ジャパンプロデューサーインタビュー

Vol.158 [首長] 井澤 邦夫 東京都国分寺市長 「夢や希望を諦めずに、大きく羽ばたいてください」

市長

東京都国分寺市長 井澤 邦夫

 

市長になることを志した理由を教えて下さい。


中央大学で法律を学んでいたときに、「政治の力はものすごく大きいものだ」という実感を得て、その延長で「いつかは行政に関わってみたい」と思っていましたね。また、私の場合は「政治家になりたい」というよりも「国分寺市に貢献したい」という思いも人一倍強かったんです。そんなこともあり、サラリーマン時代に給与明細から引かれている税金の使い道に興味を持ちました。皆さんも感じておられると思いますが、税金は外から見ているだけでは何に使われているのかわかりにくいものです。それがどのように使われているのかを調べているうちに、行政に関わりたいとの思いが強くなってきました。
そして、もう一度自分の人生の目標を見つめ直した時に、「一企業の為に尽すのではなく,他人に喜ばれる仕事をしよう」と思い、市議会議員を目指しました。しかし、この世界に入ったとたん、国分寺市の政治はまだまだ市民から遠いものであると感じたんです。そして、市議会議員として活動するだけでは、市民に近い政治を実現することはできないと思いました。そこで、市長として「みんなが安心して暮らせる、ずっと住み続けたい町」へ職員と一丸になって市民のために作り上げたいと思い、市長を志しました。



市政において一番大切なものはなんだとお考えですか?


市政において一番大切なのは、行政の情報公開や情報共有を積極的に行うことだと考えています。「こういうふうに国分寺市が良くなっていきますよ」「こういう方たちにこのようにお金が使われているんです」というように、市民の方々と行政が共通認識を持つことが大切だと思います。というのは、自治体の運営を行政のみで行うといつか限界が来てしまうからです。特に行政需要が膨らむ高齢化社会においては、行政と市民が一体となって市政を運営しなければなりません。皆さんの力をお借りするのに、行政が何をしているか不透明ではいけませんよね。



「みんなが助けあい・支えあう活気ある温かい国分寺」をどのように実現していこうとお考えですか?


今、日本中で家庭環境や家族のあり様が変わってきています。そのように核家族化した家族がどのように有機的につながっていけばよいか、地域がどのように助け合えばよいのかということを考えなければなりません。国分寺市においては、自治会・町内会の組織率は40%にとどまってしまっています。そしてそのことは、「残りの60%の方々無しに、災害時における助け合いなどが円滑に行われるのか」といった危機感につながっています。そのような意味で、助け合いの絆や人間関係を普段から醸成しておくことが、災害への一番の対策なんです。私はそのようなコミュニティをもう一度形成したいと強く思っています。
もう一つの日本における大きな潮流として、少子高齢化が挙げられます。高齢化が進むと、行政需要が高まるのは当然です。結果、医療費などの福祉に関する歳出が増えてきます。しかし、歳入も増えるかと言われればそうではない。その全てを賄うために行政が借金をし続けることはできないわけです。するとやはり市民の方々の力を借りなければならないのです。そのためにしっかりと情報共有を行い、市民と行政が一体となって市政を行っていかなければならないのです。



若者は市政にどのように関わっていってほしいと思いますか?


生産人口の世代の皆様には、もちろん望むことは大きいのですが、なかなか時間や余裕がなく、うまくはいかないだろうというようにも思っております。私自身の経験上、家族のために平日は頑張って働いて、休みになっても家族を見ていなければいけないなどと、サラリーマンは日々いろんな苦労があるわけです。そんな中で、それらをこなした上で市政に積極的に参加してくれと言っても難しい部分もあると思います。なので、そういう方たちには、先ずは政治に関心を持ち、よりよい市政の運営のために知恵をお貸しいただければなと思います。
では関心がないのは何故かというと、「自分に直接関係がないないから」というのが本音だと思います。市報やホームページで得られる情報には限界がありますので、毎回それらをチェックでもしていない限り、なかなか市政の本当の中身が見えてこないと思います。なので、時間が許す限り、色々な集まりに参加していただいて、積極的に情報を収集していただければありがたいと思っています。
しかし、若者全般の関心が低いかというと決してそうではないのです。意外に思われるかもしれませんが、地元で活躍しているのは中学生なんです。作文コンクールといった発表の機会で彼らの思いを聞いていると、市政への関心が伺えます。平日に地元にいるのは中学生なので、ある種必然ではあるのですが、彼らは大きな地域の担い手です。例えば災害時などは、高齢者の方々を助けてくれるのはおそらく中学生の皆さんでしょう。



若者が関わっている行事やイベントなどはありますか?


T-Soulといった音楽祭や、商業・農業など分野を固定せず様々なイベントを企画・運営してくれています。それ以外にも消防団を結成して、火災時に駆けつけて消火活動に当たるなど、市政運営の中で大きな役割を担っていただいています。



市長の若い頃はどのようなことをして、何を考えておられていましたか?


正直にいうと、地域の活動にはそこまで参加してはいませんでした。しかし唯一、地域の少年野球のコーチをすることで地元の子どもと触れ合っていましたね。
勉学で言うと、法律を学んだ後生命保険会社で働いていろいろな知識を身に付けてきました。私自身の思いとしても、市民の皆様の要望をそのまま行政に投げてしまうのではなく、しっかりと自分で斟酌して解決策を出せるような政治家になりたいというものがありました。そのためには本当に幅広い知識が必要です。そのような知識や経験を身につけるために修行をしていたつもりです。



市長や政治家になりたいという若者へのアドバイスをお願いします。


幅広い知識をつけるというのももちろんですが、ぜひいろんな人の話を聞くための訓練をしてもらいたいと思います。地域にはいろんな世代の方が暮らしています。同世代の意見のみを聴くのではなく、いろんな世代の人の話を聞いてそこから結論を出せるようになってほしいですね。そのバランス感覚を養うために、今のうちからいろんな人に話を聞いて自分の糧として欲しいですね。



国分寺市のどこが一番好きですか?


国分寺市で生まれ育ってしまっているので、外から見た良さというのは意外とわからないものなんですね 。しかし外から入ってきた方々の話を聞くと、「人がみんな温かい」と言っていただけます。ここで生まれ育つ人は2割程度だとは思うのですが、外から入ってくる人も、国分寺市特有のゆったりとした雰囲気に感化されてしまうんです(笑)。 結果として人がみな優しく、とてもあたたかい街になっているのではないでしょうか。



最後に若者全体へのメッセージをお願いします!


10代20代の方々は今閉塞感を感じていると思います。しかし、いつか苦しい期間は終わります。アベノミクスですぐ景気が好転するとは思えませんが、少なくともこれからはいろいろな面で良くなっていくと思います。加えて、個人的には皆さんは選ばれた世代だという感じがしています。今後日本が進んでいく中で、若者のみなさんの活躍が大きな希望となるでしょうね。そういう意味でも、窮屈な思いで夢や希望を諦めずに、大きく羽ばたいて日本を支えていってほしいです。





昭和25年9月15日 生まれ
中央大学附属高等学校卒業

昭和48年 中央大学法学部法律学科卒業
昭和48年~東邦生命保険(相)
平成10年~GEエジソン生命(株)
平成13年~鹿島建設グループ会社
平成17年7月4日~平成25年5月31日 国分寺市議会議員(8年3期)
平成23年5月26日~平成25年5月9日 国分寺市議会議長
平成25年7月13日~ 国分寺市長
※プロフィールはインタビュー時のものです。

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