ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.092 [首長] 服部 信明 茅ヶ崎市長 「『みんなが楽しめる将来のために、様々なことに興味を持ち自分に出来ることを見つけてください』」

市長

茅ヶ崎市長 服部 信明
所属 茅ヶ崎市長
選挙区 神奈川県茅ヶ崎市
公式サイト

 

市長になろうと思われたきっかけを教えてください。


私は学校の先生になりたかったのですが、大学を中退して、自宅で補習を中心にした学習塾を開きました。そこで私が関わった子どもたちは、塾に行くことを前提に学校の授業を受けている状況でした。例えわからないことがあっても勉強は前に戻れば必ずできるようになるので、多くの場合は子供たちと一緒に失った時間を取り返し、次の目標へ頑張って進んでいくことができました。しかし、一度落ちこぼれてしまった子どもは、その状況からなかなか変われないということに気づきました。そしてどうしたらこの様な状況を変えられるのかと考えた時に、「政治家になって…、」という答えが出たのです。24歳の時のことでした。

当時は本当に政治に関して素人だったのですが、25歳の時に選挙に当選し、市議会議員を8年、県議会議員を8年務めました。その経験から、大事な事は次の世代に夢をもって生活できる若者を生み出し、それによってまち全体が生き生きと活性化することだと自ずと考えるようになりました。ネームバリューのある茅ヶ崎市ですが、実感として生活しやすいまちにしたいという思いで、平成15年、茅ヶ崎市長に就任しました。

そういうわけで、市長になろうと思ったきっかけは、茅ヶ崎市に暮らす誰もが将来に向かって夢を持って頑張れること、そのために特に大事なこととして、子供たちをどう育むかを考えることにありました。子供が夢も希望も持てなければ、まちは元気になれませんよね。



市長という仕事のやりがいを教えて下さい。


まちづくりは決して市の職員だけでは成し得ません。職員も一生懸命になり、まちの中で色々なことに取り組まれている市民の方と一緒になって動いていくことで、職員だけで動くよりも10倍も20倍もすごいものが出来るのです。ただその為には労力が必要ですし、市民と職員の思いを合わせていくところから大変なことが多くあります。けれどもその困難を乗り越えて、市民と職員とが一つ一つまちづくりを成し遂げていったとき、とても大きな達成感があります。それは、物事が困難であればあるほど、大変ではあるが形として実った時に素晴らしいなと感じます。



リーダー、人の上にたって活動していく上で市長として大事にしていることはなんですか?


仕事仲間との信頼関係です。

就任して最初の一年半位、実は色々な問題がありまして、市の職員は毎日の仕事にやりがいを感じにくい状況でした。しかし私はその状況を変えて市職員に、「自分たちが、まちづくりをする上でプロとして頑張っていく」という意識を持って欲しかったのです。なので、第一段階として信頼関係の構築に一生懸命取り組み、プロ意識を持った職員を育てるための雰囲気を作ることに勤しみました。

今、色々な権限が地方自治体に任されてきています。人件費には制限がありますから、一人一人の職員がどれだけ真剣に向き合ってくれるかが重要です。その前提となるのが職場での信頼関係なのです。



市長の考える茅ヶ崎市の推しポイントはどこですか?


茅ヶ崎市は気候も温暖で、とても住みやすい所です。また、ただ気温だけでなく、ここに住んでいる人の気持ちも温かいです。
茅ヶ崎市は高度経済成長期に外から人が入ってきた、典型的なベッドタウンです。そういうまちは、昔から住んでいた住民の方と後から入ってきた方との二極化や対立関係、つまり新住民対旧住民の構図がありがちですが、茅ヶ崎市はそれがほとんどないと言っていいと思います。「後から入ってきた方もまちの一員じゃないか、一緒にまちづくりをしていこう」という雰囲気を昔からの住民の方がもっていて、そこに新しい人が入ってきて輪が広がっていく、そういう意味では他の市にない、人の温かさが感じられると思います。



子どもたちが地元に対して愛郷心を持つために、自治体はどういうアプローチが出来ると思いますか?


間違いなく一つあるのは、大人がこのまちを好きになること、魅力を知ることですね。

茅ヶ崎市は明治の後半くらいまで農漁村のまちでした。ただ、明治後半から別荘地ができ始め、それから南湖院という結核の療養施設が市の南西部にできました。そこに多くの著名人をはじめ色々な方々が療養やお見舞いにこられ、その後別荘地としてここを使うという方が増え、ここに訪れる方も増えました。

近代以降のまちの文化や歴史があったことを皆さんが知っているかというと、私でも知らなかったことが沢山あります。今、色々なことを契機にその歴史を掘り起こしてもらっています。そうした取り組みを通して、大人が「こんなまちだったんだ」と知ることで、「今まで知っていた茅ヶ崎以上に素敵な部分がいっぱいあるのだ」と実感してもらうと、市に対する愛着が増えてくると思います。そのことが子供たちに間接的に伝わって、「お父さん、お母さんにこんな話をしてもらった」とか「大人の人たちがこんなイベントをやっていてかっこいいな」とか、いい雰囲気になっていくと思うのです。
また、子供たちが、まちへの愛着を持てるように、子供たちに何か形を作らせるということを、地元の青年会議所の方々も一生懸命やってくれています。例えば見て一番目につくのは海岸へと続く地下道です。この場所はかつてとても汚れていました。そこを地元の方々がきれいに清掃して、素敵な絵を描いてくれたのですが、それだけではつまらないのでまたいたずら書きをされてしまうのですね。そこで子供たちの手形をタイルにして毎年張っていく事業を始めました。始めてから7、8年経つのですが、そこは未だにいたずら書きされません。それどころか大きくなった子供たちもそれに手を合わせに来たりするのです。

行政はこの様な事業に対して、場所の手配や色々なことを若干お手伝いしたり調整したりするだけで、あとは地元の青年会議所のメンバーが一生懸命やってくれます。そういった過程でまちへの愛着が生まれてくるのだと思います。



若者が自分の街を変えられると思えるように具体的に市としてアプローチしていることはありますか?


そう感じるためには、まず皆さんがまちづくりに積極的に取り組む必要があります。例えば最初はお祭りに参加するだけ、ですがそれが何かのきっかけとなって、お祭りの一つの要素を自分が主体となって作っていくという立場になるともっと変わります。その経験が人との出会いにもなり、その中でこの人たちとやったら面白そうだし、まちにとっても自分にとってもプラスになる、そう感じる事ができる場面がたくさんあればいいと思います。 高齢者だけでなく、どの世代もそういったことでまちに関わる機会を少しでも作ること、それが例えば政治家を選ぶ場面でも自分の思いに近い人、自分の願っていることをやってくれそうな政策を提案する人に自分は協力しようというふうになっていくと思います。ただ、それは直接政治に飛ぶのではなく、もっと身近な所から参画してもらう機会を作ることを大事にしなければと思います。それがいつしか市を変えていく力になっていくと思います。



最後に若者へ一言お願いします。


今の若者世代には我々世代よりも、もっと楽しめる将来を作っていって欲しいです。
その為に誰かが代わりにやってくれることを期待するのではなく、自分達自身が主体となって色々なことに関わりを持っていくことを大切にしなければならないと思います。なので、もちろん自分自身の人生を楽しむのも大切ですが、同時に自分の将来に向けて、あるいは自分が将来生きていく社会に向けて、何ができるか考えながら今やれることをやって下さい。そのことにもっともっと若者の皆さんの大きな力を生かして欲しいです。

自分が今生きることだけに精一杯になるのではなく、自分が将来生きていく市や、国をどうしていくかにもっと興味を持ち、自分が今できることを行動に移せるように頑張って下さい。若者だからこそできることに大いに期待しています。



(インタビュー:2012-10-23)


昭和59年 3月 東海大学理学部化学科中退
昭和62年 5月 茅ヶ崎市議会議員(連続2期)
平成 7年 4月 神奈川県議会議員(連続2期)
平成15年 4月 茅ヶ崎市長(現在3期目)
※プロフィールはインタビュー時のものです。


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