ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.138 松崎秀樹 浦安市長 「ボールを持ったら突っ込めや!」

市長

浦安市長 松崎秀樹
選挙区 千葉県浦安市
公式ホームページ

 

市長になられたきっかけを教えてください。


私が千葉県議会議員の時に、当初は先輩県議が市長選に出るというので、その先輩県議を応援する予定でした。しかしこの先輩が、ことあるごとあるごとに出馬を先送りし、結果的に時機を失った状態で出馬しないことになりました。、そこで、袂を分かち、思い切って私が出る決意をしました。しかしその選挙では、残念ながら負けてしまいました。次の市長選に向け4年待つ覚悟をしましたが、1年2か月で前市長が病気のために退職なさり、私が市長になった次第です。



サラリーマン時代のお話と政治の道に入った理由をお聞かせください。


様々な偶然と出会いによって政治の道に入りました。
大学を卒業し、大手の建設会社に入社しました。営業志望で入ったのですが、経理部門に回されてしまい、大変な4年間を過ごしました。
その後、重機のリース会社に入りました。その会社は景気が良く、年収より高いボーナスをもらっていたほどでした。しかし、それにはからくりがありました。その会社は脱税をしていたのです。ある日国税局が入って来て、発覚しました。そこで社内捜索している検察官に興味を持ったのをきっかけに、弁護士になるため司法試験を受けようと決意しました。当時妻と子供が1人いたのですが、3年間は食べて行ける貯金を持っていたので、浪人生活に入りました。

しかし勉強中に先輩からの紹介で、政治も法律も学ぶことができる、議員の第一秘書の仕事を紹介されました。とりあえず面接をするため、衆議院第二議員会館に行ったところ、その場で明日から来てくれと言われて慌てました。これを機に政治の世界に足を踏み出しました。しかし、それからの3年半は、今振り返ると得難い勉強ができたと思っています。経済的な余裕のない代議士で、最小の人数でひとり二役、三役をこなしながら奮闘する毎日でした。まったくの素人がいきなり公設秘書として大分の地元事務所とのやり取りや、東京の後援会づくりや資金づくりにも汗を流しました。
その後小坂 徳三郎事務所に入り、公設秘書を経験しました。ここでは、楽しい日々をすごしました。



波乱万丈な人生をお過ごしですが、苦しい時期などはどう考えていらっしゃったのですか?


苦しいとは思わず、どうにかしなくてはいけないと考え行動していました。人間頼られたら頑張りたくなるものです。私は学生時代、武道しかやっていなかったので、協調性がないと思っていました。空手など個人競技の道で育っていたのでサッカーなどを見ていてもパスするということがわかりません。なので「ボールを持ったら突っ込めや!」という精神で頑張っています。



市長の学生時代の話をお聞かせください


高校の2年生から2年間、生徒会長をやっておりました。学生時代は学生運動が盛んだった事もあり、日教組の教員と喧嘩していました。その際に、国語の先生から言われた言葉で、今でも頭に残っている言葉があります。これはシェイクスピアの言葉で。しない後悔よりした後悔をしろ。というものです。

高校卒業後に、進路を巡って親と喧嘩し、家出し1年間京都に住みました。新聞配達のアルバイトをして、尺八などを習っていました。

大学紛争まっただなか、2年の浪人生活を経て明治大学に入学しました。全共闘や過激派が人間をゲバ棒という棒で叩いている暴力行為を目の当たりにし、人間の弱さを痛感しました。そこで、自分の身を自分で守るために、空手部に入るとともにロックアウトで大学の授業が受けられませんので、大学の近くの剣道場に入りびたり、朝から晩まで剣道や居合道、杖道などの古武道と空手漬けの学生生活でした。学生時代に勉強していないということに対して、負い目を感じていて、市長職になってから、平成16年に明治大学大学院公共政策ガバナンス科に入学し、市長2期目の際に修了しました。やらなかった後悔に引け目を感じていたのです。



市長にやりがいを感じる時


震災のときはやりがいを感じました。
どうせやるのは辛いのだから、笑いの溢れる災害対策本部にしようと思いました。
逃げずに立ち向かいました、市民の人の声も公の場に出て行き、建設的な議論をしました。



街づくりに関して


子育てしやすい街はある程度完成したので、今は子どもを産める街、その前段階の、男女が出会いやすい街を2年前から目指しています。
主な施策として商工会議所や観光コンベンション協会とともに、婚活パーティー事業を行っています。行政が絡むと信用度が増します。77人対77人の婚活パーティーをしたところ、40パーセントがマッチングしました。2回目の婚活パーティーは大学が婚活サポートするNPOとともに行い、17対15のパーティーで12組がマッチングしました。
しかけは3部構成で、女性はメイクアップ講座、男性は俳優座から講師を御招きして、自己演出講座、パワースポット巡り、交流パーティーなどでコミュニケーションが生まれやすい場作りを行っています。



浦安市の若者施策を教えてください


4つの高校と、明海大学の5校で学生防犯ボランティアV5という団体を作り、防犯ボランティアをやっています。結成1年で浦安市内の犯罪発生率も前年に比べ22パーセント減少しました。

また、新浦安駅周辺で住民とトラブルを繰り返していたスケートボードをやっている若者達と、スケートボード場を作りました。
以前、スケートボードは安全性、騒音の問題などで地域住民から苦情が上がっていました。あるとき私が、歩いてい帰ろうとした時のことですが、駅前のホテルの前の歩道でスケートボードをしている集団と出会い、彼らに話しかけてみると、彼らはスポーツとしてスケートボードやっていること、引きこもりの子を家から引っぱり仲間に入れた話など、見ているだけでは分からない多くの事を教えてくれました。そこでグループリーダーを市長室に呼び、行政の仕組みや陳情の仕方、署名や申請の準備の方法を教えました。彼らは、3週間たらずで1700もの署名を集めて来ました。その後スケートボード場を舞浜駅の近くにつくりました。毎日元気な若者が汗を流しています。
他にも、HIPHOPの日本選手権優勝者がURSストリートダンス協会を結成しました。



若者が政治に参加しない現状に関して。


今の時代は平和なので、国政選挙や県議会選挙に行かないのは理解できます。
若者は結婚して初めて市との繋がりが出来ます。市政への興味は時期を待つべきかもしれません。



若者へメッセージ


我々の時代は、1億総評論家でした。今の若者は、提案などしているのですばらしいと思います。学生運動時の若者は、なぜ活動しているか分からず流れに身をまかされていた者も多かったのですが、今の若者はすごく考えていると思います。

しかし、おおらかさがなくなり、萎縮している様にも感じます。もう少しのびのびと羽を伸ばせる、一歩踏み出せる社会になれば良いのですが。
メッセージは自分が熱くなった事に対しては、突っ込んでいけと言いたいです。



(インタビュー:2013-02-07)


明治大学商学部卒業
公設秘書
第一次秘書
平成3年千葉県議会議員初当選
平成10年浦安市長
平成18年明治大学大学院・公共政策ガバナンス科一期生修士課程修了
※プロフィールはインタビュー時のものです。

関連記事
  • Vol.238[首長] 宮本一孝 大阪府門真市長 「相手のことも自分事のようにとらえ、支え合うまちを目指して」

    ジャパンプロデューサーインタビュー

  • 濱田市長プロフィール用
    Vol.237 [首長] 濱田 剛史 大阪府高槻市長 「未来志向で、次世代に品格ある高槻を!」

    ジャパンプロデューサーインタビュー

  • 品川市長プロフィール用
    Vol.236 [首長] 品川 萬里 福島県郡山市長 「誰一人取り残されないまちを実現するために」

    ジャパンプロデューサーインタビュー