ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.146 [首長] 米沢 則寿 帯広市長 「限界を超えた夢を持て」

市長

帯広市長 米沢 則寿
所属 北海道帯広市長
公式ホームページ

 

市長の前職について教えてください。


大学を卒業して、まずやっていることが目に見える仕事がいいと思い、石川島播磨重工株式会社(現 株式会社IHI)というメーカーの会社に勤めました。中近東やアフリカへのプラント輸出に携わり、20代は海外の人たちとの仕事が非常に多かったですね。その後、中堅・中小企業に投資・成長支援を行っている日本合同ファイナンス株式会社(現 株式会社ジャフコ)へ入社しました。前の会社とは従業員数も、仕事内容も全く違いましたが「過去の実績に投資をするのではなく、将来の可能性に投資をする」、この点に魅力を感じましたね。
その間、6年間ロンドンで駐在したり、経営コンサルタントとして中小企業の経営に関わったりと53歳まで勤めていました。



市長になろうと思ったきっかけをお聞かせください。


今までを振り返ってみると、自分にタガをはめずに、知らないこと、見たことのないこと想像していなかった仕事ばかりをしてきました。
53歳になり、中小企業の多くの社長と話したことや、経営コンサルタントとして経験したことなど今までやってきたことを活かして、もうワンステップわくわくすることができないかと考えました。そして、次に何ができるだろうかを考えていた時、榛村純一前掛川市長の著書「地球田舎人を目指す」という本に出会いました。この出会いによって、私は自治体の首長に関心を持つようになります。また、全然行政のことのわからない人間が、今は逆に役に立つのではないか、職員・市議の人など専門家がたくさんいるのだから1人くらい違うタイプの者がいて、化学反応すればいいのではないかと思いました。
そこで、また自身をもっと伸ばすことができると思い、未知の世界への関心から思い切って選挙に挑戦してみました。



「フードバレーとかち」という政策への想いについてお聞かせください。


「フードバレーとかち」の取り組みははじめから海外への進出、つまりグローバルに視点を向けています。確かに「フードバレーとかち」という政策名に対し、帯広市民からは「カタカナでよくわからない」という意見もありました。しかし、シリコンバレー同様に○○バレーという表現の仕方は、世界で通用するからこそ、こだわりを持って「フードバレーとかち」と名付けました。
グローバルの中で生き残っていくには、アイデンティティーがあるか否かが非常に大事と考えていて、十勝・帯広にはアイデンティティーがあると思っています。例えば十勝・帯広といえば畑作や畜産が特性と言えるのではないでしょうか。
グローバル化が進む中、私たちはグローバルで戦っていくしかありません。そして帯広市には戦っていくことができる資質や資源があると私は思っています。
私が市長になりたかったのは、「帯広市」で、生まれ育った故郷ということを、特に意識したわけではなく、グローバルに対応できるアイデンティティーを持った地域として、大きな関心を持ちました。



フードバレー構想など他の自治体との連携についてお聞かせください。


帯広だけで考えても、大した迫力のない構想にしかなりませんが、十勝全体・北海道全体で考えれば、かなりの迫力のある構想が掲げられます。いい例えとしては、帯広市だけでは約17万人ですが十勝全体となれば約35万人、十勝全体の広さは岐阜県同様の広さなので、県レベルの議論ができます。

そう言う意味でも北海道全体で連携することもとても意味があると考えています。例えば、北海道大学がある札幌圏内の資源と十勝圏内にある資源は明らかに違うものです。だからこそ相互依存することができたら、新たなものを生み出す可能性がでてきますし、また、個別で戦っていく必要は全くないと考えています。十勝・帯広をもっと盛り上げていくには何が必要なのかを考える際、みんなの知恵を借りたり、みんなで汗をかいたりすることでいい仕事ができるのではないかと思っています。
だからこそ十勝は十勝、北海道は北海道と自分たちだけで行うのではなく、どんどん外部へ拓いていく必要があると考えています。

具体的な取り組みでは、『北海道フードコンプレックス国際戦略』があり、札幌市や函館市、江別市などと共同で行っています。この中で、十勝・帯広は「食と農林漁業」を柱とした地域産業政策「フードバレーとかち」を掲げ、取り組んでいます。



やりがいを感じる瞬間についてお聞かせください。


十勝・帯広の人みんなが共通認識として、グローバル市場で戦っていけるアイデンティティー、資質や資源を持っていると実感してくれたときに、やりがいを感じます。例えば、地域の方々が「今まで気づかなかったけど、市長コレ面白いよね!」などと十勝・帯広の魅力や資質を新たに発見し、目を輝かせている瞬間を見たときなどです。

みんなで汗をかいたり、地域の方々から褒められたり、激励の言葉をもらったりするとうれしいですね。やはり、価値観や将来に向けての希望を十勝・帯広の方々と共有出来ているなぁと感じる時が1番やりがいを感じます。



若者に向けてのメッセージについてお聞かせください


「僕はこんな人なので、ここまででいいです」などと、自分自身で限界を決めないでほしいです。失敗をするのは当たり前のこと、だからこそ若い頃にどんどん失敗していけばいいのではないでしょうか。今の若い方々は、全てに自分自身で「私はここまででいい」と限界を決めてしまっているようで非常にもったいないと感じています。野心みたいなものを見せるのは全然かっこ悪いことではないですよ。

また自分自身で限界を決めてしまうとそこに到達した瞬間、向上心がそこで止まってしまいます。自分自身でタガをはめずに、自分の限界を超えるくらいの夢を持った方がいいでしょう。ただ、だからと言ってひたすら夢ばかりを追うのはだめで、同時に何処かで折り合いをつけることも必要となってくるでしょう。

まずは自分の力を過小評価はしないでください。そして、その時その時を自分なりに一生懸命やっていくことが大切だと私は思っています。

また、今、何事も取り組まなければ、将来はないことを理解しなければなりません。現状について自分が自分なりに熟考をして関与した上で、日本人や市民として誇りがもてるような行動をしてほしいと思っています。



(インタビュー:2013-05-27)


昭和53年  4月  石川島播磨重工業株式会社(現IHI)入社
昭和60年11月  日本合同ファイナンス株式会社(現株式会社ジャフコ)入社
平成 元年  6月  同社ロンドン駐在員(平成5年所長就任)
平成  7年  6月  北海道ジャフコ株式会社取締役社長就任
平成17年  2月  ジャフココンサルティング株式会社取締役社長就任
平成22年  1月  株式会社ジャフコ経営理事
平成22年  4月  帯広市長当選 就任
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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