ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.111 [首長] 海野 徹 那珂市長 「何事もあきらめず、地道な活動を、誠実に、相手を思いやる気持ちを忘れずに行えば、夢はきっと叶います。」

市長

那珂市長 海野 徹
所属 那珂市長
選挙区 茨城県那珂市

 

市長になろうと思ったきっかけを教えて下さい。


私は、54歳の時に那珂町議会議員に立候補し議員の職責を頂きました。その後、平成の大合併で市議会議員となり、2回目の議員選挙で再選を果たし、通算6年半の議員生活をしてきました。
議員活動は市民の御用聞きに徹する事で、民意の掌握に努めました。また、毎定例会の一般質問を中心に市民が期待する政策の提言を、欠かす事なく行ってきました。

平成22年9月の議会において、私は前市長に市政運営について質問したところ、その答弁は消極極まる誠に後ろ向きの姿勢でありました。その時、那珂市は今後衰退の道を歩むだろうと、大きな危惧を抱きました。

その後、市長選挙が間近になり無投票が濃厚になってきました。そこで出馬を決意し、立候補の準備を始めました。22年11月末に議員辞職願を提出し、準備運動に入りました。選挙資金もわずかでした。後援組織も脆弱な状況でありましたが、市民のみなさまのご理解と手弁当で支援してくれた多くの友人・知人のおかげで当選する事が出来ました。

議員時代は政策提言を繰り返しても、実現できるものは少なく、又提言したものとは、ほど遠いものが出来てしまう事もありました。また、実現には相当の時間を要しました。多選のしがらみやマンネリ化で停滞した市政を一新し、未来に夢の持てるまちづくりの為に、私が市政運営をやろうと市長を目指したところです。



やりがいを感じる瞬間はどのような時ですか?


市長は政策の最終決裁者であり、大きな裁量権が与えられております。職員に対しては、市民が最大のお客様であり、公平で公正な質の高い行政サービスを提供することが、職員の至上の任務であると申しております。

職員と合意形成を為し、市民が切望する施策の展開をして、市民のみなさまに喜んでいただき、感謝の言葉をかけられた時にやりがいを感じます。

特に市長就任後、1ヶ月も経たないうちに大震災に遭い、3月中は泊まり込みで震災と原子力事故の対応に明け暮れました。震災対応で沢山の苦情がありましたが、「頑健なあなたが市長になって良かった」、「時代があなたを選んだ」と言われた時にやりがいを感じました。



市のこれからの運営について教えて下さい。


那珂市では明治22年から続けてきた区長制度を廃止し、昨年4月から自治会制度に移行しました。100年以上続いた制度を変更するという事で、なかなか馴染めない点がありますが、なんとか機能し始めたところです。

自治会制度に移行する際に、まちづくり条例、いわゆる自治基本条例を制定しました。条例では、市民と行政の協働によるまちづくりをうたっており、市民の声をより市政に反映するよう臨んで参ります。

現在、私自ら、市民や団体の要請により、指定の場所、時間を設定していただき、書記役を含め3人程度で出向き、様々なご意見やご要望をお聞きする『市長と話そうふれあい座談会』を随時開催しております。即答できるものは即答し、検討を要するものは持ち帰り、後日、文書で回答しております。

今後もこのスタイルで進めていきたいと考えております。また、議会における提言も汲み取り、政策として反映してまいります。



市内のおすすめスポットを教えてください。


市内には多くの見所があります。市内各地の灌漑用ため池には白鳥が飛来し、多くの観光客を呼び込んでおります。 4月には市内各所でソメイヨシノの桜が堪能できます。続いて4月には静峰ふるさと公園で『八重桜まつり』が開催されます。額田地区にあります『阿弥陀寺』のしだれ桜はライトアップにより幽玄な世界が醸し出され圧巻です。

8月には那珂総合公園において『ひまわりフェスティバル』が開催され、25万本のひまわりが咲き競います。また、常陸二宮『静神社』や『常福寺』など多くの神寺仏閣が点在し、祭礼の時には近隣市町村からの参拝客で賑わいます。是非、観光マップなどをご覧頂き、那珂市にお越しいただければありがたく思います。



学生時代の話を教えて下さい。


大学時代の話になりますが、当時は学園紛争の最中にありました。卒業の年の3月には、あさま山荘事件がありました。水道橋や御茶の水駅周辺には機動隊とデモ隊が衝突を繰り返し、しばらくの間、催涙ガスが漂う、世の中が騒然とした時代でした。

高校入学の時はエンジニアを目指して理科コースに入学しましたが、数学が理解不能になり、高校3年時に文科系の大学に進路変更し、大学では法律を専攻しました。当時は、あまり勉強はしませんでしたが、社会勉強はしました。アルバイト経験も沢山しました。配膳人紹介所に所属し、結婚式場や立食パーティーの給仕をやりました。貧乏学生でしたので、料理の残りを頂けるのが楽しみでした。

他には沖仲仕もやりました。この仕事は、日給1200円の時代に5000円もらえる仕事でした。肉体労働で60キロの冷凍マトンなどを貨物船から、はしけに積み替える仕事でした。今でも健在なのは、あの時の肉体鍛錬のおかげかな、と思う時があります。また肉体労働といえば警備員も経験しました。主に夜勤の仕事で、特別手当が頂ける仕事もありました。東京水産大学の学園紛争の時は、警備の時に飛んで来た火炎瓶を消化器で消す業務があり、危険手当として1万円というものがありました。

いろいろなアルバイトを経験しましたが、授業だけは真面目に受けていました。アルバイトで稼いだお金は本の購入に充て、好んで小説をよく読みました。最初に購入した本は新田次郎の『ある町の高い煙突』です。日立市にある日立鉱山が亜硫酸ガスによる公害を引き起こし、地元の旧家の若い主人と社主が手を携えて解決していく物語です。他には、遠藤周作、北杜夫、石川達三などはよく読みました。高校時代もそうでしたが、それなりに勉強して入れる範囲のところに行くという生き方でした。よく言えば自然体、悪く言えば怠け者という事になります。



若者に向けてメッセージをお願いします。


時代を担うみなさまには、何事も諦めず、地道な活動を、誠実に、相手を思いやる気持ちを忘れずに行えば、夢はきっと叶います。

そして、社会に貢献できる人間を目指してください。政治にも関心を持ち、政治家の人間性を見極めて、投票行為を棄権しないでください。信頼できる友人を大切にして、家族とのふれあいを深めて、良好な人間関係を築いてください。




私がもっとも努力した事は結婚と市長選挙でした。そして今努力していることは、公約の完全履行と「未来に夢がもてるまち」の実現です。お互いに未来に向かって頑張って行きましょう。
(インタビュー:2012-12-26)


平成16年  3月  旧那珂町議会議員
旧瓜連町との合併により那珂市議会議員
平成20年  2月  那珂市議会議員
平成23年  2月  那珂市長
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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