ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.112 [首長] 田中 暄二 久喜市長 「自分の利益以外のために身を粉にして働くことの喜びを知ってください」

市長

久喜市長 田中 暄二
所属 久喜市長
選挙区 埼玉県久喜市

 

市長になろうと思ったきっかけを教えて頂けますか?


私は大学卒業後、民間企業に勤めましたが、数年後に商店を経営していた父親が他界しました。その時、地元商店街の先輩方から「久喜に戻ってきてほしい。一緒にまちづくりしよう。」というようなお誘いがありました。当時、家業は母親が何人かの従業員を雇って経営していたのですが、「戻ってきたら収入は今よりも良くなる。」と言われ、明治23年創業の商店を継ぐことになりました。正直なところ、収入は上がりました。今ではあまり考えられない良き時代でした。

そして久喜市で商店街活動・地域活動をやっているうちに、青年会議所を作るという機運がありまして、私もその活動に加わりました。それまでは、営業や地域でのおつきあい等は多少ありましたが、社会の為に、自分以外の利益の為に、身を粉にして働くという経験が無かったものですから、青年会議所の活動がとても新鮮に思えました。青年会議所を卒業する40歳までの8年間、商売と青年会議所活動に全力で取り組み、最後は理事長を務めました。毎日忙しい日々でした。しかし、青年会議所の卒業後に急に時間を持て余すようになってしまい、「商売だけの生活に戻っていいのか」と思うようになりました。
そのような時にちょうど統一地方選挙がありまして、親も地方議員をやっていたこともあり、それをきっかけに市議会議員に立候補いたしました。市議に当選した時には、まさか将来市長になるとは思ってもみませんでした。その後、県議会議員をやっている時に、前市長から「後を継いでくれないか。」というお話をいただきました。とても嬉しかったのですが、この時はとても悩みました。当時、埼玉県は急速に発展していたので、強いやりがいをもって県議会議員をやっていました。もっと県議会議員をやりたい、県議会議員として更に経験を積みたいという思いもありました。

ですが政治家は、自分だけの「なりたい」いう意欲だけでなれるものではありません。周りの友人や先輩、いろいろな方が協力してくださって初めて公職に就くことができます。ですから前市長のお話をお断りするのはそもそも失礼な話ですし、自分を認めてくださっているということだと思い、ありがたく立候補させて頂きました。



青年会議所時代に学んだ、他人の利益のために働くことのやりがいとはなんですか?


自分の為に生きるということは誰もがやることです。一方で、人の為に自分が行動したり、または公という立場で公正公平な仕事を進めたりすることが、社会全体のどこかで役に立っていて、何らかのかたちで結果を社会に残せるという喜びがありました。また青年会議所ではそういった社会貢献に加えて、自己研鑽の面も大切にしていましたので、自己研鑽・自己修練を通して自分を高めることが他人の利益になるというのが、喜びであり、やりがいでした。



市長の学生時代はどのようなものでしたか?


今思うと欲張りな学生だったと思います。実家が商売をやっていたので、家に近所の人が集まり、新年会のような時期には自分の部屋が宴会場になるようなことがあり「商売をやっているからこんな風になるのかな。商売って嫌だな。」と思うことがありました。そんな思いが大学に残って研究することに対する憧れになっていったかもしれません。一方で歌が好きだったのでグリークラブに所属し、年中合宿や演奏旅行に行ったりしていました。ですから学生時代は結構まじめにやっておりました。定期的に演奏会で関西等に行く時以外は、全ての授業に出ていました。大学に残る夢も捨てきれなかったのですが、先生に「君は社会に出た方が向いている」と言われてしまい大学に残ることを断念しました。



若者の政治への無関心についてどう思われますか?


小選挙区制は死票が多いため、選挙制度などの問題から来る政治不信も大きな問題かと思いますが、最近の若者の中に政治への問題意識が少ない。これは昔に比べて生活が恵まれているというのが原因のひとつにあるのではないかと思います。私が学生の時は多くが高卒や中卒で就職していました。勉強したくてもできなかった当時に比べると現在は半数が大学へ進学しますから、いまの若い人は恵まれているでしょう。

私が学生の時は高度成長期の裏返しで公害問題等、社会の歪みというべき課題が表面化し、社会問題化していました。それだけに学生運動の活発な時期でした。ノンポリ学生(政治問題や学生運動に関心を示さない学生)というのは少なかったように思います。ノンセクト(党派に属さずに学生運動などを行う人)はいましたが政治に興味が無い学生はほとんどいなかったように思います。文化祭等でも各セクトが政治への主張を表した看板が多くありましたが、現在はほとんどありません。時折、学生達の文化祭を訪れますと遊びの勧誘看板が多くあり、少し寂しさを感じます。

20代前半には是非政治について考えて欲しいです。政治について関心を深めれば、自分なりの意見ができてくると思いますし、それに相反する意見があれば、なぜそう思うのか対話や議論の場が当然欲しくなります。現在、日本は岐路に立たされているので、若者にも日本の未来について強い意識を持って考えて欲しいと思います。



久喜市の若者に向けての施策はどのようなものですか?


若い方に久喜市を知っていただくために、HPはもちろん、 Twitterでの情報発信も行っており、現在Facebookでの情報発信も企画中です。そのようなネットでの情報発信を通じて若い方に久喜市について興味を持っていただきたいと考えています。
また、市内にある東京理科大経営学部の学生さんに市政運営に積極的に関わっていただいています。具体的には市の審議会や会議に委員として参加していただいたり、計画策定の時に若い学生から柔軟な発想で意見をいただいたりすることで、市政に若い人の意見を積極的に取り込むようにしております。



若者に向けてメッセージをお願いします。


私の子供二人には、繰り返し言ってきたことが2つあります。まず「自由に生きろ」ということです。自分の学生時代には将来家業を継がなければならないという思いもありましたから、子供達には自由に好きなように生きて欲しいということを伝えてきました。その選択でたとえ失敗しても君の選んだ道なのだから、後悔しながらでもきっと立ち直ることができるはずだと思います。

次に「目標を高く持て」ということです。
つまり妥協するなということですね。この二つは私の子供だけでなく、今の若い方達にもぜひ覚えておいてほしいと願っています。



(インタビュー:2013-01-17)


昭和20年  久喜市に生まれる。
久喜小学校・久喜中学校を経て
昭和44年  早稲田大学第一商学部卒業
三菱石油(株)勤務
昭和48年  家業を継ぐ(この間ボーイスカウト指導者として活動)
久喜市商工会理事 久喜青年会議所理事長
久喜中学校PTA会長などを経て
昭和62年  久喜市議会議員に就任
平成  3年  埼玉県議会議員に就任(連続2期)
平成  9年  久喜市長に就任(連続4期)
平成22年  初代久喜市長に就任
(3月23日合併による新久喜市誕生)
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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