ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.150 [首長] 馬場 一彦 東京都東久留米市長 「苦労する経験を厭わないでほしい」

市長

東京都東久留米市長 馬場 一彦
公式ホームページ

 

市長になろうと思ったきっかけはなんですか。


私は身近に政治関係者がいた訳ではなかったですし、私自身も市政にさほどの関心があった訳ではありませんでした。ところが、年に2回ほど持ち続けていた地元の仲間との会食の機会に、周りの仲間が結婚するにつれて、だんだんと身近なことからメディアで扱われていることまで、政治や行政に対する不満を、仲間たちで話し合うようになったのです。生活感を帯びてきた20代後半の人々は、政治に対する不満や要求が何となくあるものの、それらをどう解決すべきか分からなった上に、代弁者となる20代30代の議員もあまりいませんでした。そこで、当時29歳だった私は「ならば自分が代弁しよう」と市議会議員に立候補し、当選したのです。
市議を3期経たとき、地元の仲間に加え、彼ら以外の周りの人々からも立て続けに「市長に立候補してみてはどうか?」と勧められ立候補することを決めました。



市長のやりがいはなんですか。


自分がやったことにその時は批判を受けることがあっても、最大公約数を考えてベターな選択をしていく中で、その後に「馬場さんこれ良かったよ。」と言ってもらえたり、大多数の人に最終的に理解してもらえたりしたとき、やってきて良かったと思えます。
身の周りの人々の漠然たる不満や要求に対して、議員として解決する側となると、色々な課題など高いハードルがありました。一般の人々は、実はこれらの中には自助や共助で解決が可能なものがあるにも関わらず、公助にばかり頼ってしまいがちです。ところが自助や共助のこと、解決するのに必要な制度などの説明をしていると、説明を受ける側には悪い意味での「お役人」の言っていることと同じように映ってしまう・・・という葛藤があり、乗り越えるのに3~4年かかりました。
市長になって多くの困難がありましたが、私自身は色々なことが実現でき、東久留米市が他の自治体に引けを取ったり、行政が停滞することはなかったと自負しています。



市政を運営することの難しさや、市長としての葛藤はなんですか。


市議会議員を3期務め、市議会議員としてはいわばベテラン組であったし、予算や決算の会議を多数経験して色々と知っているつもりでした。
しかし市長になってみると、それらの背景にある検討すべき見方や角度の多様さ、問題の深さに途方に暮れました。
例えば大型商業施設誘導を根本的に見直す公約を掲げたのですが、部分的にしか実現できなかった、結果として理想とは違った形になってしまったということもありました。
市民の最大公約数を見極め、責任を持って期限までにベターな選択をしていくこと、これがとても難しいです。
葛藤としては、一市民として「こうすればよい」と考える場合とは違って、市長としては法や制度を遵守した上で政策を作らなければいけないということがあります。
また、そのような自分の考えを市民に表現するにあたって、きちんと伝わっているのか?という点にも葛藤があります。特にマスコミを通じて表現する場合は、自分の言葉が編集・要約されてしまうので、一語一句に誤解を招かないよう言葉を選ぶことにも注意しています。



市のビジョンについてお聞かせください


基本的には10年ごとに立案する長期総合計画の中に、私の政策を込めています。「東久留米市第4次長期総合計画」における将来像である「"自然 つながり 活力あるまち" 東久留米」が市のビジョンです。
具体的に私が掲げているのは、(1)自発的な市民参加、(2)少子高齢化社会における子育て支援策の充実、(3)市の産業の発展と振興、の3点です。また、それらの実現のためには行財政改革が必須と考えています。



市内のおすすめスポットについて教えてください


何と言っても「落合川と南沢湧水群」がおすすめスポットです。環境省の「平成の名水百選」に、東京都内で唯一選ばれました。
住宅地における湧水を保全していく様々な活動が評価され、国土交通省、環境省などの後援を受けた『湧水保全フォーラム全国大会 in ひがしくるめ』も開催し、秋篠宮文仁親王がご臨席されました。秋篠宮さまはその後、「落合川と南沢湧水群」と立野川の御視察もされました。



市政へ若者の声は生きていますか?街づくりに若い力は活かされていますか?


現状ではまだ不十分だと思っています。これは市にも若者にも、互いに責任があると思います。というのは、市としても声は聞きたいけれどもなかなか聞く機会がない、または持てない、そして若者も市政に関心がない、あっても参加してくれないという状況だからです。市から若者に対して関心を促すこともしてきたのですが、市の持っている伝達手段と、若者が常々利用しているSNSなどのコミュニケーション手段にミスマッチがあり、これをどう埋めるかがテーマだと考えています。



我々(NPO法人ドットジェイピー)が取り組んでいる、若者による政策立案コンテストについてご感想をお願いします。


そういった取り組みが各所で起こる事によって行政や議会も変わると思います。
極論を述べると、従来の自治体はサイレントマジョリティーではなく、たとえ少数派であったとしても、声の大きい方々に向けた政策を取りがちでした。しかしそれは市民全体の声とは限りません。
様々な声を拾い集める活動を行う中で、民主主義は根付いていくのだと思います。
ある程度の材料や労働力を提供することは、行政や政治ができるかもしれませんが、市民自らが行動する主体性を持たなければなりません。そのようなコンテストは、行政や議会、そして民主主義というものが成熟していくことに繋がるのではないでしょうか。



市が若者に期待することはなんですか


若いときにしかできないことや、若いからこそ勇気を持ってできることもあります。若さを力にして行動し、突っ走っていただきたいです。
しかし時には立ち止まり、自分以外の人々のことを冷静に考える必要もあります。私が以前、ご年配の方とある施設を視察した際、その方が廊下の僅かな段差を見つけられ、高齢者の方には危険であるというご指摘をされました。その時、まだ若かった私はその段差に気がつかなかったのです。
突っ走ることと立ち止まることの兼ね合いは難しいですが、その二つを繰り返しながら若いパワーを爆発させてもらいたいです。



若者へのメッセージをお願いします


苦労する経験を厭わないでもらいたいです。得意なスキルで楽にこなせる道ばかりを選んでいると、そのスキルは結果的に弱点になってしまいます。
見ている人は見ています。必ず評価されます。素直な気持ちで経験してみようとするチャレンジ精神から苦労を厭わなければ、将来必ず良い結果として返ってきます。



(インタビュー:2013-05-17)


1970年 4月23日生まれ
1977年 市立ひばり保育園卒園
1983年 市第五小学校卒業
1986年 市南中学校卒業
1989年 都立保谷高校卒業
1994年 日本大学経済学部卒業
1998年  民間企業でのサラリーマンを経て、市政への参画を決意。
1999年4月 東久留米市議会議員 初当選
2003年4月 2期目当選
2007年4月 3期目当選
市議時代は、建設委員会委員長、文教委員会副委員長、厚生委員会副委員長等を歴任

2010年12月 東久留米市長 初当選
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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