ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.151 [首長] 頼高 英雄 埼玉県蕨市長 「どんな経験でも必ず活きる。だから、前向きにチャレンジしてほしい!

市長

埼玉県蕨市長 頼高 英雄
選挙区 埼玉県蕨市
公式ホームページ

 

なぜ市長になろうと思われたのですか。


自分が生まれ育ったまち、「蕨市」のまちづくりに、自らの力を発揮できるのではないかと思ったのが最初のきっかけです。直接的には、27歳の時から市議会議員を務めており、その中で市政の様々な課題が具体的に見えてくるにつれ、実際に政策を立案し、実行できる「市長」という役割について強く惹かれたのと同時に、自ら市長として一役を担いたいと考えたからです。



議員の時と市長になってからでの違いはなんですか?


同じ市政に携わっている者同士ですが、議員と市長では見えている景色が全く違います。入ってくる情報量の違いもありますが、何より責任の重さが全く異なっています。全てにわたって責任を負うがゆえ、個々の案件に対する決断の重さは大変なものです。しかし同時に、地方自治の仕組みは、市長が機動的な運営ができるようになっており、そうした意味で大変やりがいのある仕事になっています。



市長のやりがいを教えて下さい


市民の皆さんにお約束した内容を、きちんと実行し、市民に喜んでもらえることです。何といっても私の一番の喜びは、市民の方々の笑顔です。特に、このまちには昔から知っている人、小さい頃からお世話になった人もいっぱいいますので、そういった人々も含めて、市民の喜びが私にとっての大きなやりがいです。
例えば、蕨駅にはエレベーターがありませんでした。お年寄り、障害のある方々、子育て中の方々にとって大変不便な駅でした。そのため私は、エレベーターの設置を公約の一つにしたのですが、当初は様々な問題が設置を阻みました。結局、様々な懸案を乗り越えて、エレベーターの設置となり、その時は大変嬉しかったのを覚えています。
しかも、当時駅の端に作られることの多かったエレベーターを、蕨駅では真ん中に設置したこともあり、エレベーターが非常に利用しやすい位置にある駅になりました。今でも「助かっています」といわれることが多く、こういったお声をいただくことがやりがいにつながります。
そもそも、市民の方々は、市長が本当に何かしてくれるのかという疑念を常に持ち続けています。市長が選ばれる時に約束したことを、「この市長はきちんと達成した」となることで市民の皆さんからいただける信頼は格段に多くなります。そうした強い信頼関係を築き上げることが私のやりがいに繋がっています。
出来れば、私が市長であることで、市民の方々に「政治ってまんざらでもないよな!」と感じてもらえたら大変嬉しいです。



市民の方々との接点はありますか?


接点は極めてたくさんあります。蕨市は日本で一番小さな市であるとともに、人口密度が日本一の市です。小さいけれど人はいる。そんな市の市長だから、市長の存在価値は、市民と直接接点をどれだけ持てるかで変わってきます。市民の皆さんからいただくご意見や施策への反応は、大変参考になりますし、何よりも蕨市でも今まで市長と接したことがないという方が大勢いたのですが、そういう人たちから大変喜ばれる。お会いして挨拶して、顔を合わせるだけで喜んでくれる市民がいるのは大変ありがたいことです。
また、蕨市はイベントが多く、そこでは市民との接点もつくりやすいので、可能な限りイベントに顔を出そうと心がけています。



市のおすすめポイントを教えて下さい


蕨市には、大きく2つ特徴があります。その1つは、この市には長い歴史があるということです。今お話したとおり、この市は大変イベントやお祭りが多いのも、長い歴史に関係があります。
市内を貫く幹線道路は古来より中山道として使われてきたもので、蕨市の市街地はその昔中山道の宿場町「蕨宿」として発展してきました。実は昨年がちょうど蕨宿開設400年だったのですが、一年中記念事業でいろいろなイベントが行われていました。また、中山道沿いでは中山道の町並みを生かしたまちづくりをしようとまちづくり協議会を作り、市民が一体になって保存活動に取り組んでいます。時が経つにつれ、家が新しくなっていくのはしかたないのですが、出来る限り茶色系の建物にして、ひさしを少し長くだして、そこに人が歩けるスペースを作る。紳士協定なので、強制力はないのですが、市民の皆さまのご協力の賜物で、この中山道の景観が今でも綺麗に守られています。
また、この蕨宿関連のイベントとして、毎年「織姫の仮装パレード」をやっているのですがメインの織姫役1名・宿場小町役2名を市内在住・在勤の20歳の女性から公募で募っています。私も審査員をしているのですが、毎年応募が大変多いです。そして皆さんそれぞれに、市への想いを持っており語ってくれます。蕨出身の方々が多いのですが、昔から出たかったと言ってくださる方もたくさんおり、若い人たちがこの蕨市を大変意識していただいており、大変ありがたく、そして嬉しく思っております。
更に、蕨駅も本年で開設120周年となりました。市民の方々とお話している時に、こちらについても何かしらお祭りをというお話をお聞きしたのです。鉄道駅なので、イベントを成功させるにはJR東日本の協力が絶対に必要だったのですが、こちらも市民の皆様と共にお願いすることで同社の協力を得ることができ、さらに実行委員会に駅長も加わり、皆さんと一体となりイベントを盛り上げることができました。
もう一つの特徴は、その鉄路・道路ともに、東京への主要動脈が通っているため都心までの移動に大変便利な点です。京浜東北線を使えば、東京まで30分かからない距離ですし、また埼京線も通っており、どこに住んでいても駅まで歩いていけるのがこの市の特徴です。
便利さと歴史この2つの良いところを持っている市は数少ないと思っております。



市長ご自身の若いころのお話を教えて下さい


大学生のころは、いわゆる普通の学生でした。ただ、学生の頃から生徒会(学生会)などをやっており政治への興味はそこで培われた部分がありました。
大学というのは、実は高校までのように一つの教室で毎日みんなと合う事がない社会です。私の大学は一応一学年にクラスという枠組みはあったのですが、別に全ての授業を同じ教室で見るわけではないし、文化祭もクラス単位ではありませんでした。
このように、クラスの一体感がなかったのが大変残念でしたので、私の大学の近くにあった秋ヶ瀬公園というところでソフトボール大会をやろうと決め、行動をおこしました。このイベント、実際にやるとなったら参加者がどんどん増えていき、一時は収拾がつかなくなりそうになりそうなくらいの人数に膨れあがる盛況ぶりで、実は大会はいまでも続いているらしく、毎年5月6月頃の恒例イベントになっているようです。
また、少し硬派な活動だと、当時なかった大学会館を作ろう!という活動もしていました。こちらは卒業後に完成したみたいです(笑)
大学時代に仲間と集まって何かをトライするという経験は社会にでて経験する最も基本的な部分の経験になります。計画の立案・調整・根回し・交渉・折衝などなどのいろんな人と話し合いながら物事を進めていく経験はその後の議員生活・市長生活に大変役にたちました。



若者への政策について教えて下さい


蕨市は、全国で行われている成人式の発祥の地です。
蕨市では、成年式と呼ぶのですが、昭和21年に当時の青年団自身が第一回成年式を始めたのが成人式のはじまりです。当時は、終戦直後で蕨市も焼け野原だったのですが、そんな荒廃した状況のなかで、次代を担う若者を応援しようとして始めたのが成年式のきっかけでした。当時の若い青年自身が、次代を担う若者を応援したいという精神は大変すばらしいもので、この精神を継いでいけるまちづくりをしたいと私は常に意識しています。
実はこうした流れのなかで、現在、若者が活躍している、「国際青少年キャンプ」という市の事業があります。事業のメインは、中学生と高校生が海外でキャンプやホームステイを体験するものですが、旅行会社に頼った事業内容ではないのが、このプログラムのおもしろい部分です。
市では市民交流の分野でドイツのリンデン市とアメリカのエルドラド郡(カルフォルニア州)と市民主体の交流が30年以上続いており、概ね、蕨市を含めた3都市が会場を持ち回り、キャンプ及びホームステイを実施しています。今年で11回目の事業となりますが、プログラムが単なる旅行ではなく、キャンプ地において寝食を共にするなど、様々なプログラムが組み込まれており、大変生きた勉強になっています。更に参加した青少年自身が蕨インターナショナルカルチャーアソシエーション(WICA)という団体を設立し、この事業の事前研修など後輩の指導育成活動に取り組むなど、主体的に協力をしています。
彼らはその他にも、蕨市の国際交流事業ほか、他の事業への協力も積極的にしていただいており、今回の成年式(成人式)の実行委員長・副委員長はともに、WICAの出身者で占めるという大変まちに密着した活動をするようになってくださいました。



最後に若者へのメッセージをいただけますか?


「無駄な経験はない」ということです。どんな経験でもいかせる機会が必ず来ます。月並みですが、失敗を恐れずどんなことでも前向きにチャレンジしてほしいです!
上手くいったこと、いかなかったこと、全てが生きてきます。本当に無駄な経験はないので積極的に何にでも取り組んでください。
また、政治という分野については、政治ほど生活に身近な仕事はないし、政治ほど面白い仕事もないと思っています。世の中は人間がうごかしているもの。その象徴的な場が政治です。難しいけれども、これ抜きには世の中動いていかない非常におもしろい世界です。ぜひ大いに関心を持って関わっていっていただきたいと思っています。



(インタビュー:2013-06-27)


1963年(昭和38年)
蕨市生まれ、蕨市北町在住、49歳。
北小、二中、浦和西高を経て、埼玉大学教養学部卒業。
元蕨市議(3期)。
蕨市都市計画審議会委員、北町コミュニティー委員会理事、
北一子ども会育成会会長、蕨市保育園保護者会連絡会会長など歴任

2007年(平成19年)6月より蕨市長
2011年(平成23年)6月再選
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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