまた違う苦しみを持っている人が多いことがわかりました。日本ではいろんな課題があること、それを変えて行かなければならないことを実感できたと思います。



若者に対するメッセージ


東日本大震災があって、東北のみではなく、日本にとって大変な危機的な状況が生まれていると思います。私も去年震災後に気仙沼まで行きましたが、今まで暮らしていた家族・友人が一瞬にして命を失ったという事実があります。

大学時代に私はタイの難民キャンプや戦争中の中東に行ったりして、いろんなところを見てきましたが、ある意味で、気仙沼の光景はもっとすごい光景でした。

日本はそのような大きな危機を迎えて、立ち上がって行かなければならない時だと思います。
そんな時代だからこそ、「批判するのみでなく、創りあげてゆくこと。」「自分だけでなく、未来や人のため。」という2つの思いを持って、志を持って生きて欲しいし、活動して欲しいです。



(インタビュー:2012-10-03)


昭和61年03月 日本大学法学部政治経済学科 卒業
昭和61年04月 財団法人松下政経塾 入塾(第7期生)
昭和63年03月 同塾 卒塾
昭和63年04月 会社役員
平成08年10月 衆議院議員 秘書
平成12年06月 衆議院議員 公設第一秘書
平成15年04月30日~平成19年4月29日 埼玉県議会議員(南6区選出)
平成19年04月30日~平成21年3月26日 埼玉県議会議員(南6区選出)
平成21年05月27日~現在 さいたま市長

平成20年04月~現在 共栄大学客員教授
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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