ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.145 [首長] 清水 庄平 立川市長 「意見を取り入れ、社会をより良くしていく、これが民主主義の原点です」

市長

立川市長 清水 庄平
選挙区 東京都立川市
公式ホームページ

 

市長になろうと思ったきっかけは?


私が生まれたのは1945年、子どもから大人に成長する時期がちょうど1960年台の激動期でした。大学は日大の法学部に通っていたのですが、当時日大では学園闘争が起こっていました。古い社会の流れがあったものですから、一部の権力者だけが権力を握って方向性を決めてしまっていたように感じられたのでしょう。その様な流れに反発する形で学園闘争は全国に広まっていきました。
私自身もロックアウトに参加し、当時の理不尽な政治制度に対して声を上げていましたが、途中でドロップアウトしてしまいました。なぜなら、仲間のやり方は制度を壊したら壊しっぱなしで、そのままにして放置しまっていたからです。私は壊すよりも壊した先のプランを立てる方が先だろうと思って、結局ロックアウトに参加した期間は1年もなかったと思います。
以来、もっと広い意見を取り入れて、社会をより良くしていくことこそが民主主義だろうと考え、その理想を実現させたいと思いました。この経験が政治に加わる原点になっています。



市長に立候補するときに迷いはありませんでしたか?


当時私は62歳だったため、このチャンスがなければもう市長になることはないと思ったので迷いはありませんでした。けれども、政治の世界に入った当初は市長になるなんて考えはありませんでした。
市民や仲間の意見を市政に活かすために36歳で市議会議員になり、皆の希望を実現していくのだと気概に燃えていました。私の政策で一番に採用されたのは、発達障害児のための施設です。当時は公設の施設や障害者支援制度がまだありませんでした。その様な中で、障害のある子どもを持った友人が地域のボランティアで見守る活動を始めていました。私はそれをみてこれは行政でやるべきことだと考え、今も続く「すみれの家」という施設を始めました。当時は障害者支援の施設を作るとなると、反対が起こることもありましたが、行政がバックアップすると信用が生まれ地域からの理解も深まるため、他の障害のある子どもを持った方が安心して預けられるだけでなく、反対運動なしに施設を作ることが出来ました。そういった実績をやりがいに仕事を続け、市長になるに至りました。



市長になってまずやりたいと思っていたことはなんですか?


子育て支援ですね。子育て支援によって一石三鳥が実現すると思ったからです。
一つ目は女性の社会進出、子育ての中心はまだまだ女性ですから保育園を増やすことによって女性の社会進出を助けることが出来ると思いました。
また、二つ目は待機児童の減少です。市長就任以来の6年間で認可保育園の受入枠を429人拡大させ、毎年100人以上いた待機児童を75人まで改善することが出来ました。(数字はいずれも取材時の平成25年3月時点。現時点(25年6月)では、463人の定員枠拡大、待機児童は86人)
3つ目は学習援助です。子どもを保育園に入れることで体系的な学習を実現できます。その他にも子育て層の若者支援など3つも4つもいいところが出てきています。



若者の人材育成のためにはどのようなことをされていますか?


立川市では創業者支援や若年者の就労支援など様々な支援をしています。
その財源は徹底的な歳出見直しによって実現しています。まず120人の職員を削減しました。次に看護学校の閉校をしました。これは、市内に看護学校があっても市内に就職する人はほとんど居なかったという問題が背景にありました。閉校にあたっては、代わりに隣接する東大和市の看護学校で一クラス増やしていただくという対策を行い、学生の受け入れ先の確保にも配慮しました。そのようにして行政のサービスレベルを下げることなく効率化し、将来を担う若者への支援など、新しい社会ニーズに対応しています。
また、最近ではかつての市役所庁舎をリニューアルした「子ども未来センター」を開設し、子育てに関するあらゆる質問に答えられる体制を整えています。



立川市に若者を誘致するためにどのようなことをしていますか?


例えば、若者を集めてのディスカッションの場を設けて市政に興味を持ってもらう機会をつくっておりますし、まちづくりの面でも様々な試みをしています。
来年には都内で初めてのIKEAが立川にできます。また、協議中ではありますが2年後にはららぽーとも出来る予定です。これまでIKEAやららぽーとのお客さんは9割が車で来ていましたが、立川の場合は公共交通が発達しているため、車を持っていない学生などの若者にも電車やモノレールで気軽に来てもらえると考えています。こうした魅力ある店舗の出店は、多くの若者を街中に呼び込む効果が見込めるとともに、地域における雇用の確保にもつながると考えています。
大きな商業施設を誘致する一方で、商店にあるユニークなお店、魅力あるお店を取り上げて表彰し、パンフレットを作成してPRする取り組みも行なっており、互いに共存できるような工夫をしています。



自然と近代都市の共存について教えてください


立川はそういった意味では特異な地域だといえます。駅の周りは多摩地区随一の商業・ビジネス都市として発展していますが、立川の北部では農地が300haほど広がっています。農業の盛んな土地のため、緑が豊かで可能性の多いまちだといえます。このような土地柄を生かして、二極化のまちづくりを目指しています。自然と近代都市の共存を生かして住みやすい場所にしていきたいです。



アートのまち立川としてどのような取り組みをされていますか?


立川では美術館にアートを集約するのではなく、「まち全体が美術館」という考えの下、まち全体にアートを散りばめています。特に立川駅北口の業務・ビジネスエリアとなっている「ファーレ立川」エリアには彫刻をはじめとする109のアート作品がありますが、このような発想は京都の街並みからヒントを得ています。京都では100m歩くと国宝があるといわれていますが「このような環境で育つことが出来たらどれだけ人間の成長に影響をあたえることが出来るだろうか」と感動して以来、アートが身近に感じられるまちづくりを目指すようになりました。
奈良や京都に比べて立川は歴史が浅いですが、それでも立川なりの工夫をしています。全ての小学5年生には、市のバックアップのもと前述のファーレアートの見学をしてもらっています。芸術は小難しく見るものではなく、日常的に感性を積み重ねていくものなので子供の頃から是非触れて欲しいと考えています。



子どもたちがおとなになるまで残る立川の思い出といえばどのようなものですか?


一番は昭和記念公園ですね。みんなの原っぱや多摩の原風景を再現したこもれびの里、日本庭園など昭和記念公園は一日では遊びきれないほど色々なものがあります。年間370万人程の方に訪れていただいています。
夏には花火大会もあり、立川では自衛隊の滑走路を借りて花火大会を行うことができるため、一尺五寸玉という大型の花火を見ることができます。都内でこれほど大型の花火をあげられるところはあまりないので、当日は予約なしでは市内のお店に入れない程の賑わいを見せています。
また、立川シティハーフマラソンも人気です。こちらも自衛隊の滑走路を利用して行われるものでして、大学選手権も兼ねているため大変な盛り上がりを見せています。また、マラソンの姉妹提携をしているニューカレドニア国際マラソンからも選手を招待している国際的な大会です。秋に行われている箱根駅伝の予選会とほぼ同じコースを走れることも人気の理由の一つとなっています。



市長の考える立川市の課題を教えてください。


清掃工場についてです。現在は若葉町地区というところにあり、前市長の頃から移転を目指しているのですが、前市長は移転することができませんでした。これまでの経過を踏まえ、この度基地跡地に移転する計画を発表しましたが、やはり周辺住民からの反対意見も出ています。直近の住宅まで約250m位あるのですが、近くに清掃工場ができるとなると、環境について懸念する住民の方くいらっしゃいます。この問題を解決することが当面の最大の課題だと考えています。



30年後を率いていく若者に一言お願いします!


立川は多摩川と玉川上水に挟まれているのですが、その地形によって水と緑の大回廊が実現しています。これを立川の宝物として立川のグリーンベルトを残して行きたいです。
歴史は頭のなかで遡ることは出来ても物理的に追いつかせることは出来ません。だからこそ、若者には今あるものを大切にしてまちづくりをしていって欲しいです。



(インタビュー:2013-03-01)


昭和33年3月 砂川町立西砂川小学校卒業
昭和36年3月 砂川町立砂川中学校卒業
昭和39年3月 都立武蔵高等学校卒業
昭和44年3月 日本大学法学部卒業
昭和57年7月から平成3年12月 立川市議会議員
平成3年12月から平成15年6月 立川市収入役
平成19年9月から平成23年9月 第19代立川市長
平成23年9月から 第20代立川市長
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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